達人は民間に
同じく南横霧鹿ウルトラマラソンの創設者である呉宏達は、関山鎮で歯科医をしており、また台湾で初めてUTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)で中華民国の国旗を掲げて完走した人でもある。
「実はマラソンを始めたのは42歳の時なんです」と呉宏達は言う。大学時代から登山を始めたが、トライアスロンに参加するためにランニングを開始した。最初は苦しく、1キロ走るだけで息が切れたという。初めてトライアスロンを完走した時、帰りのバスに立って乗ることもできなかったと言う。彼は毎日、歯科医としての診察の合間の昼休みに10キロ走り、夜も10キロ走ってきたところ、100キロマラソンも走れることに気付いたのだと言う。
「マラソンは麻薬のように中毒になります」と呉宏達は言う。彼は2004年に14日をかけて台湾一周1100キロのマラソンに参加した後、モンゴルのウルトラマラソンに出場、さらに世界で最も過酷と言われるイタリアのTDG(トルデジアン・グレートレース)の6日間のウルトラマラソンにも参加した。「TDGは本当に浄化の旅でした。毎晩眠るのはわずか1時間ほどで、標高2500メートルまで登った時には梵語の幻影が見えました。ゴール前には大勢のお年寄りや子供の姿が見えたのですが、それらも幻影だったのです」マラソンの苦痛は喜びのプロセスでもあるのだ。
こうした極限の経験から、彼は88歳の母親を玉山登山に連れて行き、また母親は90歳の時に台北マラソンに参加し、ニュースになった。
こうして世界各地のウルトラマラソンに参加した呉宏達は、帰国後に故郷でマラソンを開催することにした。「故郷を走ると、こじんまりとした良さと温もりを感じます」と言う。「一年を通して緑の山がこれほどたくさんある国は他にはありません。自分の足でこの道を走れば谷底の石もきれいに見え、ひとつ角を曲がるとまた別の景色が広がり、何度走っても感動します」と言う。

南横霧鹿ウルトラマラソンのコースからは台湾百岳の数々が一望できる。(傅祺育提供)