技術であり、歴史でもある肉圓
肉圓というB級グルメは、台湾にとって技術であり、歴史でもある。
早朝6時、北斗の「肉圓瑞」の厨房では、2人の職人とおかみさんが慣れた手つきで肉圓を作っていた。タケノコの角切りと下味をつけた豚肉を炒めて錫の型に入れ、澱粉粉の生地で包み、素早く肉圓を取り出す。作り方が異なるので、3人の作る肉圓の見た目は少しずつ違う。「昔はこの型は注文して作っていて、職人は一生使ったものです」と言う。
厨房は五香粉と米粉の香りにあふれ、傍らの機械が澱粉の生地を攪拌しているが、その鍋は火にかけてある。こうすることで、歯ごたえのある生地になるからだ。3代目の店主、范士賢は、子供のころから父親について肉圓作りを学んできた。その話によると、肉圓で最も重要なのは生地と餡の比率だという。最もふさわしい量の餡を入れて包む必要があり、それを15分間蒸した後は扇風機を当てて冷まし、さらに冷凍庫へ入れる。
毎年、媽祖の巡行が通る北斗では、媽祖の神輿が廟に入る前に宮前街を通る。肉圓瑞は以前、その近くに店を構えていたため、初代店主の時代から、自転車で巡行に付き従ってきた「鉄馬隊」の人々に肉圓をふるまうようになり、それが今では伝統となっている。
もう一つの北斗の老舗「肉圓賓」は、省道·台1号線沿いにあるため、多くの有名人が訪れ、店主と記念写真を撮っていく。その中には、店主の張凱偉が総統府に招かれて国賓晩餐会に肉圓を提供した時のものもある。
厨房の中で、おかみさんは肉圓を包んでいる。テーブルに並んだ調味料の瓶を指さし、「私たちは五香粉は使わず甘草を使います。自分たちで粉に挽いています」と言う。実家が漢方薬店を開いていることから、彼女は甘草をソースに加えており、この甘味が豆鼓の渋みを中和し、味わい深いものになるのだそうだ。「肉圓を作るのは簡単だと言う人も多いですが、サツマイモ粉の生地を手で自在に扱えるようになるのは簡単なことではありません」と言う。
店主の張凱偉は若いころは重量挙げの選手で、今は練習していないが、肉圓作りにも同じように完璧を求める。彼は、揚げ油の入った鍋の横に、ボウルに入った生地を置いている。冷凍した肉圓を揚げるときに変形しないよう、少し生地で整えるためだ。張凱偉にとって、お客からの「おいしかった」の一言は、競技場での栄誉と同じぐらい大切なものなのである。
大都市の台北でも、さまざまな肉圓を食べることができる。「阿財彰化肉圓」は創業40年以上になる。ここの肉圓は皮がサクサクに揚がっていて、彰化から台北に出てきた人々に愛されているが、それでも店主は、台北人の味覚に合わせるため、あまりサクサクになりすぎないようにしている。店主はお客に、まず何もつけずに食べ、それから甘いソース、続いて辛味ソースをかけ、最後は店の豚の骨のスープを注いで食べれば、幾層もの味わいが楽しめると勧める。もう一軒、路地裏にある「剣潭肉圓王」は40年にわたって蒸した肉圓を提供してきた。店主は雲林の出身で、生地に使うのはインディカ米の粉の割合が高く、水と粉の比率を調整して薄めにし、さっぱり食べられるようにしているそうだ。
作家の陳淑華が作品『彰化小食記』で述べている通り、家庭の味と故郷の手軽な料理こそ、自らの出自と地域とを結びつけるものだ。台湾各地の肉圓から、現地の歴史と地域の人々の味覚を探ることができる。
たった一つの肉圓から、先人と環境との関係が垣間見え、また現代台湾のB級グルメの技が見て取れる。いくつかのシンプルな食材を少し調整することで全く新しい味わいが生まれる。肉圓は技であり、歴史を紐解くきっかけでもあるのだ。
台湾各地の肉圓から、それぞれの地域の歴史や人々の食の好みがわかる。
彰化県北斗の肉圓職人は餡と生地を型に入れ、それを起用に取り出す。
屏東県の蒸した肉圓の餡は肉だけのことが多く、ソースに浸っている。
屏東県東港の正宗肉丸では、蒸したものと揚げたものの両方が食べられる。
北斗肉圓はあまり高温の油では揚げず、油に浸したような状態にする。