ぽっちゃり太り、黒縁メガネをかけて、だぶだぶのバギーをはいた陳正道は、見たところ学生のまんま、 1981年生れの彼はまだ中原大学商業デザイン科の学生である。すでに短編を数多く撮り、梁静茹やメイデイなどの歌手のミュージック・ビデオも撮っていたが、「宅変」は最初の長編映画である。
陳正道は小さい頃から映画好きだったが、本当に目覚めたのは高校の時、スペインの監督ペドロ・アルモドバルの「オール・アバウト・マイ・マザー」とラース・フォン・トリア監督の「イディオッツ」を見てからである。ハリウッド以外にも撮影の技法があり、特撮や豪華キャストがなくとも人を感動させられることを知った。
映画は思ったほど難しくなく、浪人した予備校時代、デジタル・ビデオで最初の短編を作り、これを提出して中原大学に合格した。
最初は映画を単なるビジュアル創作のメディアと考えていたが、大学に進学してからは短編やMTVで小遣稼ぎをしていた。3年の時、新聞局の短編映画補助金を受けて、16ミリ72分の映画「狂放」を制作した。周囲の若者の恋と生活、死を描いたものだが、これがベネチア映画祭の新人監督部門に出品され、この時に映画が自分の道だと確信したという。
三和娯楽の葉育萍は陳正道の才能を評価し、映画製作を企画したが、あれこれ考えた結果、ホラー物が向いているということになり「宅変」が生まれたのである。
撮影に入ると、香港の名カメラマン関本良がまとめ役となってスタッフを統率し、経験のない監督を助けた。商業デザイン出身の陳正道は、呪いを受けた豪邸を、台北市松山の旧タバコ工場と台湾鉄道の旧宿舎に設定し、セットに凝って恐怖の漂う雰囲気を作り上げた。
映画には商業と芸術の区別はなく、面白いか面白くないかだけの話だと言う陳正道は、映画に特に好みはなく、何でも見るという。それでも特に好きなホラー映画というと、「シックスセンス」のようにキャラクターの内面まで描いたものである。単に脅かすというだけの映画は意味がないからである。「宅変」で注目されたが、一番撮りたいのは同世代の若者のストーリーなのだそうである。
台湾の中年世代の監督は、若者をテーマにすると、悲観的に暗い面ばかり描くから嫌だという陳正道は、二作目の長編作品「無伴奏」で、自分の得意な青春をテーマとして、ちょっと違う若者の姿を描きたいという。
自分の世代の監督は、上の世代ほど時代意識に敏感ではないかもしれないが、ビデオを片手に何でも撮ることができると言う。自分をあんな芸術映画の型にはめ込む必要はなく、フレキシブルに対応していけば、映画を作るチャンスはいくらでも訪れてくるだろう。
「宅変には欠点が多いかもしれませんが、自分にはテーマを解釈して扱う能力があると証明できたので、これからは自分の撮りたい映画を撮れるようになるでしょう」と彼は語る。
「無伴奏」完成後、黄茂昌は400万米ドルを投資し、陳正道の三作目の映画「還魂」を製作する。これは再生をテーマにした霊異ミステリーである。自分の好む若者の映画と、市場性のあるホラー映画の間を行き来しながら、陳正道は新しい世代の映画の夢を追っている。