今年初め、寒々とした不況の風が吹く中、全国で最大のイングリッシュ・ティー専門チェーン「ローズ・ハウス」が、南京西路に台北では一番規模の大きい支店を開設した。6月にはイギリスの紅茶の老舗ウィタードと合弁で、上海に中国大陸最初のローズハウスを開店する。不景気に逆行するローズハウス社の社長黄騰輝氏の攻勢が、今注目を集めている。
「上海出店計画はすでに2年も考えていたものです。今が好機だと思っただけで、別に上海ブームに乗ったわけではありません」と黄社長は笑う。
最初の1億
確かに、黄騰輝氏はこれまでブームを追いかけてきたことはない。それなのに、これまで手がけてきた3つの仕事のうち2つは時勢に乗り、ブームを作ってきた。何事も大袈裟にしたがらない彼は、謙虚に運がよかっただけというが、なぜそんなに運がいいのかを考えてみると、その性格に関ってきそうである。黄氏は一旦方向を決めると、最後まで食いついて放さず、いかなる手段を尽してもやり遂げようとするタイプのようである。言いかえると、事業家にも関らず、その性格は掛値なしに芸術家タイプで、思い切りよく徹底している。
山紫水明の自然が美しい花蓮県瑞穂に生まれ育った黄騰輝氏の生家は、豊かとは言えない雑貨屋だった。彼は話下手ではあったが、学校の成績はよくて、友だち付合いも良好で、ずっと順調に育ってきたと言える。
高校を卒業し、東海大学貿易学科に合格、台中県の大肚山の麓にある東海大学に入学して、生れて初めて故郷を離れることになった。若い彼はぼうっとしたまま大荷物を背負って汽車に乗ったが、降りる駅を間違えてしまい、1時間も歩いて夜の10時過ぎにやっと学校の寮に着いた。疲れていた彼は建築学科の寮に入ってしまい、ここから建築との深い縁が始まる。入学したのは貿易学科だったのだが、大学生活の半分以上は建築学科の講義に出て過し、建築学科の学生と親友になった。
大学を卒業し兵役を終えてから、最初に見つけた仕事は経済誌の社長のアシスタントであった。大学で学んだ専門と近かったこともあって、仕事はやりやすかったと言う。
普通の若者と同じように、当時の黄騰輝氏には遠大な創業の計画などなかったのだが、チャンスは向うからやってきた。当時、東海大学の建築学科を卒業した親友たちは自分たちで建設会社を組織し、人間関係を大切にした集団住宅を建設しようと考えていた。現代のマンションのように便利で、昔の農村のような隣近所が助け合う生活、言うなれば今で言うコミュニティの概念を実現したかったのである。台北の南京東路にあるコーヒーショップで、午後一杯先輩たちと話しつづけたその時のことを、黄騰輝氏は今も昨日のことのように覚えている。若者たちは話ながら夢中になり、理想に今すぐ手が届くような気がした。その夜、家に帰って一晩考えた彼は、翌日会社に辞表を出し、自分の理想の国を作り出すことに決めたのである。
理想の国が6人の親友たち共通の起業の目標となり、また最初に手がけた開発プロジェクトにもなった。寝る間も惜しんで、あちこち壁に当りながら1年過ぎた頃、代表の白錫ヘT氏は遠太建設が販売に失敗した開発プロジェクトを引継いできた。自由に開発を進められることになり、その導入した「芸術家による町造りプラン」が「ヒューマニティのある地域社会」の理念を広めて、開発プロジェクトは評判を呼んだ。1期を完売してから、2期、3期と打出し、この開発プロジェクト「大肚山麓の理想の国」は中産階級の夢の家になったのである。有名人もここに家を買い、マスコミが取り上げたおかげで、20代の若者たちは不動産業界の寵児にのしあがり、成功は夢のようにやってきた。黄騰輝氏と仲間たちは事務所に寝泊りしていたのに、会社は株式を公開し、大邸宅に住み高級車を乗りまわす富豪になった。毎日は忙しく、生活を楽しむ余裕もなく、マーケティング担当の黄氏は地に足が着かないような気がした。まるで大きな流れに押し流され、やむなく前に突っ走っているばかり、自主性を喪失してしまったかのようである。
