ありがたい大先輩の教え
台湾に来て10年、Midi Zは一度も故郷に帰っていなかったが、2008年、故郷を描こうと思って一人でカメラを手にミャンマーに帰省した。翌年、彼は若手映画人を養成するプログラムである金馬電影学院に入り、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の門下生となって短編の『華新街記事』を制作した。
「侯孝賢監督は、リソースがなくても映画は作れる、かつては自分もそうだったと語り、さまざまなことを教えてくれ、励ましてくださいました。それで一人で映画を作る勇気が持てたのです」とMidi Zは感謝を込めて語る。台湾映画界の多くの大先輩が彼に目をかけた。
2014年、アン・リー監督は冬のニューヨークへ飛び、トライベッカ映画祭に唯一ノミネートされた中国語映画『冰毒(Ice Poison/アイス)』の上映会に出席した。上映会の後、リー監督は、Midi Zが限られた器材とリソースで、独特のテーマを明晰に表現する見事な作品を作ったことは素晴らしいと称賛した。そしてMidi Zに対し、映画は一人で制作する時と200人で制作する時とでは違う困難に直面すると経験を語った。実はその前夜、リー監督は夜通しの会議で眠っていなかったにも関わらず、ステージに立ってくれ、一緒に食事をする時間も取って励ましてくれた。このことに彼は大いに感激したという。
2010年、Midi Zは航空券を3枚購入し、プロデューサーと録音技師との3人で初めての長編『帰来的人(Return to Burma)』の撮影に向った。ミャンマー人の真の生活を描いた同作品は、釜山国際映画祭とロッテルダム国際映画祭にノミネートされ、ロッテルダム映画祭の直前、彼は正式に中華民国の国籍を取得した。
2012年の第二作『窮人。榴槤。麻薬。偸渡客(Poor Folk/貧しき人々)』はロッテルダム映画祭のHBF基金会の助成を受けることがでた。そして2013年末、彼は7人のクルーとともに中国・ミャンマー国境へ赴き、10日間で第三作の『氷毒(Ice Poison/アイス)』を完成させた。この作品は第64回ベルリン映画祭に出品され、エディンバラ国際映画祭では最優秀作品賞、スウェーデンのPeace & Love Film Festivalと台北フィルムフェスティバルで最優秀監督賞を受賞。そして2015年のアカデミー賞外国語映画部門にも台湾を代表して出品された。ノミネートには至らなかったが、その作品は高く評価されている。
脚本、監督、撮影、プロデューサーを一人で兼務し、1万米ドルで長編映画を創り上げる。その間にはドキュメンタリーフィルム『挖玉石的人(Jade Miners)』と『翡翠之城(City of Jade)』も完成させた。Midi Zによると、これら作品の物語はすべて彼自身の家族や友人と関わるもので、身近なものであり、語らずにはいられなかったと言う。「私としては、これらの物語を撮らないと、別のものが撮れないのです。『再見瓦城』も私の姉の物語です。12歳年上の姉の世代と現在の東南アジア華僑の台湾ドリームなのです」
2016年、イスラエルのスデロットで開かれた映画祭で、Midi Zの『翡翠之城(City of Jade)』がメインビジュアルに採用され、街中にそのスチル写真が張り出された。