夏の終わり、涼しい海風が吹くようになっても観光客は減らない。開元港で船を下り、島を一周する環島道路を北へ向かう。蘭嶼の北端、島の6つの集落の中でも言語と文化がもっともよく保存されている朗島は目の前だ。
小さな家の中には資料や物が散乱し、傍らには「952 VAZAY TAMO製刊社」が出したばかりの雑誌第3号が積まれている。
雑誌の名称『952 VAZAY TAMO』の「952」は蘭嶼の郵便番号、VAZAY TAMOというのは蘭嶼に暮らすタオ族の言葉で「私たちのこと、私たちの仕事」という意味である。出身も背景も異なる6人の女性たちが、この島で力を合わせて活動している。
離島の視点で蘭嶼の声を伝える
昼間はそれぞれ別の仕事を持つ編集スタッフが、忙しい一日を終えて作業場に集まり、取材を受けてくれた。「この雑誌は、日本の独立系メディア『離島経済新聞』に触発されて構想したものです」と話すのは、最初に雑誌発行を提案した「952 VAZAY TAMO製刊社」執行ディレクターの呉欣潔だ。
その話によると、日本の『離島経済新聞』は日本の離島のあれこれを紹介する新興の刊行物である。最初はフェイスブックやツイッターなどのSNSから始めて好評を博し、今は印刷媒体も出している。台湾にはそういうメディアがなかったが、蘭嶼には雑誌を出す条件がそろっていると考えた呉欣潔が、昨年の冬に雑誌発行を提案するとすぐに数人の友人が集まり、それぞれの得意分野を発揮する形で『952 VAZAY TAMO』のチームが結成されたのである。
編集長を務める呂思穎は、もともと蘭嶼の地方刊行物『双週刊』の記者でもある。デザイン会社で働いたことのある蕭祺真(Si Natnaw)が雑誌のビジュアルデザインを担当。独学ながらイラストが得意な張霊(Si Oyatan)が、伝統と現代を融合させた挿絵で雑誌に豊かな生命力を与えている。そして研究のために蘭嶼に来ていた呉欣潔は原稿執筆の他、渉外統括を担当している。父親は文化史研究者、母親はタオ語教師という那牧特(Si Namet)は、もともとタオ族の伝統文化に触れる機会が多い。
6人の中で、呂思穎と呉欣潔、林牧音は台湾本島の出身、張霊と那牧特と蕭祺真の3人は子供の頃から蘭嶼で育った友人同士である。半分は台湾本島出身、半分は蘭嶼出身という「952 VAZAY TAMO」のチームは、二つの島の視点を持つ。雑誌名も皆で意見をぶつけあって決めた。
蘭嶼から情報を発信する初めての雑誌ということで、タオ語の「VAZAY TAMO」という名称のアイディアが出ると、全員一致でこれが採用されたが、「952」については意見がぶつかりあった。呉欣潔は、タオ語を雑誌名とすれば、明確なスタイルが打ち出され、識別性も高いので、その前に数字をつける意味はあまりないと考えた。しかし、多くの蘭嶼出身者にとって「952は郷里とつながる数字」なのだと那牧特は言う。
高校が一つしかない蘭嶼では、中学を卒業すると進学や就職のために故郷を離れる人が多い。台湾本島では仮住まいとなるため、重要な書簡などは蘭嶼の家に送ってもらう人がほとんどだ。「だからこそ、慣れ親しんだ蘭嶼の郵便番号『952』の数字を見ると、大切なことは郷里とつながっていると感じるのです」と那牧特は言う。「台湾本島では、郵便番号は一つの数字の組み合わせに過ぎませんが、蘭嶼では島を離れた人々に共通の記憶になっています」と呉欣潔は言う。
伝統を重苦しくとらえない
こうしてみると、雑誌名には郷愁が込められているように思われるが、メンバーたちは『952 VAZAY TAMO』は決して重苦しい雑誌ではないと言う。「雑誌の構成としては、文化と視点と楽しさがそれぞれ3分の1を占めるようにしたいと考えています」と語る那牧特は、これまで、蘭嶼や伝統文化と言うと重苦しいテーマと思われてきたが、「もっと気楽に故郷に関心を寄せ、故郷の伝統を知る方法を探りたい」と考えている。