「余りにも急成長で、あっという間にコントロールが効かなくなり、代表は一日中資金繰りに走り回っていました」と言うように、黄氏は次第にこんな生活に適応できなくなっていった。半年の間ずっと考え続け、副社長に昇進してしばらくしてから、一緒に起業してきた仲間と袂を分つことにした。ゆっくり考えて、自分のしたいことをしようと思ったのである。
しかし、すでに輝かしい成功を手に入れてしまって、その後何をやりたいと言うのであろうか。
ヴィクトリア朝のエレガンス
「私はずっと洗練された優雅な生活に憧れていました。モーツァルトを聞き、上等のお茶、薫り高いコーヒーを楽しみながら、ゆっくり本を読み、新しい詩に目を通すような生活です」と、文人作家の楊逵氏を崇拝し、文人の理想を胸に抱く黄騰輝氏は話す。幸いなことに若くして事業に成功し、自分の好きなティーハウスを開くことが出来る。暇を見てはヨーロッパを歩き、あちらでの生活のセンスやリズムがどのように培われているのか理解しようとした。
1990年に会社を辞めてから、彼はかつて「理想の国」開発プロジェクトで作り上げた台中芸術ビレッジに、25坪の大きさのティーハウスを開いた。インテリアはすべて、夫婦二人で手がけたものである。すべすべした木の床、使うのは全てイギリスの高級磁器で、場所はむしろ寂れたところだった。ロケーションがよくないにも関らず、靴を脱ぐこと、口論は慎む、12歳以下のお子様はお断り、6人以上のグループはお断りと禁止事項ばかりで、融通の利かない主人の性格をあらわしているかのようだった。黄氏ご夫婦以外、誰もこの商売が長く続くとは思っていなかった。
1990年8月20日に営業を開始したローズハウスは、最初から黄騰輝氏の秘密の花園だった。ある時、1日にコーヒー1杯しか出なくて、しかもそのお客はなんてまずいコーヒーだと文句を言ったという。それでも彼は自分の原則を守り、優雅で静かなゆとりの空間を作り上げ、自分をリラックスさせると共に、友人と膝を突き合せて談笑し、生活のセンスと快適さを取り戻そうとしたのである。
客人の多くは大肚山の東海大学の学生で、このティーハウスに来たお客は静かなローズハウスの趣味の良さに気づくのだった。こうして、程なくするうちに評判は広まり、このちょっと変ったティーハウスと変り者のご主人を見てみたいという人が増えてきた。12月になると、ローズハウスは台中の伝説的な場所となり、週末ともなると、カプチーノやイギリス風の紅茶を求めて近隣から車で訪れるお客で賑うようになった。
今ではローズハウスは、伝統的なイングリッシュ・ティーの台湾における代表と言われているが、最初はこうなるとはご主人の黄騰輝氏も思っていなかった。彼は元々、単純にヴィクトリア朝の生活に憧れ、その芸術、建築、家具、インテリアなどの洗練された優雅な美しさこそ、ここ数十年経済成長にわき目も振らずに来た台湾に欠けているものだと考えただけである。穏かで内向的に見えるが、内心に情熱を秘めて思いきった行動を取る黄騰輝氏の性格は、冷静な冒険家であるイギリス人に似た所がある。ビクトリア朝様式で統一したローズハウスの成功は、偶然と言うより当然の結果だったのかもしれない。
薔薇は彼にとって、ビクトリア朝を代表する時代のシンボルである。艶やかで華やいだ美を持ちながら刺があり、情熱と神秘、自信、ロマンスを感じさせ、人の心を惹きつける。またビクトリア朝に盛んになったアフタヌーン・ティーは、当時の豊かで華やかな生活をしのばせる。ローズハウスはこの二つをメインに据えて、数多くのコーヒーショップやティーハウスの中で個性的なスタイルを確立し、女性客に愛され、さらに全国チェーン展開をするようになった。
