日本家屋に新たな華やぎ
保存状態が良く、修復が終わった斉東街53巷11号の日本家屋は、古琴学会に運営を委託し、展示と演奏会用に一般に開放している。これ以外にも、済南路の二軒の日本家屋が修復によってかつての華やぎを取り戻し、台北市の景色にもう一つ文化的香りを添えている。
文化建設委員会(文化部の前身)は、2009年に台北市政府文化局に幸町日本家屋群のうち済南路25号と27号の二軒の建物の修復を委託し、それが18カ月の修復工事を経て生まれ変わり、斉東詩舎と新たに命名されたのである。
龍応台文化部長は、著名なデザイナー陳瑞憲に空間プランを依頼し、建物の外観全体を整備すると共に、内部はできる限り既存の様式や特色を生かしながら、展示公演の場としての機能を果せるようにリフォームを行った。展示企画や管理は国立台湾文学館が担当する。場所は整備されたが、明確なコンセプトの企画と維持費の後ろ盾がなければ、箱モノとなってしまう。
斉東詩舎がハード面でもソフト面でも完成するに至るには、詩を愛し、自身でも詩を書く実業家欧陽明の尽力があった。成霖企業の董事長である欧陽明は国際的なバストイレ陶器、および蛇口等設備の事業経営に成功し、年間売上は200億台湾元に達する。しばしば世界各地を旅するが、どこに行くとしても、必ず詩集をカバンに入れ、5分や10分の時間でも詩を読むという欧董事長は、今後3年にわたる詩の普及と創作交流の予算として、斉東詩舎のために文化部に5000万元を賛助したのである。これが斉東詩舎にとっては、貴重な活動資金となった。斉東詩舎の正式な開幕の当日、文芸関係者は拍手をもって欧陽明董事長に感謝の意を表したのである。
予算の目途が立ち、斉東詩舎は開館した。同時に詩の復興活動も始まり、古い家は詩人が定期的に講座を開いて交流する活動の場に変身し、詩壇をリードする詩人たちが一堂に会して、文学のエネルギーをここに集めることに成功した。
他にも文芸に関する場は少なくないが、多くが総合的なクリエイティブの場として運用されているのに対し、斉東詩舎は詩のためだけの場である。著名作家の王鼎鈞もニューヨークから「詩の復興は文化の復興で、国家の大事である」と賛辞を呈した。
斉東詩舎の最初の展示は「詩、館蔵自筆原稿展」で、国立台湾文芸館所蔵の詩人およびその他作家の詩の自筆原稿を「台湾古典詩の美」「言語を超越する詩」「限界の無い詩」「フォルモサ、詩の台湾組曲」「周夢蝶記念展」の五テーマに分けて展示している。
展示エリアの曇りガラスに王鼎鈞の「有詩」―
「空に一抹の青が残っているなら、詩は残る
人が詩を書かなくなったら、鳥が書く
鳥が書かないなら風が、風が書かないなら、
蝸牛が、虫が書くだろう」が刻された。
これを通して詩人と斉東詩舎への期待を込めて、人の心に詩が深く根ざし、大気と大自然に満ちることを祈っているのである。
開館後、初の展覧会として開かれた「詩・館蔵自筆原稿展」。