今年2月に刊行された『952 VAZAY TAMO』創刊号の表紙を見ても、タオ族のシンボルであるカヌーや伝統のトーテムではなく、赤がメインの大胆なビジュアルである。その表紙を見ると、「si ngaran mo」とアルファベットで書かれている。タオ語で「あなたの名前は?」という意味で、島の若者の顔写真が並ぶ。
雑誌全体を若々しい雰囲気にして「蘭嶼の若者の声を伝える」というのが同誌の位置づけだと那牧特は説明する。若者が出す雑誌なのだから、周囲の若者たちの声を伝えたいと考えた。高齢者や子供に関心を寄せる人は多いが、間の若い世代が注目されることは少なく、若者の視点で蘭嶼を語りたいと考えている。
創刊号の記事「あなたの名前は?」では十数人の若者がタオ族の名前を振り替える。誰もが自己紹介をする時に必ず自分の名前を言わなければならないが、蕭祺真によると、蘭嶼出身の多くの若者は自分のタオ語の名前の起源を知らない。そこで、名前を通して若い世代に民族の伝統を知ってもらうという狙いがある。
以前、蘭嶼にセブン-イレブンが進出したことが大きな話題になったことがある。そこで『952 VAZAY TAMO』では、これについて現地の若者の声を聴くことにした。当時、セブン-イレブンの蘭嶼出店の情報が流れると、マスメディアはこれを大きく報じたが、「現地の人々はどう感じたのか、島民の声はまったく報じられなかったのです」と那牧特は言う。そこで創刊号で「セブン-イレブンの出店について言いたいこと」という特集を企画し、現地の人々の声を集めた。
さらにページをめくると、テーマは常に蘭嶼と関わっているが、愉快な内容や、庶民の日常生活を紹介する記事の他に、台湾本島からUターンしてきた若者の物語も紹介されている。
雇用が限られているため、蘭嶼では仕事のために島を離れる人が多かった。近年は観光産業が盛んになり、旅行シーズンに島に戻って働く若者が増えている。春になると蘭嶼に戻ってきて10月に北東からの季節風が吹き始めると再び台湾本島に働きに行くのである。
若者が島を離れるという現象をすぐに変えることはできないが若者が島に止まる時間は長くなり、若者の姿が以前より増えてきた。今年26歳の蕭祺真と那特牧、張霊も2013年に前後して蘭嶼へ戻って来た。『952 VAZAY TAMO』に紹介されている弥亜芬や、同誌を置いて販売している「朶特珈琲」のオーナー鄭郁文なども、3人と同じように台湾本島からUターンしてきた。
『952 VAZAY TAMO』は若い視点で楽しく伝統に触れることを標榜しているが、蘭嶼を愛するメンバーたちは、島の厳粛な課題にも関心を寄せている。張霊は遠くの民宿を指さし、その向こうの民家の多くはここ数年に建てられたものだと言う。以前は各集落に民宿が数軒ずつあるだけだったが、今は20軒もあると言う。
開発の衝撃を受けているのは高齢者たちで、彼らは地域が急速に発展するのを憂い、伝統文化を懸命に守ろうとしている。一方、中年世代は、まだまだ働かなければならないので現実的な態度で開発を見ているのに対し、さらに若い世代の方が島の急速な変化を心配している。「ここ数年で、多くの伝統が失われました」と張霊は言う。
蘭嶼を離れずに島で安定して働くことができれば、それに越したことはないが、「生活のために地域が無暗に開発されることは良いのだろうか」という疑問に正解は見つからない。若者たちも集まってはおしゃべりをしつつ、島の前途に関心を注ぎ、開発と伝統のバランスを取る方法をさがしているのである。
台風にも負けず、予定通りに発行
「離島で雑誌を出すことは可能なのか」と訊ねる人もいるが、6人は明確な答えを持つ。