チェーン店
「社長は当初、ローズハウスの2軒目など考えていませんでした」と、ローズハウスのフランチャイズ店募集業務を担当する姜恵娟さんは話す。あるお客がローズハウスを気に入って、支店開店を申し出てきたために、チェーン店展開を始めることになり、創業して12年の今では、台湾のローズハウスは自営とフランチャイズ店を含めて45店舗、規模拡大につれてチェーン店制度も整いつつある。
どのローズハウスに足を運んでも、まず目に映るのは胡桃材の家具と床、そして壁一面の薔薇の絵である。棚には各種のイングリッシュ・ティーの缶や、ローズハウスが台湾人向けに研究し調合したフラワー・ティー、フルーツ・ティーのティーバックが並ぶ。ショーケースには繊細なエインズレイやウエッジウッドのカップが並べられ、ワッフルを焼く甘い香がかすかに漂ってくる。適度な音量のバイオリン・ソナタやオペラのアリアが耳を心地よく刺激し、確かに十分に女性的な空間と思われる。実際にも、お客の8割が女性なのである。「最初の頃のローズハウスは学生が主なお客で、学校に近い裏道や静かな路地裏に支店を開いていました。最初の台中の店が東海大学の学生をお客にしていましたから。それがここ数年は、OL向けになってきました」と、フランチャイズ店に加盟して4年余りになる台北公館店の店長呉冠慶さんは話す。
その当時は恋人だった現在の奥さんと一緒に、お客からフランチャイズの店主に変ったこの数年、本社はずいぶん進歩してきたと呉さんは言う。ハード、ソフト共にシステムとして健全になってきたし、加盟店は毎年イギリスにアフタヌーン・ティーの研修に出かける。有名なティーハウスや紅茶製造会社を見学し、イングリッシュ・ティーへの理解を深めれば、加盟店事業にも力が入るというものである。
しかし、専門性を高めようとすると投資も必要になる。ローズハウスに加盟したものの、投資した資金を短期に回収できないと分って閉店する店も出てきた。そういった店の中には、フランチャイズの権利義務関係がはっきりしていなかったために、法律問題に発展することもあったという。
出る杭は打たれると言うが、黄騰輝氏はマスコミの否定的な報道に一時は失望し、取材から遠ざかっていた。台湾の人の多くが長年にわたって法律規範を遵守しようとせず、それが習慣となっている点について、黄氏は深く憂えている。「台湾もWTOに加入したのですから、商標や特許権を尊重し、法律遵守をいい加減にしておくことはできません」と、言葉も重く台湾社会に警告を発する。
薔薇の恋人
10年が過ぎて、ローズハウスの経営はすでに一定の規模を備えてきたため、黄騰輝氏は企画管理の仕事から退いて経営方針を決定するだけになった。そこで彼は自分の時間を油絵に費やし、もう一つの人生を歩み始めたのである。
油絵の話となると、急に目が輝き出す。「どうしたことか分らないのですが、3年前のある日、急に薔薇を描きたくなって、画材屋に行って油絵具や筆を買い、人に頼んで美術の先生を紹介してもらいました。こうして始まったのです」と自分でも不思議に思うそうである。
芸術を愛して長年になり、自分でも薔薇をテーマにした古典的な作品を数多くコレクションしてきたが、自ら油絵を描こうと思ったことはなかった。師範大学美術学科の出身で、老大家の李梅樹や楊三郎に師事してきた高淑恵先生について油絵を習い出したとき、先生は輪郭がはっきりしていて、光と影が明快な白菜の絵から教えようとした。その時、黄騰輝氏は驚き茫然とした様子で「白菜ではなく薔薇の描き方を教えてください」と言った。先生はこれに逆らえず、やむなく透視画法や油絵の基本理論を講義してから、勝手に描かせることにした。ところが、今度は先生が驚く番であったという。これまで油絵を習ったことのない黄氏なのに、なぜこんなにうまく描けるのだろう。構図と言い、色使いと言い、タッチといい、手馴れている上に個性が良く出ている。
