限界その1――
男勝りvs女々しい男
伝統的な観念では、男性は戦いや闘争によってのし上がり、征服者として賞賛され、仕えられるのを望むとされてきた。一方の女性は、自らを弱いものと考え、他者から好かれ愛されるために優しくし、他者のために奉献するべきだとされてきた。このような固定観念は犯しがたい壁となる。ジェンダーを越えることが趨勢になっている現在、この壁はすでに存在しないかのように見えるが、ジェンダーを越えようとする者の前に突然姿を現わし、立ちはだかるのである。
慈済観護専科学校で最初の男子学生となった黄啓璋;さんは、女性ばかりの環境の中で、問題を女子生徒と一緒に話し合うこともできず、女子から除け者あつかいされたこともある。「男なのに、なぜ医者にならずにシーツやおむつを換える仕事を選んだの。何か問題あるんじゃないの」などと言われ、女々しい男の代表のように扱われた。
「平気だったと言えば嘘になります。1年の時には休学も考えました。今も、患者さんには時間をかけて自分の立場を説明しなければならないし、それでもいぶかしがられたり、好奇の目で見られたりします」と話す黄さんは、男性にはこの仕事は非常に難しく、プレッシャーを受け止めて、気持ちを調整しなければ長続きしないと正直に言う。
ベテラン男性看護師、台北市万芳病院で働く高瑞良さんは、女性のように細やかに患者を気遣うことができずに悩んだことがある。一度は看護師をやめて、家が経営する印刷会社を手伝ったこともあるが、やはり看護の仕事をあきらめられず、病院の中で性別があまり関係ない救急室に自分の居場所を見つけた。
このように、女性中心の世界に入った男性が悩んでいるのと同様、男性主導の政界や産業界に入った女性も、多くの場合、女性らしさを犠牲にして「普通の」男性のように強硬で野心的にならなければならない。
「一般に、高級管理職まで昇進できる女性の大半は、男性のように強硬で果断な面を持ち、情け容赦ない人もいます。強硬でないと部下の男性を信服させられないからで、しばしば『男勝り』という印象を与えます」と話すのは、科学技術関係の取材経験が豊富なベテラン記者だ。
女性高級管理職は、外では「男勝り」と言われても、家に帰れば「本来の姿」に戻らなければならず、家族からは外での活躍が理解されないという問題もある。
日曜日、高校の教頭を務める雅軍(仮名)さんは、いつものように夫と子供と一緒に新竹の夫の実家へ昼食を食べに行く。食卓では舅と夫と夫の兄弟たちが、会社とはそもそも、といった話をしている。雅軍さんも自分の考えを持っているのだが、彼らは彼女が豊富なキャリアを持つ管理職であることには気付かないかのようである。また姑や夫の姉妹にとって、彼女は一人の嫁、母、妻に過ぎず、彼女も傍らで料理をとりわけ、子供の世話をするだけだ。女性がジェンダーを越えて働く場合、家庭との両立の問題の他に、地位や位置づけの矛盾と迷いにも直面する。