
2002年1月16日、フランスのパリで開かれた国際ポスター展主催の第15回国際ポスター・公共アート展で、世界各国から寄せられた6000枚の作品の中から、中華民国の陳俊良の連作「オリエンタル・スタイル」の一つが選ばれ、グランプリのセビニャック賞に輝いた。セビニャック賞は、国際的に「ポスターデザインのオスカー賞」と呼ばれている。しかしこれはアートデザインの専門的な賞であり、台湾ではあまり知名度がなく、陳俊良が何者なのかも知られていない。グラフィックデザインの仕事にたずさわって15年以上にもなる陳俊良は一昨年、自分の作品も成熟してきたと考え、世界各国のポスターコンクールに出品し始めた。そして必ずというほど、入選を果たしているのである。
初めて陳俊良に会った時、まずその服装に目を奪われた。まだ30代の彼は、シックな黒いジャケットを身に着けていた。襟全体を立て、まるでクールな探偵小説の主人公のようだ。髪型は、一度前に梳かして、その後立ち上げた、今流行りのスタイルだ。だが、ただ流行を追っているわけではない。おだやかな話し方で、筋も通っており、何事にも落ち着いて対処する人なのだ。たとえ台湾初の国際ポスター・公共アート展のグランプリ受賞者となっても「本当に幸運でした。私の作品が神様の目に止まったのです」と言うだけなのである。

(林格立撮影)
黒と白
陳俊良が国際ポスター展で大賞を受賞した作品「久しぶり、東風」の画面は、色彩は多くない。毛筆で描いた梨の花を配し、シンプルなデザインで空白が多く、箸のような筆が梨の花の枝に置かれている。さらに書道家の董陽孜のみずみずしい書を配し、目を引く作品に仕上がっている。特に大きく残された余白が、実に印象的だ。
陳俊良のコンセプトで非常に重要な概念は余白の配置である。「余白を残して全体の構成をよりよくする時、実際には絵柄だけではなく、画面全体を考慮していることになるのです」さらに、当初彼がポスター「久しぶり、東風」を制作した時、前から余白を多く用いようと考えていた。彼は、デザインにおいて余白を残すテクニックは、絵柄を入れるより難しいと言う。少しでも気を抜くと「無意味に大きい」とか「空疎」な感じを与えてしまうのだ。このため、彼は余白部の処理に気を使っている。白と黒はまさに彼が愛する色なのである。
黒への偏愛にも、彼独特のこだわりがある。「カラフル過ぎると画面がごちゃごちゃして未熟な感じがします。私は黒とか白、グレーなど落ち着いた色が好きです。たとえ何らかの色を使うにしても、派手にはしません。必ずグレーや黒、白などを合わせます」それはまるで彼の最も好きなアメリカの写真雑誌「B&W」のようだ。そこに掲載されているのはすべて白黒写真であり、一部の有名写真家の作品は何度も繰り返し登場する。だがまったく厭きさせず、静かでおだやかな印象を与えてくれる。

(林格立撮影)
デザインの万能選手
小さい頃から絵を描くのが好きで、美しいものが大好きだった陳俊良だが、大学ではそれまで全く知識のなかったプリンティングデザインを学んだ。彼は、志望学科を記入する時、これからデザインの道を進むなら、プリンティングから始めたほうがいいと先輩からアドバイスを受けた。まず製版、カラー分解から学び始め、写真や紙での表現、コピーの感覚、パッケージなども深く知っておいたほうがいいと言われたという。
またその先輩は彼に、デザインはただイマジネーションだけでは作品にはならず、必ず印刷を経て完成するものだから、印刷のことがわからなければ、デザインという仕事は効果が充分に出せないと教えてくれた。これが、陳俊良を大きく動かすきっかけとなったのだ。プリンティングコースに特に興味があったわけではないが、最終的にはこれを選び、多少我慢しながら修了した。この時、プリンティングデザインを選んだことで、その後多くのデザインができるようになったと考えている。
多くの人が、グラフィックデザイナーは雑誌や書籍の表紙をデザインするだけだと思っているが、彼は「実際にはそれだけではない」と言う。この話題になると、陳俊良はいつも面倒くさがらずこう説明する。グラフィックデザインは多面的な作品であり、会社案内、年報、それに企業イメージの贈呈品、紙袋など、どれもその一種で、範囲は無限なのだ。
