若き日に京劇に魅せられる
これまでを振り返ると、潘俊仁は困難な狭き道を歩んできた。幼い頃から美術を専攻し、伝統芸術、特に書と水墨を得意としてきた。華梵大学の美術学科に合格して真面目に学んでいたが、大きな壁にぶつかる。水墨画の教授から、人物は巧妙に描けているが、魂がないと指摘され、こうアドバイスされたのである。「京劇を見に行きなさい。東洋美学の要素のすべては戯曲に表現されているのだから」と。彼は納得できなかったが、とりあえずチケットを買って国家戯劇院へ『四郎探母』を見に行った。すると思いがけないことに、幕が上がって間もなく、その台詞まわしや雅な身のこなしに心を揺さぶられ、涙があふれてきたのだという。
その時、19歳だった彼は今は36歳となった。「京劇俳優の呼吸や重心移動は太極拳に通じ、また京劇は水墨画と同様に余白を重視します。とてもシンプルな舞台ですが、山水画の原理と同じで、画面全体に描き込むのではなく、適度な余白を残してあります。それがイメージをふくらませるのです」と言う通り、当時の教授のアドバイスは正しかったのである。
途中から京劇を学び始める
これ以来、潘俊仁は京劇に魅了され、大学卒業後は働きながら、いつも京劇を聞き、休日のたびに中正記念堂にいる京劇ファンと一緒に楽器に合わせて見よう見まねで歌うようになった。
それだけでは満足できず、週に一度文山コミュニティカレッジに通い、名優の李秋瑰(李光玉)に師事した。一年の稽古を積み、悩みに悩んだ末に彼は京劇の夢を追うために仕事を辞め、国立台湾戯曲学院京劇学科に入ることにした。