初めての女性祭司
3年前、この国立東華大学花師教育学院(前身は花蓮師範学院)准教授が、彰化県社頭の蕭家宗祠の歴史始まって以来最初の女性祭司就任を求めた事件は、まだ多くの人の記憶に残っていることだろう。蕭昭君とその仲間にとって、この事件は習俗文化の改革という夢の実現に向けた、小さな、しかし決定的な一歩であった。
話は1990年に戻る。蕭昭君がアメリカのインディアナ大学で教育学博士の学位を取得したとき、鉄道局で機関助手として勤務していた父は、小さい頃からかわいがっていた娘のために、一族の祖先祭祀委員に「娘は祭司になれますか」と尋ねた。その答えは「博士はいいが、女は駄目だ」であった。
「宗祠での祖先祭祀の儀礼はすべて父権文化を象徴するものでした」と彼女は語る。実際、徳望ある男性しか祭司にはなれないし、女性は儀式のどの段階にも参加を認められず、女性の名前は墓碑にも実家の系図にも入れられない。嫁した女性は婚家の位牌に入れられるが、独身女性には入る場所さえない。
聡明で快活な性格で、結婚はしたものの子供のない彼女は、祖先の祭司に参加できれば一族に名を残せると考えた。儀式が終わると、祭司となった者には額が贈られ、祠堂に掛けられて記録されるからである。
それに女性祭司となれば、女性をタブーとした観念も打ち破られる。これまで儀式を守り解釈してきた人々は、女性への偏見をそのままに「こうしなければ子孫に禍を残す」と脅して儀式を維持してきた。そんな罪を着せられてはと、女性は言うことを聞くしかなかったのである。そこで彼女は行動で「誰でも神明に福を祈れるし、神明も性別にかかわらず、福を賜うはず」と証明しようとした。
1年をかけて積極的に活動し学習し(動作次第から祝文、儀式までを覚えこんだ)、蕭昭君は2007年旧暦正月12日の儀式で、祭司を務める事になった。当日は初めての女性祭司が評判を呼び、蕭一族以外の人も見学に訪れ、マスコミも大挙して取材にやってきた。
これは蕭昭君の人生最初で最後の体験だったが(祭司は毎年交代)、それでも「人生のどこにもジェンダーの戦場はあり、行動が始まります」と言うとおり、行動を続けようと「性別平等教育協会」の仲間と共に、去年4月に「女性は歩き出す。女性祭司のために」というドキュメンタリーを制作した。全国の学校で上映活動を続け、今では30回余りに及んでいる。
蕭昭君を励ましたのは、初回上映のときに桃園県で宗族会の委員や事務長に就任している客家の長老三人が訪ねてきてくれたことである。三人はお礼を述べに来たという。蕭先生の義挙の報道記事を例として、反対派を説得し、一族に貢献がありながら外に位牌を祭っていた未婚の一族老婦人を、一昨年ようやく祠に迎えることができたと言うのである。