台湾史に残る絵を
2019年、順天コレクション帰郷の披露記者会見で鄭麗君はこう挨拶した。「許博士は40年も前から我々のために再建計画を立てておいてくださいました。コレクションの帰郷が、我々のこの国を呼び覚まし、我々が自らを知ることができるように、自らについての完全な記憶を持つことで、我々が自らの魂を持てるようにと」
1年にわたる修復や整理の後、コレクション管理を任された国立台湾美術館は「海外の宝:順天美術館コレクション帰郷展」を催した。キュレーターの蕭瓊瑞によれば、順天コレクションは、1871年の石川欽一郎から1980年代生まれの新世代アーティストまで1世紀以上にわたる計195名の作品を有する膨大なものだ。そこでアーティストの出生年に従って四つの展示エリアに分けた。1920年以前の「蓊鬱」、1921~1935年の「豊采」、1936~1944年の「斐然」、1945年以後の「初炳」だ。展示に従えば長い時空を歩くのと同じで、台湾美術史や、台湾人が各時代をどう生きてきたかがわかる。
コレクションの幅広さがわかるよう、蕭瓊瑞は芸術家1人1作を原則に、芸術性や特殊性も考えて200点余りを展示した。例えば第1展示エリアの廖継春の「公園一隅」は、台湾伝統劇の歌仔戯でよく見られる赤、黄、緑などの鮮やかな色を用い、生き生きと春の風景が描かれている。
絵を大切にし、一生売らないと決めていた李梅樹は、許鴻源が幾度も足を運び、しかも胃病治療にと漢方薬も携えてくれたことなどに心動かされ、許鴻源に3作品を譲っただけでなく、許鴻源夫妻の肖像画も描いた。蕭瓊瑞によれば、印象派の登場以降、画家は写真のように忠実には描かないのが原則となったが、李梅樹はその慣例を破って写実的に描いた。しかも西洋でスーパーリアリズムが起こる10年近くも前のことだ。
エスニックや出自に関らず、許鴻源にとっては誰もが「自分たち」なので、中国大陸から台湾に来た画家の作品も多く集めた。例えば「耳氏」のペンネームを持つ陳庭詩が台湾のバガスボード(サトウキビ搾汁後の残渣で作った板)で作った版画「日與夜/太陽與月亮」は、抽象的なトーテムが赤、黒、金で表され、バガスボードによる荒い質感が加わって力強い作品だ。「モダンながら伝統的、またナチュラルながら文化も感じられる。宇宙空間での大衝突のようなものを感じさせるパワフルな作品です」と蕭瓊瑞は解説する。
世代をまたぐ順天コレクションは美術史の発展のさまをより明らかにする。第4展示エリアの芸術家は戦後生まれ、台湾の政治経済の発展を見てきた世代で、自由民主のテーマを扱っても題材や形式は奔放だ。例えば梅丁衍はミクストメディアによる内省的な作品を得意とするが、米国滞在中の作品「為什麼小提琴殺了琴師(なぜバイオリンはバイオリニストを殺したか)」は、バイオリンが弓矢になっており、深い寓意を持つ。
1980年代生まれの鄭栄得は米国在住の華僑二世だが、彼の作品「Pec-tioh、無路可退(退く道なし)」は、かつての台湾民主国の黄虎旗の描かれた黒衣を身につけ、顔半分を動物の仮面で覆った若者の立ち姿で、台湾史の再考が感じられる。蕭瓊瑞はこう考える。台湾は今やルネサンスを迎えており、芸術家は輝かしい歴史や文明の証しとされるべきである。順天コレクションによって台湾の人々が同じスタートラインに戻り、互いを理解し受け入れることで、台湾は新たに一つのまとまった文化の時代を迎えられるのだと。
許鴻源はすべての作品をカードで記録し、関連する報道記事や書簡なども整理しており、これらは貴重な研究資料となる。