呉欣潔によると、最初は気の合う友人同士で、有意義で面白そうだと始めたに過ぎず、雑誌を出した後も、フェイスブックで紹介するだけで特に宣伝はしなかった。ところが、初版の500部は瞬く間に売り切れ、慌てて増刷してようやく問い合わせに応じることができたという。
思いがけず台湾本島の読者からの反響が大きく、『952 VAZAY TAMO』は蘭嶼住民に誇らしい気持を持たせることとなる。那牧特によると、蘭嶼には長年にわたって地域の刊行物が『双週刊』しかなかったが、若々しくスタイリッシュな『952 VAZAY TAMO』は若い世代の目に新鮮に映り、普段は本や雑誌を読まない人も、これを隅々まで読んでいるという。
台湾本島に暮らしていれば刊行物の発行は決して難しいことではない。しかし離島の蘭嶼では「地の利と人の和」は克服できても「天の時」が大きな壁として立ちはだかる。日頃、6人はそれぞれ仕事を持ち、住む場所も離れている。「6人全員が一堂に会したのは出版を決めた日だけで、それ以降は一度もありません」と呉欣潔は言う。
創刊前の段階では、港のコンビニや友人が経営するレストラン、通り沿いの小さな店などが話し合いの場になった。自分たちの空間を持たないが、ネットを駆使し、オンライン作業をすれば問題は解決できる。だが、予定の日に出版できるかどうか、最大の課題は天候である。
7月、記事の執筆やレイアウトに忙しい頃、台風が襲い、蘭嶼全島が停電し水道も止まってしまった。その数日前、すでに天候が不安定になり、島のインターネットも影響を受けていた。予定の日に発行するために、コンピュータ3台で同時にファイルをアップし、アップロードのスピードに影響する操作をすべて禁止した。「ゲームもネットサーフもしませんでした」と張霊は言う。
いつも一緒に遊んでいる仲の良い6人は、編集内容を話し合っている時も、しばしば話が横道にそれてしまうが、実際に仕事となると、少しも手を抜くことはない。3号まで発行してきたが、退社後に取材して原稿を書かなければならないため、みな疲れ果ててしまったという。「誰かを陥れたかったら、雑誌を出すよう勧めればいい、という話を聞いたことがあります。私たちはその良い例です」と呉欣潔は言う。
最近は、花蓮や高雄、台南などでも次々と地域の雑誌が発行されており、地方の視点が注目されている。「ですが、『952 VAZAY TAMO』を地方の雑誌という角度から見るだけでは不十分です」と呉欣潔は言う。
『952 VAZAY TAMO』は、蘭嶼に暮らす若者たちに、郷土文化にあらためて目を向けさせ、また蘭嶼の伝統を知らない台湾本島の人々には新たに蘭嶼を知るきっかけを作っている。タオ族の豊かな文化が、若者たちの作る雑誌を通して海を越え、そうして初めての離島原住民族の声を伝えるメディアが成立しているのである。
蘭嶼と言うと、青い空と青い海、そして原住民族タオ族の文化を思い浮かべる。3号を重ねてきた『952 VAZAY TAMO』は、若者の視点と分かりやすい文章やイラストを通して伝統文化を見つめ直し、また離島に関わる重要なテーマも掘り下げる。
蘭嶼が好きで台湾本島から来た3人と、子供の頃から蘭嶼で一緒に育った3人が、蘭嶼初の若者の雑誌を生み出した。
海からやさしい風が吹き、地平線まで青空が広がる蘭嶼だが、天気は突然変わる。『952 VAZAY TAMO』は、印刷所のない離島で、不安定な気候を克服して毎号発行日に読者の手に届けられている。
東の空が白み始める頃、蘭嶼にUターンしてきたSi Tagahanは海に網を投げて一日の漁を始める。
観光が盛んになるに連れ、多くの若者が旅行シーズンに帰島して働くようになった。中には蘭嶼に定住する人もいて、島に若さが戻って来た。
軒先の飛び魚の干物、海岸のカヌー。60ページ余りの『952 VAZAY TAMO』を通して蘭嶼の伝統文化に気軽に触れられる。