故郷に戻り、古い調べを収集
5歳で父を亡くして祖母に育てられたピ・タイルはタロコ語の環境で育ち、小学校入学時には華語があまり話せなかった。当時は方言禁止の教育だったため、彼は小学3年で不登校になり、大人に混じって造林を手伝ったりした後、台北に出てライフガードの仕事をしていた。だが3人の兄が亡くなって一人息子となった彼は、母の世話をするため1994年、故郷の秀林郷へ戻った。
ピ・タイルの妻、薛国芳はピアノと作曲を専攻した音楽家だ。ピ・タイルは1996年、妻とともに古い調べの収集を始める。そしてそれらの調べを編曲し、アルバム『太魯閣伝説』と『東拓』を制作、前者は仏カンヌで開かれる国際音楽産業フェアのMidemに参加し、後者は2015年に台湾のゴールデンメロディ・アワード伝統芸術部門で最優秀創作賞に輝いた。
収集を始めたのは、薛国芳が花蓮にあるレコード会社の依頼でタイヤルの民謡収集を手伝ったのがきっかけだった。原住民語の話せるピ・タイルにインタビューを任せ、薛国芳が記録した。3ヵ月続けたところでレコード会社は倒産。だが二人は100万元以上の借金をして調査を続けた。
20年に及ぶ収集を続けられたのはなぜか。タロコに嫁いだ漢人の薛国芳は低いハスキーボイスできっぱりと答えた。「名利のためでなく、ただ彼らのために真相を明らかにしたかっただけです」「お年寄りたちを訪ねると、あちこちで疑問が浮かんだのです」タイヤル族を訪ねたつもりなのにお年寄りは自分のことを「タロコ」と呼び、血縁者は数10キロ離れた万栄郷に住み、近所に住むのは異なる民族だと言う。
タロコ族は、タイヤル族やセデック族と同様に顔の入れ墨や出草(首狩り)の習慣を持つが、この3族は言葉も元の居住地も異なる。タロコ族という名称が政府に認められたのは2004年になってからのことだった。
長年をかけて収録した古い調べは、アルバム『太魯閣伝説』と『東拓』にまとめられた。