「本当によく描けているのでしょうか。そうだとしたら理由は一つです。薔薇への心からの熱愛としか思えません」と黄騰輝氏は言う。油絵を学び出して9ヶ月後には、先生と一緒に台中文化センターで展覧会を開き、2年目には彰化県文化センターで個展を開いた。その後、シティバンクとABN‐AMRO銀行がその絵をモチーフにティーカップセットと薔薇の紅茶の缶を製作したし、エバ航空社はその版画の国際的なマーケティングを行うという。作曲家や作家たちが、その絵をカバーやパッケージに使いたがり、今年11月には台中の三越デパートの展示会場に、その薔薇の絵の新作が展示される。今は展示用の絵の制作に忙しい。
油絵を学び始めて3年余り、ベニスや淡水などとくに気に入った場所以外は、彼が描く絵は全て薔薇である。薔薇を生けた花瓶、薔薇の花束、薔薇の花園、写実的だったり抽象的だったり、時にロマンチックに時に幻想的に、あたかも恋のように、男の恋、女の恋と時により人により異なる恋を描いているかのようである。それとも、絵の1枚1枚が薔薇に対する熱愛で、薔薇がその愛情に報いてくれているのだろうか。
「人生で一番重要なのは成功ではなく、何を守っていくか、そしてそれに悔いを残さないということです」と黄騰輝氏は名言を吐く。その半生に、愛と理想の力を感じさせられる。
さてあなたは、愛を守ってきただろうか。黄騰輝氏の物語は、無限の夢を見せてくれる。
ローズハウスで使用されているのはイギリスのエインズレイやウェッジウッドなどのボーンチャイナで、優しいムードにひかれるためか女性客が多い。
ローズハウスで使用されているのはイギリスのエインズレイやウェッジウッドなどのボーンチャイナで、優しいムードにひかれるためか女性客が多い。
ローズハウスの第一号店は、すでに台中県龍井郷の観光名所になっている。ここには喫茶コーナーの他に、ボーンチャイナの器や薔薇をテーマとした絵画コレクションなどの展示スペースもあり、まるで小さな美術館のようだ。
ローズハウスの第一号店は、すでに台中県龍井郷の観光名所になっている。ここには喫茶コーナーの他に、ボーンチャイナの器や薔薇をテーマとした絵画コレクションなどの展示スペースもあり、まるで小さな美術館のようだ。
ローズハウスで使用されているのはイギリスのエインズレイやウェッジウッドなどのボーンチャイナで、優しいムードにひかれるためか女性客が多い。
ローズハウスの第一号店は、すでに台中県龍井郷の観光名所になっている。ここには喫茶コーナーの他に、ボーンチャイナの器や薔薇をテーマとした絵画コレクションなどの展示スペースもあり、まるで小さな美術館のようだ。
薔薇を愛する黄騰輝氏は、すでに300枚以上も薔薇の絵を描いている。右は埔里の薔薇園で写生したもの。構図から色やタッチまで、どれをとっても素晴らしい傑作で、これが絵を学び始めて4枚目の作品とはとても信じられない。
ローズハウスで使用されているのはイギリスのエインズレイやウェッジウッドなどのボーンチャイナで、優しいムードにひかれるためか女性客が多い。
薔薇を愛する黄騰輝氏は、すでに300枚以上も薔薇の絵を描いている。右は埔里の薔薇園で写生したもの。構図から色やタッチまで、どれをとっても素晴らしい傑作で、これが絵を学び始めて4枚目の作品とはとても信じられない。
ローズハウスで使用されているのはイギリスのエインズレイやウェッジウッドなどのボーンチャイナで、優しいムードにひかれるためか女性客が多い。
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