土への遠い道のり
だが、野球の歴史がなく、リソースも限られる亀山小が野球部を作ることは容易ではない。学校にはそれらしいグラウンドもなく、標準野球場などあり得ない。子供たちは狭いバスケットコートや粗末な地下室のバッティング場で練習した。スライディングすればズボンが破れ、ボールを捕ればバスケットボードに当ったが、それがいつものことだった。
また、コンクリートの地面での練習は、標準野球場の土や芝生の代わりにはならない。環境も摩擦係数も大きく違い、ボールがバウンドする角度と高さに影響する。また、選手の走塁速度と視線(ラインが引かれたバスケットコートは、広い野球場より捕球しやすい)にも、明らかな差ができる。
実戦環境の感触を真似るために、陳正博と李政達はなんと、学校の講堂に帆布とビニルシートを敷き詰め、上に砂を敷いて水を撒き、走塁とスライディングが練習できるようにした。そして、台湾で最も「交流試合」をしたがるチームになった。交流試合でなければ、本物の野球場に立てないからだった。
子供たちの土への渇望を知っていたから「土集め」でモチベーションを上げる。試合に行ったら勝敗や規模に関らず、必ず球場の土を手に入れ、ガラス瓶に詰め分けてコレクションした。勝てば記念になり、負けた時には自分に檄を飛ばした。
2009年、亀山小は国民の期待を背負って、13年ぶりのウィリアムズポート・リトルリーグ・ワールドシリーズ決勝に進出したが、3対6で惜しくもアメリカ西部チームに破れ、小さな代表選手たちは涙にくれた。それでも忘れずマウンドの土を一掴み持ち帰り、「リベンジ」を誓った。映像が台湾に伝わると、テレビの前でファンは心を痛めた。
長年の厳しい訓練を経て実力をつけてきた亀山小学校野球部に、台湾のリトルリーグ栄光の夢が托されている。