社会の価値観の変化
目指す方向にしろ、夢にしろ、正解が得られるものではない。人生をどう生きるかの選択は無限にあり、興味や性格、経済条件や教育レベルなどによっても異なるからだ。だが、以前は社会の伝統的な価値観や親の期待などが大きく影響した。
キャリアプランの趨勢に詳しい「Career」の臧声遠によると、以前は進学が非常に重視され、価値観は単一で非常に保守的だったと言う。1940~60年代生まれの「目指す方向」は大学統一入試の学科別ランキングや親の期待で決まることが多く、自分で選択する空間はほとんどなかった。そのため、大学の勉強が辛く、就職してから、はじめてそれが自分の好きな道ではないことに気付く人も多かったのである。
1960年代生まれ、かつて台湾大学病院麻酔科の医師だった作家の侯文詠は、子供の頃から文学創作が好きで、しばしば先生に「こんなに勉強ができるのに、なぜもっと役に立つことに使わないの?」としかられたと言う。彼は親や先生の期待に応えて、医学部を目指すしかなかったのである。
侯文詠は台北医学大学医学部に合格した時の情景をこう描く。「父は大喜びで、家の門に爆竹の束を吊るし、私がどんなに嫌がっても火を付けた。それは私にとって最も感傷的な時期だった。立ち込める煙の中で、私は悲しく、割に合わないと感じていた。自分が失った青春はもう戻ってこないことに気付いたのである」
彼は医者と作家、博士課程学生、そして大学教員など数々の役割をきちんとこなし、36歳で博士課程修了が確定した時、歯科医である妻と相談し、医者の道を辞めることを決めた。「人からは羨ましがられても、自分は空しかったのです。両方やるということは、どちらにも心が入らないということです」
中年以上の世代は、大学統一入試の点数と親の期待で「目指す方向」を決めなければならなかったが、この十年は進学ルートが多様化して生涯教育が充実してきた。推薦入学も普及し、生徒たちは早くから自分の興味や将来の方向を考えるようになってきた。
社会の価値観の変化も若者の選択に大きく影響している。例えば、著名なシェフの阿基師やパン職人の呉宝春、服飾デザイナーの呉季剛といった優れたプロフェッショナルが広く知られるようになり、若者たちの憧れの職業像を形成している。
28歳の林修禾が手に持っているのは子供の頃にデザインした玩具やモノポリーの絵。その頃からずっと抱き続けてきた起業の目標だ。