自由、遊戯、動き
パフォーマーにしろ観客にしろ、路上はチケットを買って入る劇場とは異なる魅力がある。
まず、路上パフォーマンスなら気に入れば足を止め楽しみ、気に入らなければ立ち去り、面白くないものを我慢する必要もない。こういった観衆の離合集散と即興のやり取りが、自由で遊戯的性格を与える。
例えばある時、神遊記のメンバーの蛍生物はいたずらっ子の男の子がしきりに手を伸ばしてくるのに出くわした。同じく、いたずらっ子の蛍生物は、握手する振りをして、突然手を引っ込めて仮面の鼻をほじり、それから男の子と握手した。男の子は自分が注目されたことでご機嫌になり、周囲の観客はハプニングに大笑い、当然御捻りも倍増した。
匯川聚場の副団長で、バレエダンサーでもある王倩如にも、忘れられない路上の出会いがある。純白の月神を演じていたとき、その扮装は冷たく冴える二月の月に似つかわしかったものの、3時間立ち続けると骨身に応え、観客と近距離での演出に、複雑な思いを抱いていた。ある日、小さな女の子が母親を引っ張って目の前に何回もやってきた。好奇心を覚えたた王倩如は、女の子に「私を気に入ってくれたの」と尋ねてみた。女の子はコクンと頷く。それからいくつか問いかけに答え、あたかも仙女と出会った秘密を抱えるかのように、少女は嬉しげに帰っていった。
翌日、女の子は再び現れた。今回は華やかに着飾り、晴れやかな笑顔を浮かべ、お父さんの手を引っ張ってやってきた。パフォーマーと観客の間に温かいものが流れた一瞬である。
観客との一対一の心の交流も忘れられないが、路上パフォーマンスではしばしば観客との間に不思議なエネルギーが動き出す。Spoon de Chopのボーカルの片方励は、毎回空気の流れが違うという。時には人が集まりハイになって、踊りだす人もいれば、時には蒸し暑くて静まりかえることもある。さらに観客の方が楽しげに熱くなって、自分が刺激されてハイになることもあるという。
招かれてpubに出演したこともある片方励だが、ステージやライト、音響設備が整った屋内よりも路上のほうが好きだという。「ステージで隔離されていないほうが、お客さんと一緒の目線で楽しめます」と言うのである。日本での路上パフォーマンスの経験と比較して、日本だと観客は遠くから観察し、少しずつ近づいてくるのに対し、台湾人は最初の曲からすぐ側に立ち、好き嫌いや感情が直接伝わってくると言う。それが8年も路上に立ち続けてきたエネルギー源でもある。
格好をつけず、汚い言葉も使わないラップ歌手のハスキーは、可愛い犬の人形を連れていて、誠実で楽しいスタイルが人気を呼んでいる。パフォーマンス前にはいつも「俺は自分を創造する。今日も頑張るぞ!」と自分に言い聞かせる。