貴重な10年
この30~40年間に台湾から渡米した医師は約1600名、楊医師のような定年退職者は500~600人はいると推計される。
祖国に貢献したいという思いはあっても現実問題が立ちはだかる。彼らが台湾を出た時代、台湾にはまだ科別の専門医制度がなかったため、彼らには台湾の専門医の資格がない。アメリカの資格は台湾では認められないのだ。
楊医師によれば、台湾では専門医の資格は衛生署による認証でなく、医学会ごとに試験を行う。どの医学会でも試験を厳しくすることで医師数を制御しているため、外国からの医師にとって大きな壁になっている。
鄭医師がかつて台湾の和信で勤務した際も、試験を受けると不合格で首をかしげた。後に「予備校に申し込めば合格する」と若い医師に勧められ、その通りにしたら本当に2年目に合格したという。
陳院長は昨年8月に帰国後すぐ衛生署に対し、僻地の困窮を訴えた。「外国からの医師は、他の医師のポストを奪うわけでなく、誰も行きたがらない所で奉仕しようとしているのだから便宜を図ってくれ」と。
すると衛生署はこれに応えた。邱文達署長は医療改革計画「僻地医療サービスの充実」の中に、「海外から帰郷して働く医師は、指定された僻地で3年以上医療に従事すれば、専門科医の証書が授与される」と加えたのである。
北米台湾人医師協会南カリフォルニア分会の会長を務めたこともある楊医師は、資格の問題が解決すれば、より多くの帰郷を促せるだろうと言う。
「私への愛を感謝します/やり直す機会を与えてくださった/空の白い雲は私とともにどこまでも/天使は私とともにいつまでも」という台湾の賛美歌の歌詞は、祖国に戻った楊医師の心を表している。
「今は3人だけですが、30名になればと思っています」陳院長は、聖母病院は最初の一歩に過ぎず、今後は台湾全土に広がるべきだと考える。
「今こそ貴重な10年です。台湾が育てた医師を呼び戻せなければ、10年後には誰も帰って来ないでしょう。アメリカで生まれ育った世代は台湾に来ようとは思わないはずです」
一人の「阿兜仔(外国人)」が始めた病院が、やがて台湾人によって引き継がれ、僻地医療の困難な今、再び海外へと助けを求める。国境のない愛が羅東聖母病院を照らし続ける。
かつて羅東聖母病院の院長を務めたディドーネ神父は小児科の専門医で、1978年に早産児基金会を設立し、多くの新生児を救ってきた。
医師不足を解消するために、陳永興院長(中央)は米国まで赴き、退職した台湾人医師に帰国して聖母病院で働いてほしいと呼びかけている。