性別のイメージを超えて
「女性映画祭」と聞くと、女性が見る映画をやっていると思うかもしれないが、もしそうなら女性だけのサロンのような限られた集まりになってしまう、とキュレータの羅珮嘉は言う。ここ数年は男性客も増え、実習生に応募してくる男性も多く、フェミニストだと自称する若者も少なくない。「ジェンダー主流化、流動的な性愛、パフォーマンスのダイバーシティ」といった言葉が大学生の間で日常的に語られるようになり、そうした社会の変化に羅珮嘉も目を見張る。
女性映画祭と言えば「女性の権利」「クィア」などを思い浮かべるのは固定観念かと羅珮嘉に問うと、そんなことはないという。それらは基本的な問題で、そこから徐々に多様なものにふれてもらえればいいと。例えば今年は、クィア、ジェンダー暴力や労働権、女性監督によるSFやゾンビ映画など、11のテーマに分かれており、レズビアンのゾンビ映画まで登場する。
女性映画祭との縁を、羅珮嘉は笑いながら語った。故郷の嘉義に戻ると中正大学でちょうど女性映画祭をやっていて、女性映画祭をよく知らないまま行き、家庭内暴力を扱った作品を見た。観客の多くが眠りこける中、幼い頃に家庭内暴力の「目撃者」だった彼女は心を動かされた。後に台北で女性映画祭が字幕翻訳者を募集しているのを見て、試しにと応募したのがきっかけだった。
20歳でこの世界に入り、今や40歳、羅珮嘉は翻訳から版権契約、作品選択、マーケティングと経験を積み、実行委員長やキュレータの肩書を持つようになった。両親の離婚で母親に育てられた彼女は女性が自らの力で夢を追うのを見てきたが、いつか結婚して子供を持つと当たり前に思っていた。それも映画祭に関わって変わった。「ほかの人の目には私は『負け犬、売れ残り』かもしれませんが、私はむしろ誇りたいほどです。自分のしたいことを追う自由がありますから。かつては女性に負わされた義務しか見えませんでしたが、今は多様で自由な女性像が見えます」
波の先端に
「Women Make Waves」と映画祭の英語名にあるように、女性映画祭は思想の波を起こすことを目指す。映画祭が先駆となって道を切り開いて示そうと、毎年取り上げるテーマもさまざまだ。家庭内暴力、セクハラ、ジェンダー暴力などベーシックな問題のほか、昨今世界的な動きとなった#MeTooやTime’s Up、或いは同一労働同一賃金など、「新たなテーマを探り続けることが重要な方向です」と羅珮嘉は言う。
また女性映画祭では作品を通して性欲の自主性を語る。女性の視点で作られたアダルト映画の特集をした年もあり、例えば作品紹介には「女性の性愛の自由を主張することは、性的快楽の自主性を取り戻すだけでなく、権力の下での性の複雑さを明らかにすることでもある」と書かれていた。男性目線でのアダルト映画に対する反動もあり、この年は多くの議論が交わされた。
以前と同じテーマでも必ずそこにトレンディなものを加える。例えば出産を扱った作品は毎年登場する。初期には女性にとっての母性がよく論じられたが、今年はトランスジェンダー男性による出産や精子ドネーションなどが語られた。
女性映画はあらゆるジャンルにおよぶ。上の写真はゾンビ映画部門の『By Day’s End』、いずれも女性映画のイメージを広げてくれる。