一つひとつの提灯に物語が
台南府城の形は北へ向かって飛ぶ鳳の姿に似ていると言われる。普済殿はその鳳の鼻先の位置にあり、台南の繁栄を守るとされてきた。「台湾を知るにはまず台南から、台南を知るには普済殿から始めなければならないと言われてきました」と話すのは普済文史研究協会の蒋文正だ。普済殿は台湾で最も古い王爺廟で、台南府城の外で池府王爺を祀っている。海を渡ってきた先人たちは、安平港から上陸したが、台南府の城門が開いている時間に間に合わなければ、城外で夜を明かさなければならず、そのために普済殿の周辺には宿が設けられていた。
かつて普済殿には引きも切らず参拝客が訪れ、一帯の商業は発達していた。廟の重要な文物である「聖諭」牌は、かつて当局がここでお触れを出していたことを示している。子供の頃からこの廟の近くに住んでいた蒋文正によると、昔は旧暦6月の池府王爺の生誕記念日になると、歌仔戯(台湾オペラ)が神楽として一ヶ月にわたって演じられたという。当時の廟のにぎわいがわかるというものだ。
しかし、都市計画で周辺の道幅が拡張されると町の様子は変わり、普済殿のある国華街と海安路の一帯は静かな一角となってしまった。
蒋文正は幼い頃からの友人数人と一緒に、廟のかつてのにぎわいを取り戻したいと考えて「普済文史研究協会」を設立した。そして、歴史を整理すると同時に、付近住民に声をかけて提灯を手作りしてもらい、廟でランタンフェスティバルを開催することにしたのである。
こうして十年続けられてきた普済殿のランタンフェスティバルには、遠くからも多くの観光客が訪れるようになり、旧正月の台南の見どころのひとつとなった。しかし「フェスティバルはひとつの舞台に過ぎず、これを通して地域の住民のつながりが生まれることの方が重要です」と蒋文正は言う。ここに飾られるランタンの絵はすべて住民が手で描いたもので、ボランティアがそれにニスを塗って飾っているのだ。これらを廟の広場に吊るし、明かりを灯すと色とりどりの提灯が輝き、美しい光のトンネルができあがる。
だが、最初から成功したわけではない。最初の頃は協会のボランティアが一軒ずつ家を回って、提灯の絵付けを依頼したが、回収できたのは5割ほどに過ぎなかった。また、点灯する前夜に雨になり、提灯が駄目になってしまったこともあった。すると、普済殿周辺の商店や住民が仕事を放り出して廟の広場に集まり、破れた提灯を一つひとつテープで直してくれ、夜中の3~4時までかけて提灯を飾り直したのである。「これこそ『普済の精神』です」と蒋文正は言う。
普済殿ランタンフェスティバルを積極的に推進してきた蒋文正。