またたくうちに20年が過ぎ、ファンの願いに応えて2015年6月、「フォークソング40――再びあの歌を」が開かれた。李建復を先頭に、李宗盛、潘越雲、齊豫など68名の歌い手によるメドレーで始まるコンサートには、台北と高雄のドームに3万のファンが詰めかけ、時空を超えて懐かしい70年代の歌を楽しんだ。
「光華」と同様、フォークソングも40歳を迎えた。「フォークの母」と呼ばれる陶暁清は、当時のブームをこう振り返る。当時の台湾の流行歌には自分を見つめるという精神が欠けており、「自分のことを歌おう」という意識の高まりが、新たな創作エネルギーに結びついたのだと。
「雲門舞集(クラウド・ゲイト舞踊団)の結成が我々より少し早く、小劇場の『蘭陵劇坊』が我々より少し遅かった頃です。高度経済成長の当時、芸術分野での創作エネルギーも高まっていました。若者が『自分たちの歌を』と運動を始めて私も嬉しかったものです」そこで、ラジオで歌作りを呼びかけ、各地から寄せられたアマチュア作品から良いものを選んで決まった時間帯に流した。すると大きな反響を呼んだのである。
「その番組を蘇来が楽しみにして、録音までして繰り返し聞いていたそうです。ある日、熊天益の作った歌が流れてきて、蘇来は、こんな簡単な歌が発表されるのなら、音楽好きの自分にも歌ぐらい作れるのでは、と思ったそうです」
後に熊天益は台湾語曲の作家になり、蘇来はシンガーソングライターとして台湾フォークには欠かせぬ人物になる。
歌を作る人、歌う人、そうした音楽を愛する人々を陶暁清は間に立って結び付ける役割を果たし、リスナーの言葉も創作者たちに伝えた。それが創作のエネルギーとなり、フォークソング運動はこうして始まったのである。
フォークソングは歌壇に旋風を巻き起こし、台湾の歌が広大な華語音楽界に浸透していった。馴染み深い当時の歌の数々は今なお多くの人に愛されている。台湾フォークは次の10年間も歌い継がれるに違いない。
最近の雑誌を読んで、本当に気に入ってます。大量の情報が安易にネットで飛び交う今日、文化の香り高い『光華』という雑誌があって我々は幸せです。
――陶暁清
(上)フォークソング運動の主要メンバーはしばしば陶暁清の家に集まり、曲作りについて語り合った。そのメンバーの多くが後に台湾音楽界の重要な存在へと育っていった。
(下)フォークソング運動は当時の台湾社会の創作エネルギーを反映しており、それがレコード産業の発展を促した。写真はかつての光華商場内のレコード店。