即興スタイル、台湾のジャズ
即興というのも唸歌のもう一つの魅力である。
歌の内容は歌仔冊(台湾語の古歌本)を基本とし、時事や社会的テーマを取り入れて観客の興味を唆る。詞は同じでも、さまざまなメロディーに合わせることができ、会場の観客の反応を見て、テンポを変えられる。ベテランの吟唱者となると、随意に即興で吟唱できる。まさに、唸歌は台湾のジャズなのである。
それだけの技術は、数多い実践の経験で築かれるものである。昔の演芸では、語りの芸で足を止めさせ人を集めた。それに続くのが物販で、中でも薬売りが一番多かった。儲見智によると「昔の吟唱芸能は、漢方の医者のように見たり聞いたりしながら、お客の顔色や気配を伺います。話が一段落すると、お客に向かって、最近よく眠れていないのではありませんか、などと聞いて、薬を勧めるのです」と、薬売りのコツを語る。
楊秀卿も昔は伝統的な手法で吟唱を主としていたが、その後、台詞を曲中に挟んで、語り歌う長編の歌を構成し、台詞で説明するようになった。林恬安は「先生は目が見えないので、薬を売る時にお客が去ってしまわないように、台詞と歌を混ぜて、ストーリーに緊張感を持たせ、客が離れないよう工夫したのです」と説明する。
この唸歌独特の伝統芸術の表現形式が、新しい世代の興味を惹いた。雲林科技大学の視覚伝達設計学科の学生黄宇謙、張芳榕、王柏仁は、卒業製作に台湾的なものをと考えて儲見智を訪ね、半年余り研究を重ねて、共作を決めた。
微笑唸歌団は以前にアルバムを出していて、次はビデオ制作を予定していたが、雲林科技大学のチームが加わって、ビデオのビジュアル効果が豊かになった。脚本は「哪吒、東海を騒がす」を本とし、時事的題材を加えた。哪吒は母の胎内に3年6カ月留まったので、現在の台北市長で医者の柯文哲に診断を請うなど現代風のアレンジを加えた。ビデオにはストップモーションを多用し、歌詞の手書きや切り絵など、コラージュの効果を上げ、奇抜な手法が生きていて、伝統的な唸歌に親しみを加えた。
しかし、儲見智によると、即興性が雲林科技大学のチームに大変な苦労をかけたという。唸歌は即興で歌詞や歌い方を変えるが、ビデオ撮影は事前に秒単位で動きを設計していて、変更はできない。録音前に物語の内容や脚本を楊秀卿に説明しているが、録音の結果は毎回異なってしまい、ビデオ制作に影響してしまった。
それでも新旧世代が協力したこの作品は、ドイツのレッド・ドットデザイン賞を受賞し、台湾の無形文化遺産である唸歌を世界に知らしめた。
8月中旬の午後4時、太陽が傾きかけた頃、台中勤美術館の芝生に多くの人が座っていた。ステージに立った楊秀卿は「98歳の老婆の歌を聴いておくれや」と人々に呼びかけた。微笑唸歌団の儲見智と林恬安は師匠の両側に立ち、大広弦と月琴を抱えると、師匠の左手は棹を素早く動き、右手の撥が弦を掻き鳴らす。林恬安が口を挟んで笑いを取り、儲見智はすかさず、ここは拍手ですよと声をかけ、観客はつられて大爆笑となる。
百年の歴史ある都馬調のメロディーが空中に漂い、梁山泊と祝英台の物語が語られる。私たちも、「さあ、唸歌をお聞かせしましょう」という開始の台詞を、これからも台湾のこの地に末永く聞けることを期待する。
台湾伝統の唸歌を伝承するために、師弟は今も揃って舞台に立つ。
「唸啥咪歌」のミュージックビデオはコマ撮りの手法で作られている。手書きの文字や切り絵を用いたコラージュの手法で、伝統の唸歌をより親しみやすいものにした。
弦を爪弾きながら「さあ、唸歌をお聞かせしましょう」と今も物語を歌い続ける楊秀卿。