「熊のいる国」大分
黄美秀の院生とボランティアがこうして山や谷を越えて大分までやって来るのは、昨年10月以来すでに5回目だという。玉山国立国家管理処からツキノワグマ研究の委託を受けてプロジェクトを開始した2006年から数えると5年目になる。
黄美秀が大分と深くかかわるようになったのは、彼女の博士論文がきっかけだ。
黄美秀が1996年にアメリカで博士課程を開始した際には、修士論文のテーマだったカニクイマングースを引き続き研究するつもりだった。ところが、ツキノワグマの大家であるDavid Garshelisの研究に心酔したことから、思い切ってその門下に入り、難度の高いツキノワグマ研究を始めることになったのだ。
当時、台湾の学界でツキノワグマ研究はあまり行われておらず、わずかに師範大学生物学科の王穎教授による台湾全土での初歩的な分布調査があるだけで、生態や習性、数といった基本資料はほとんどなかった。
台湾ツキノワグマの習性や行動範囲を知るためには、捕獲した後、再び放すという従来からの方法しかなかった。そこで黄美秀は台湾に戻り、拉拉山、出雲山、玉山国立公園など、クマ出没の可能性の高い場所を選び、60数ヵ所に餌を置いておびき寄せようとしたが、いずれも失敗、わずかに玉山国立公園瓦拉米への途上の木の幹にクマの爪痕を見つけただけだった。
原住民ブヌンの狩人たちへの訪問で得た情報は一致して、「クマを捕まえるなら大分へ」というものだった。その辺りで冬に実るドングリを食べようと、多くのツキノワグマが集まるからだった。黄美秀が現地を訪れてみると、確かにクマの糞、爪跡、足跡があちこちに見つかり、彼女は、学界では困難とされていた大分を研究地に選ぶ決心をしたのである。
2年余りの研究期間、玉山管理処のベテラン巡視員である原住民ブヌンの林淵源の協力を得て、彼女はあちこちにワナを仕掛けた。すると予期せぬことに15頭もが次々と捕獲された。タイワンツキノワグマは頭がよく、ワナの中の餌だけを食べられてしまうことが多く、捕獲にはクマと知恵比べをしながらワナを改良していく必要がある。しかも重い麻酔箱を抱えてワナを巡回し、近くで餌を窺っているかもしれないクマに気をつけながら待つのは、忍耐と勇気の要る仕事だった。
黄美秀は初めてクマを捕獲した時の窮状を思い出す。大雨の中、猛り狂って暴れるクマを目の前に、麻酔針は命中しないし(吹き矢で飛ばす)、命中してもクマに振り落とされてしまうのだった。2頭目、3頭目となって次第に麻酔を打ち込むのにも慣れたが、その後も、体重測定や採血検査、チップの埋め込み、発信機の取り付けといった作業を迅速に終え、しかも麻酔の効いているうちに付近に身を隠し、クマが目覚めて無事にその場を離れるのを確認しなければならない。
しかも、クマに発信機を取り付けた後は、山奥でのクマの追跡という長きにわたる任務が待っている。
道なき道を行くため、黄美秀もメンバーも優れたサバイバル技能を身につけている。先頭に立って川を渡るのは黄美秀だ。