人生の意義を求めて
「私はずっと人生の意義を求めてきました。でも人生においては何事も砂時計の砂のように一瞬で終わってしまい、止めることができないのです」と話す。呉美慧は嘉義の公務員の家に生まれた。父親は台湾電力に勤務していて、仕事の関係でしばしば引っ越さなければならず、彼女は中学の頃から教会学校の寮に住んで勉強していた。幼い頃から不公平なことに我慢が出来ず、庶民の声を代弁する記者になろうと決意する。
輔仁大学中文学科を卒業して新聞社に就職し「工商時報」紙などで十数年にわたって証券関係の記者を務め、「商業週刊」誌にも勤めた。35歳の時に友人と資金を出し合い、金融商品の企画とマーケティングを行なう会社を設立、いくつかのファンドを成功させた。
2000年、37歳の時に躁鬱病になり、訳もなく大声で泣いたり、車を猛スピードで走らせて橋げたに衝突したくなったりした。2002年、躁鬱病の症状は大幅に改善し、病気の経験を綴った『谷底から陽光を見る』を出版する。人生の幾つかの転機で、彼女は常に輝かしい業績を残してきたし、取材という仕事で多くの友人も得てきた。
「私は常に階段を上へ上へと上り続け、決して下を見ず、頂上までの距離ばかり考えていました」死ぬ時に悔いが残らないよう、彼女は一分一秒を真剣に働き、生き、人生のすべての段階で核心価値を見出そうと努力して、全力で取り組んできた。しかし自分の力では醜い世界を改善できないと感じ、どんどん落ち込んでいったのである。
自分に高いモラルを課す彼女は、工商時報に勤めていた時には、自分が取材したファンドには手を出さず、年末に企業が贈る株も断ってきた。
会社を経営していた時は大手銀行のためだけに働きたくないと思い、名もないファンドの知名度を上げて数十億もの資金を集めさせたが、その会社は正統派の運営をせず、ファンドは続かなくなって多くの個人投資者が被害を被った。自分が間接的に多くの人を苦しめたと、呉美慧は自分を責めた。
行き詰まる
2004年、大切な人々の急逝が彼女に大きな衝撃をあたえた。尊敬していた先輩が突然亡くなり、「精神的支え」だった香港スターの張国栄が自殺し、さらに彼女を担当していた精神科医が末期ガンを宣告された。人生において最も重要なものが崩壊していくのを感じて人生の先が見えなくなった。「すでにあらゆる物事を経験してきた。ここから先に進むには、死しかないのではないか」と考えるようになった。
2005年、気晴らしにアメリカを旅したが、ニューオリンズで最後の大打撃を受ける。ニューオリンズでの6日間、彼女は人々の際限のない放埓ぶりに触れ、貧富と人種の差を目の当たりにして「嫌悪で吐きそう」になった。帰国後、彼女は書類を用意し、衣服を処分し、リチウム塩を蓄え、死の準備にかかった。あまりの冷静さに、友人も家族も何も気付かなかった。
その後は、長い臨死体験である。
暗闇を何かに追われて走っていた。すると、ある力が彼女を守り、暗闇の力と戦い始めた。何度か宙に浮いた後、突然丘の上の草原に立っていた。一筋の光が降りそそぎ、その時はっきりした声が聞こえてきた。「あなたの不知は、あなたの無知と未知によるもので、私が存在しないことを意味してはいない」と。
頭の中が入れ替わる
「その瞬間に、何も考えることなく、それがイエス・キリストだと分かりました」実は彼女はずっとキリスト教に抵抗していた。病気の時に精神科医から聖書を読むよう勧められ、厳格な理性の束縛を解いて信仰に近づくべきだと言われたのだが、聖書に手をつけることはなかったのである。そこで彼女は、キリストに向って「冗談はやめてください。私にキリスト教を信じろなんて」と言い返したが、その声は「私についてくれば間違いない」と答えた。
その後、いくつも不思議な光景を目にした。まず、日の出とともに働き、日が沈むと休む田園の人々がいた。続いて荒野に移り、エイズやガンなどの重病患者に出会い、その中に先の精神科医もいた。最後に家族や友人の声が聞こえた。母親が「もう唾を吐かないで」と言い、2人の友人は「どうして美慧をここまで追い詰めちゃったのかしら」と言い、姪は「おばちゃん頑張って、岸で待っているから」と言った。
10日間の昏睡の後、彼女は奇跡的に目を覚ました。臨死の間に聞いた家族や友人の声はすべて事実だった。そして、あの荘厳な声はずっと耳に残り、数ヵ月後、彼女はキリスト教徒になった。
「以前の自分は南からしか山を見ていませんでした。そこから見えるのは禿山で、山の裏側の花が咲き乱れる様子は見えなかったのです」と言う。その裏側を神が見せてくれた。「神を通して、私は死だけが唯一の選択ではないことを知りました」と言う。その瞬間、頭の中が入れ替わり、すべての物事が新しく生まれ変わったのだと言う。
いま彼女は毎日夜明けとともに起きて聖書を読み、瞑想し、心に多くを得られるようになった。例えば「出エジプト記」で、イスラエルの人々は荒野を行く時に神に見守られて非常に幸福だが、実は、それ以前からずっと神とともにあったことに気付いていない。呉美慧は年初に亡くなった精神科医が生前に聖書を贈ってくれたことを思い出し、すべてが神の思し召しだったと話しつつ涙を流す。「さもなければ、なぜ神が私を助けてくれたのでしょう」と。
天からの声
ずっと苦しんできた拒食症からも解放され、体重も気にならなくなった。
長年うまくいかなかった父親との関係も改善してきた。しばらく前に両親が彼女に会いに来た時、つまらないことで父親と口げんかになった。翌朝の瞑想で彼女は深く反省し、父に詫びる手紙を書いた。「不思議なことに、父の目の前で、怒らないでと頼むことができたのです」以前の自分は、自分も他人も愛せず、立派なことをしなければ誰からも愛されないと思っていた。親に対する愛情も物質でしか表現できず、それでも父を喜ばせることができなかった。今回のことを通して、愛は無条件に差し出すものだということを知り、ようやく人を愛せるようになったことに感動した。
では、生命の意義は見つかったのだろうか。呉美慧は今もよく分からないという。だが焦りはない。時が来れば、神が自然に答えを与えてくれると信じているからだ。こうした確信と忍耐力に、彼女自身が驚いている。以前の彼女なら、答えが見つかるまでとことん追求し、自分も人も疲れ果てさせていたからだ。