塩埕 海洋都市へ
邱さんはこうした商港の生活感に心惹かれている。故郷に戻った理由について、「最初は単に、子供の頃に好きだった塩埕がなくなってしまいそうだったからです」と語る。
祖母の店は、1990年代に輸出業に転換したため、使われないままになっていた。慣れ親しんだ空間は残したいと思いながらも、新しい時代となった今、空間に新たな機能を与えなければならないと邱さんは考えていた。改装工事では、空間の歴史と軌跡が保存されたとともに、祖母と自身が生まれた1930年代と1980年代にちなんで「叁捌旅居」と名付けられ(後にワークショップとなり、「叁捌地方生活文化」と名称変更)、世代から世代への継承が象徴されている。
故郷に戻ってからは、邱さんも塩埕の不均衡に気づいた。古いより新しい方が良いと誰もが考え、古いものは消えていくばかり。また、駁二芸術特区に大量の資源が投入され、かつて賑わいを見せた旧市街を訪れる人は逆に減ってしまっていた。
邱さんには「塩埕第一公共小売市場」をリノベ―トし、古い空間に新たな機能と意義を与えたいという思いがあった。そこでまずは市場でテナントブースを借りて、中古品交換場の「叁捌菜攤仔」をオープンした。市場の一員となってから、元々そこで商売をしていた人と話して理念を理解してもらったのだ。続けて邱さんのチームは他のテナントブースを借り、そこに出店してくれる若者を募集して市場に進出してもらった。その結果、この伝統市場では、豚肉屋の隣に創作料理屋が出店し、魚のすり身フライが売られ、座って一杯やりながら、ブリトーを頬張ることもできる。こうした「若者・シニア共同市場」は若い世代が市場へ足を運ぶことにもつながっている。
2020年には、邱さんは「高雄銀座」(現在の「国際商場」)で見つけた空間を、宿泊を主とした複合型スペース「銀座聚場」として、古い空間の可能性をさらに広げる試みもおこなった。「叁捌」チームの影響で、塩埕はもはや古い建物を取り壊すだけの街ではなくなった。古い空間を活用して新たな創造性を育もうとする人や、古い街の中で新旧が織り成す塩埕の雰囲気を知りたいという人が増えている。
塩埕の歩んだ道のりを知ると、行ってみたいという好奇心が湧いてきたのではないだろうか。邱さんのアドバイスを参考に、ライトレールに乗って高雄ポップミュージックセンターまで行き、駁二芸術特区から徒歩で旧市街を散策するも良し、フェリーに乗って海上から高雄港を眺めたり、港を散策するも良し。商港から生まれたこの街と港が、いかに密接に生活と結びついているかをより感じられるに違いない。
塩埕の人たちの信仰の中心である「三山国王廟」では、太陽神を祀る伝統が今も守られており、信仰と伝統産業である塩乾燥業とのつながりが見て取れる。
高雄市立歴史博物館は、高雄の発展の軌跡を集めている。塩埕区にあるここは、かつての高雄市役所と、高雄市政府の跡地だ。
瀬南街にある葉さんの「洋服お直し屋」は、塩埕に唯一残る屋台店だ。屋台店はショッピングエリアの過度な混雑に対応して設けられ、アーケードや路地のわずかな隙間を利用して商売をする。かつての塩埕の人波みが容易に目に浮かぶ。
邱さんは、塩埕で最初の公共小売市場を若者とシニアの共同市場としての空間にすることで、「市場に行く」という思い出やそこでの交流を残していきたいと考えている。
潜水用ヘルメット、六分儀、星球儀など、黄道明さんの店はコレクションであふれ、まるでタイムトンネルに入ったように、高雄の船舶解体業の記憶の一部を残している。