彭士豪——肥料に付加価値を
1997年、彭士豪はわずか23歳の時に父親についてマレーシアに渡ったが、父が投資した木材加工場は金融危機に見舞われ、彼は、単一顧客を相手とする材料ビジネスは景気の影響を受けやすいことを知った。台湾で強い産業と言えばエレクトロニクスと農業で、彭士豪は農業の分野にチャレンジしようと考えた。
マレーシアは農業大国だが、その強みは量の管理である。一方、面積の限られた台湾では質の高い、きめ細かな農業が発達している。彭士豪はマレーシアの強みである大規模農業と台湾のバイオテックを結び付けることにした。
農業経営では、品種、気候、土壌、管理、病虫害対策、肥料が六大要素とされ、彭士豪は、肥料に目を付けた。最初は台湾の農業関連機関の協力を得つつ、独学で勉強した。中央研究院アカデミー会員である楊秋忠の『土壌と肥料』を片手に、一つずつ実践することにした。「振り返ると恐ろしいものです。やりながら勉強するのですから。素人の怖いもの知らずでした」と彭士豪は苦笑する。学校では電機工学を専攻した彼は、まるで農学部の学生のように、独学でバイオテクノロジー、土壌学、作物栄養学、病虫害対策などを勉強した。加えて田畑での実験も行い、最初は純粋な有機肥料だったのを、微生物と化学、有機を結合させた機能性肥料へと作り変えていった。
機能性肥料とは何だろう。彭士豪はスマホに喩えて説明する。肥料をAndroidシステムとすると、そこに加える細菌や微生物はアプリのようなもので、それぞれ異なる機能を持つ。従来の肥料は栄養を与えるだけだが、彭士豪は有機質と真菌を結び付け、肥料を機能化したのである。
従来の産業にバイオテックを運用しているのだと彭士豪は説明する。肥料は誰でも作れるが、特殊な処理を施して機能化させれば、製品は高く売れる。例えば、ただの泥は靴が汚れるので嫌われるが、それを瀬戸物にすれば価値が高まる。病気に抵抗できる微生物を肥料に加えることで、肥料を薬品として販売できるのである。
ACBTは2001年に創設し、2008年にようやく収支のバランスが取れ、今ではアジア最大の化学有機肥料メーカーとなった。マレーシアではシェア80%を誇り、その製品はマレーシア政府農務省の複数の部門から認証を取得し、フィリピンやインドネシアなどにも輸出している。
彭士豪は2009年にはスルタンから国家社会に貢献があったとしてDatoの称号を授与され、グリーン農業顧問に指名された。2010年、彭士豪はさらに中華民国・模範的海外華人起業家に選ばれた。その年、彭士豪が教科書としていた『土壌と肥料』は第九版まで重ね、著者の楊秋忠は彭士豪を同書の読者代表に指名した。
彭士豪の言葉には、真に努力した者だけが持つ誇らしさが感じられる。彼は付加価値の高い機能性肥料を生み出し、その産業の未来を切り開いた。さらに新しいプランも進めているようだが、その話はまた次回、と明かしてはくれない。「いまは創業時のような気持ちです」と楽しそうに語る様子から、新たな計画には大いに期待してよさそうだ。
全宇生技(ACBT)ホールディングズはアジア最大の化学有機肥料メーカーである。(ACBT提供)