世界最大の国とのビジネス
経済的な依存度を見ると、台米関係はより緊密であることがわかる。
1980年代、台湾の対米貿易黒字が大幅に成長し、87年には160億米ドル超のピークに達した。アメリカは、台湾の輸入開放と台湾ドル切上げの圧力をかけ、台湾の産業も労働集約型からテクノロジー主導へと発展していった。
2002年まで、我が国の三大輸出相手国は米国、日本、中国大陸(香港を含む)で、対米輸出が最も多かった。それから十年、大陸は世界の工場となり、2009年には台湾からの輸出の4割以上を大陸と香港が占め、対米輸出は1割まで減少した。
2011年、米国は我が国第三の、台湾は米国にとって第十の貿易相手国となったが、米国は台湾にとって常に最大の外資の源で、累積投資額は224億米ドル、主な投資項目は金融保険、電子製造である。
米国企業にとって、台湾企業とのビジネスには特別な思い入れがある。
台湾駐在アメリカ州政府協会会長でワシントン州在台貿易発展事務所の代表でもあるフォガティ氏は、シンガポールや香港と違い、台湾人はアメリカン・イングリッシュを話すので親しみやすいと言う。
また、台湾人は米国のマネジメント文化をよく理解しており、米国での留学や仕事の経験がある人が多いため意志の疎通がしやすい。最も重要なのは、米国企業にとって台湾は中国大陸やアジア進出のための重要な足がかりになるという点だ。
「台湾の製品は非常に競争力があるので、米国各州から台湾に製品やサービスを売るには、付加価値が高くなければなりません」と話すフォガティ氏は台湾人の購買力にも驚いている。ワシントン州から来たCOSTCO台北内湖店の1平米当りの売上は、世界400店のトップなのである。
ペンシルバニア州貿易投資事務所の蔡宜玲処長によると、同州の化学気体メーカーであるエアープロダクツ社は、20余年前に台湾の三福化工と合弁で三福気体を設立し、台湾の半導体産業に化学気体を供給している。近年、同社は2億5000万米ドルを投じて南部サイエンスパークに工場を拡張し、アジアで成長する半導体と薄膜トランジスタの市場に供給している。「同社の社長には当初からずっと台湾人を任用し、副社長がアメリカ人です。これは信頼と尊重を意味しています」と蔡宜玲氏は言う。
裸一貫で事業を起こした台湾の中小企業経営者の多くは、激しい競争の中で透明性の高い経営を行ない、新しい観念や新しい製品を次々と吸収しており、適応力が非常に強いので、外国資本をひきつけるのだとフォガティ氏は言う。
アメリカが風邪を引けば世界中がくしゃみをすると言われる。写真は世界経済の中心、ニューヨーク証券取引所。