二度のレンブ革命
黄益豊は、台湾と大陸の要人が海南島視察の際に必ず訪問するレンブ王である。大陸の人々がレンブという果物をまだ知らなかった1999年、彼は海南島北東の文昌市で台湾のレンブの品種「黒金剛」を試験栽培し、この土地がレンブ栽培に非常に適していることを知った。
2001年、彼は海口市に金徳豊公司を設立した。だが、本格的にレンブ栽培に取り組むかどうか、決断に迷った。大陸にはレンブの市場さえ存在せず、リスクが大きすぎたのである。
最終的に、黒金剛が台湾市場を席巻した経験から自信を取り戻した。「高雄と屏東の1万ヘクタールで台湾の2300万人に行き渡らないのに、60ヘクタールで13億人に売れないはずはない」と考えたのである。
プラス思考でスタートした黄益豊の果樹園では、2007年には日産10トンへと躍進し、0.5キロ15人民元で1日当りの売上は30万元に達した。
金徳豊は、台湾企業として初めて海口市最大の果物卸売市場に集荷販売拠点を設けた。ここから大陸各都市へ販売していく戦略である。
黒金剛は大陸の冬の果物市場で人気商品となったが、その後成長が鈍り始めた。流通ルートを徹底的に研究した彼は、輸送に時間がかかり過ぎ、消費者の手に渡る時にはすでに傷んでいることを知った。
台湾では、南部の果物は収穫の翌朝には卸売市場に入り、当日中に消費者の手に渡る。だが海南島では農家の出荷から起算して上海の消費者に届くまで7日以上かかるのである。
そこで、海南台湾資本企業協会会長在任中に大きな改革をしたいと考えていた黄益豊は、生産と販売の両面で改善を行なうことにした。まずインドネシアから寒さに強いレンブの品種「大葉胭;脂紅」を導入し、果物運送会社を設立して海南全台のレンブ販売ルートを統合する。5年以内に台北の果物卸売市場と同様の運営モデルを確立し、農業企業や農家の生産時期を調整して過剰生産を避ける。
海口市雲龍鎮にある金徳豊の農場は海南島最大のレンブ生産地だ。地元出身の周光福農場長によると接ぎ木した大葉胭;脂紅はすでに生長し始め2年以内に3万株の接ぎ木が終わるという。
新品種は味は黒金剛に似ていて寒さに強いが、葉が大きいため風にやや弱い。これは海南島の台湾農業の第二のレンブ革命になると黄益豊は言う。
黄益豊はレンブを卸売商に0.5キロ10人民元で売るが、内陸では数倍になり、上海では30元、北京では50元になる。
海南島の果物革命と言えば、その第一人者は三亜市郊外に250ヘクタールの果樹園を経営する「マンゴー王」の洪肇銘を忘れることはできない。
台湾人が栽培する果物は、すべて高単価で大陸各地や現地の高級ホテルに販売される。写真は黄進道夫妻と彼らが生産したパパイア。