陳俊良は、他の人に表紙のデザインしかできないと見られた時、表紙のデザインだけではなく、積極的に違う分野を開拓していこうと決心した。「でなければ進歩もないし、説得力にも欠けるからです」と言う。
9年前、彼は長年勤めていた雑誌「天下」を辞職し、予定通り世界各国を旅し、写真を撮り、また学生に戻る楽しさを味わった。思いがけないことに、ヒューレッドパッカード社が、彼が辞職したのを知り、会社のカレンダーと年賀状のデザインを依頼して来た。領収書を出すために、彼は「自由落体」という会社を設立し、新しいグラフィックデザインの開拓に専念し始めた。その後の経歴はまるで芸術家のように、自分の発想をふくらませていき、それまで未知だった領域で、さまざまな才能を発見していった。それはだんだんと輝きを増し、次第にオリジナリティとなっていった。
実際、革新があるからこそ多くの作品が誕生する。知り合いや読者や名前も知らない誰かに新しい作品を見てもらい、その人の目が輝くと、彼はグラフィックデザインもこういうものがあってよかったのだと思えるようになると言う。この目の輝きで彼の心も明るくなり、そしてさらに精神を作品に集中でき、新しいイマジネーションをかきたてられ、新しい作品が生まれる。作品のきっかけはこうして生まれ、一つまた一つと新しい輝きを創り出していくのだ。

陳俊良は、台湾で初めてフランスのポスター展のグランプリを受賞したアーティストだ。(林格立撮影)
「HAPPY」
連作「オリエンタル・スタイル」の一つ「久しぶり、東風」は、フランスの審査員団が2002年世界で最も美しいポスターだとしたものだ。その前に陳俊良は「HAPPY――楽しさは楽しさの間に」で第14回フランスポスター国際展で入選を果たした。このほか、香港デザイン協会の「デザイン展優秀賞」や日本の第6回世界ポスタートリエンナーレトヤマ2000でも入選している。
フランスポスター国際展の審査員がその作品に与えた評価は、この作品はこの時代にほとんど存在しなくなった善良さ、つまり争いも対立も恐れも虚偽もない善良さを表現しており、ヒューマニズムを内に秘めている、というものだ。
普通、文字と絵は2つの異なる領域に属す思考で、はっきり分かれているものと考えられがちだ。だが陳俊良は違っており、この2つの才能を合わせ持っている。1つはポスターデザイン、もう1つはコピーの才能で、どちらも優れている。第14回フランスポスター国際展で入賞した「HAPPY」がその一例で、そのほかのコピーも賞を取っている。陳俊良は言外に意味を持たせるのがうまく、その言葉使いに驚く人も多い。それは完全に詩人の域に達したものだ。
荘園貿易社のワインのためにデザインしたコピーは「豊かな収穫を蔵した冬、穏やかな世界。恵みの雪で、紅が引き立つ。沈殿した歳月は人生での出会い、杯を掲げ口に含む。独りのおだやかさ、一家団欒の記憶。今ここに甦る」というものだった。味のある文章、美しいデザインで、まさに人を魅了してやまない広告となった。
東張西望
この間、陳俊良はデザイン業界の友人3人と共著で「放4(ファンスーと発音)」という本を出した。このほか、彼は長い間暖めていた企画である、旅行中に撮った写真の展覧会「東張西望」を開催した。これらの本の題名や展覧会名は掛詞になっている。共著のほうは4人のデザイナーの作品を中心に収めているから「放4」だが、これは「放肆(「放4」と同じ発音、「大胆に」の意味)」新たな美の観点を打ち出したものだ。「東張西望」は、旅路である旅人が「東張西望(周囲を見回した)」結果の集大成でもあるが、その言葉は東洋人が西洋を旅した観点も示している。豊かな文字のイメージがその作品の最も魅力的なところとなっている。
陳俊良は、ぴったりはまるコピーを創ることは非常に難しいと言う。だが彼は納得のいくまで何度も何度も書き直していった。こうしたプロセスを経ることで、彼は次第に腕を上げ、今では言葉の楽しみのほうが絵よりも感じられるほどになった。
