事故をきっかけに
8人制綱引を1992年に台湾へ導入した功労者の一人は、台湾体育界の長老的存在、呉文達氏だ。生涯を台日スポーツ界の交流に捧げ、日本の旭日中綬章を受賞している。
当時、呉氏は、ルールが明確で勝負も速くつき、年齢や場所、社会階層などの制限を受けない綱引に注目していた。また、重量別制があることも、体格的に不利な台湾選手にとって発展の余地がある。そこで中華民国綱引協会を設立し、各学校で広めることにした。今や名を馳せている景美女子高の綱引チームもこの頃に設立されたものだ。
国内で綱引が盛んになってきたことから、台北市は台北文化基金会との共催で1997年、ギネスブックの世界記録に挑戦しようと、1万人綱引を催した。しかも唐の時代の文献『封氏聞見録』を参考に、古色豊かな編み方にのっとった綱を用いた。ところが、ゲーム開始後まもなく綱が突然切れたことで数十名が負傷、うち二人は綱によって腕が引きちぎられる大惨事となった。
この事故について中華民国綱引協会の卓耀鵬・事務局長はこう語る。試合では綱には強大な力がかかるため、国際試合では綱の材質や直径、長さなどに厳格な規定があり、変更は許されない。だが当時の台湾はそうした安全性への配慮が欠けていたため悲惨な事故につながった。
女性闘志たち
この事件を教訓に1988年から教育部は国際ルールにのっとった綱引を積極的に広め始めた。毎年、小中高で綱引き大会を催すだけでなく、審判やコーチの養成も行うなど、学校での8人制綱引の普及に努めた。その結果、現在、綱引大会に参加するチームは数百に上っている。
次の目標は、世界だった。
蔡三雄牧師は台湾代表チームのコーチを務めたことがあり、景美女子の郭昇コーチや南投高校の陳健文コーチなどを育てた人物だ。蔡牧師によれば、最初の頃は台湾の成績はあまりよくなかったが、選手もコーチも意気消沈することなく、挫折の中から実力を蓄えていった。
2000年には台湾女子チームがワールドカップのインドア綱引で6位になり、初めて国際的活躍を見せた。女子チームは数年でさらに腕を上げ、ワールドカップやアジアカップの常連チームとなっただけでなく、2005年のドイツワールドゲームズ及び2009年の高雄ワールドゲームズのインドア520キロ級で優勝している。
恐るべき忍耐力の台湾チーム
体格では欧米選手にかなわないのに、どうやって世界大会で勝てるのだろう、と思う人も多い。
「綱引は、攻めよりも守りの大切な競技です」と卓耀鵬さんは語る。競技中、選手は体をほぼ仰向けにし、両足に力を集中させて綱と体のバランスを保っている。時間が長引いて筋力が持たなくなると足や姿勢がずれ、綱を引く全体の力も弱まる。それはまさに相手が攻勢をかけるチャンスになる。
「綱引に必要なのは、筋力というより持久力です。筋力は先天的に決まる部分もありますが、持久力や忍耐力は厳しい訓練で養えます。これが台湾の強みです」と卓さんは言う。ワールドカップでの景美女子の試合を見ても、序盤は劣勢でもセンターラインの10センチまで来るとそれ以上は動かない。それどころか、攻めで消耗した相手のすきを突き、一気に攻勢に出て勝利をつかむのだ。
また、台湾女子チームは日頃からよく男子チームと練習試合を行なっている。国際試合で、体格の一回り大きい欧米選手に打ち勝つためだ。
「ただ男子チームは、国内で自分たちより強いチームを見つけて試合するのが難しく、成績が女子ほど振るいません」と卓さんは分析する。
哲理に富むスポーツ
現在、台湾の綱引代表選手の8割は、家庭の経済状況がかんばしくない。そのうち多くが学業成績も振るわず、体格や運動能力の面でも球技或いは陸上選手ほど優れていない。そのため綱引を選ぶことが、彼らにとって唯一の進学の道になる。
だが進学のためだけで情熱がなければ、綱引は続けられない。「若い女の子が、両手をタコや傷だらけにし、試合に合わせて減量したり太ったりもしなくてはならないのですから」と卓さんは言う。
景美女子の郭コーチも、球技ならゴールを決めてすぐ快感が得られるが、それに比べ綱引は単調なスポーツだと指摘する。だが、選手同士の暗黙の了解や絆という点では他のスポーツに大きくまさっているともいう。
「綱引では個人プレイはあり得ず、互いの力を合わせなければ勝てません。『チームメイトが1秒でも長く踏ん張れるよう助け合う』という精神で、困難克服の訓練や体重制御なども部員同士が手を差し伸べ合います。こうした『皆で共に』培った絆があれば、どんなに練習がつらくても離れ難くなるものです」と郭さんは言う。
つまり、綱引には深い哲理がある。突出したヒーローは生まれないが、チームのための「大我」がある。引くことで攻め、守りを重んじる特質は、禅の「退却は前進なり」に通じる。
とっくにこうした哲理を会得しているからこそ、台湾選手たちは試合や人生で、勝利を一つ一つ得てきたのかもしれない。