奶油酥餅(バターパイ)
酥餅、麦芽餅、太陽餅の区別がつかない人もいるだろう。「奶油酥餅」を生み出した「裕珍馨」三代目の陳穎政によると、物故した文化歴史学者の林衡道はかつて「酥餅は太陽餅の祖父」と位置付けたそうだ。
林衡道の調査によると、先人たちが大陸から台湾海峡を渡ってきた際、一緒に故郷の媽祖像を持ち込み、故郷で媽祖様にお供えした閩式(福建南部式)の焼き菓子を持ってきた。こうして閩式の焼き菓子が台湾に伝わったのである。
こうして酥餅は台湾中部の沿海地域に広まり、それがしだいに内陸部にも伝わり、物産の豊富な豊原一帯で、麦芽糖を生地で包んだ「麦芽餅」へと変化した。
麦芽餅は「太陽餅」の前身で、文献によると、阿明師と呼ばれた魏清海が酥餅を改良して「太陽餅」を開発し、それが台中銘菓となった。今では自由路に太陽餅の店が軒を連ねている。
台中大甲の鎮瀾宮の隣りにある「裕珍馨」は1966年の創業だ。陳穎政によると、祖父の陳基振は当時、菓子作りの門外漢だったが、三世代にわたる努力と研究の末、今では奶油酥餅は大甲の三宝の一つに数えられるようになった。
「現在の酥餅は第5世代です」と陳穎政は言う。どのように進化してきたのだろう。初代は重さで注文する伝統的な形だった。第2世代は規格化され、第3世代は生地の油をラードからバターへと変え、この時から「奶油酥餅(バターパイ)」と呼ばれるようになった。
第4世代はそこからさらに進化していった。人々の健康志向が進んで甘いものをあまり好まなくなったため、中華穀類食品工業技術研究所とともに研究し、甘みのもとを一般の糖類からオリゴ糖に変更した。こうして風味は変わらず、身体への負担は少ないものとなった。第5世代では、生地の製造工程を変更した。それまではパイ生地の部分が何層にもなっていて、ぶつかるとすぐに崩れてしまったが、蜂の巣の六角形の原理からヒントを得て、それをパイ生地の製作に応用したところ、大きく崩れることはなくなり、ハチの巣状の生地が生まれたのである。
伝統の酥餅の材料はシンプルで、ラード、小麦粉、麦芽糖だけである。しかし、裕珍馨がその酥餅にこれほど真剣に向き合うのは、かつて「1回の御神籤と6回の聖筊」という媽祖様のお導きがあって「裕珍馨」を始めたからである。
オーブンから出したばかりのパイナップルケーキ。やや不規則な形に手作り感がある。
台湾式の焼き菓子は中華菓子の伝統を受け継ぎながら、ローカルな食材と創意を加えることで台湾らしい特色を打ち出してきた。
昔の焼き菓子はシンプルで、小麦粉と砂糖の味だけだった。写真は昔ながらのニンニクを使った焼き菓子。甘い中にニンニクの辛味が効いている。
「顔新発」四代目の顔栄慶は、年配者の好む昔ながらのパイナップルケーキ作りを守り続けている。
「老雪花斎」三代目の呂弘仁は、「緑豆椪」は焼く時に途中で裏返すのを忘れたために生まれたという話をしてくれた。
「老雪花斎」のパイナップルケーキは、従来通り生地にラードを練り込んでサクサクに仕上げている。
昔は宗教が甘いもので信者を集めたことから、今でも寺廟の周辺には菓子店が集まっている。