この才能は出版関係者が多い家庭環境によるものだ。彼の父親と兄は出版関係の仕事をしており、小さい頃から年上の人が文章を書いているのを見てきた。この自然な環境によって、彼は読書に興味を持つようになった。大学に入ってから、家族が出版した本は、すべて彼のデザインで、合わせて350冊もの本の表紙をデザインした計算になる。長い間のこのようなトレーニングで、彼はデザインもでき、コピーも書ける能力を得たのだ。
「できるだけ積み重ねていくこと」が陳俊良が、若いデザイナーたちにいつも言う言葉だ。デザインという仕事は、多く見て、多く聞き、多く行動することが唯一の成功への道なのだと言う。特に多く行動することが大切で、ただ見たり考えたりするだけでは意味がない。
デザインという仕事で大切なのは、実務そのままの経験なのである。「例えば友人と話していて、もし説明できないなら、まだその概念を理解していないということですし、それができないならまだ自分のものにしていないということになります」と彼は言う。
冷たい色、熱い心
毎月平均15冊の内外の雑誌に目を通す陳俊良は、そこから常に新しいイメージやインスピレーションを得ている。そして旅行でも各国の異なった文化を吸収している。異なる文化はデザイナーのアンテナを増やし強い刺激を受けることができ、同時に自分の感性が古くなっていないか、変化の速いこの社会と合っているか知ることができるのだ。このため、どこに行っても、彼は地元の人の生活、食習慣などをつぶさに観察し、人々の暮らしぶりを見たり、見知らぬ人と話してみたりする。こうしたことがアーティストにとっては非常に大切なことであり、実際にさまざまなアイディアを旅行中の観察から得ているのだと言う。ゆっくり観察するために、普通は一人で旅に出る。寂しさもあるが、その楽しさは計り知れない。
寒色系を偏愛する陳俊良だが、その心はとても熱い。数年後、デザインの仕事について20年を迎えたら、職場を離れ老人介護の仕事をしたいと考えている。この計画は、誰も世話をしていない一人暮らしの老人で、苦しい生活を送っている様子がよくマスコミで報道され、非常に心を痛めているためだ。彼は退職後、老人たちに暖かい手を差し伸べ、一人暮らしの老人をできるだけ手助けしていきたいと考えている。心の奥深くに秘めたこのような願いが、陳俊良の作品の色調が冷たいものであるにも関わらず、実際には温かみを感じさせてくれる理由なのかもしれない。
国際ポスター・公共アート展セビニャック賞とは
パリを本部とする国際ポスター・公共アート展のグランプリであるセビニャック賞は、世界のポスターデザインにおいて最も重要な賞だ。フランスの台湾協会の合作・文化組文化事務局の専門職員であるデュピュイさんによると、セビニャック賞は国連のユネスコが経費と会場を提供しており、その信頼性は疑う余地がないものだ。
セビニャック賞という名称は、フランスのポスターデザイン界の巨匠、レイモンド・セビニャックから取ったもの。2002年10月に享年95歳で死去したこのデザイナーは、第二次世界大戦後、牛乳石鹸の一連のポスターでヨーロッパ中にその名を響かせ、今でも多くの人に敬愛されている。1995年、フランス政府は当時87歳だった彼に、青少年を対象にしたドラッグ反対をテーマにしたポスターの制作を依頼した。彼の名を冠したセビニャック賞も、非常に重視されている。
フランスは「文化のるつぼ」であり、実に多様な文化を楽しめる。特に東洋文化は候孝賢、楊徳昌(エドワード・ヤン)、蔡明亮など台湾の映画監督の作品がよくフランスで賞を取っていることからもその状況がうかがい知れる。フランス人は台湾を含めた東洋文化に大変慣れ親しんでいるのだ。デュピュイさんは、東洋のスタイルが国際的なデザインにおいても評価されるのは理解できることだと指摘する。
国際ポスター・公共アート展のこれまでの受賞者は、1992年パー・アルモルディ(デンマーク)、1993年スタシス・エイドゥリゲヴィチウス(ポーランド)、1994年ラフォール・オルビンスキ、1995年福田繁雄(日本)、1996年ミルトン・グレイザー(アメリカ)、1997年ヨン・クォン(韓国)、1998年と1999年はケリン・ランク(スウェーデン)、2000年はジョン・アウ(香港)、2001年はブルガリア系アメリカ人のルバ・ルコヴァ、そして2002年は中華民国の陳俊良となっている。