
「ジェンダーの超越」はさまざまな職場で毎日発生しており、まさに静かな革命が進行しつつある。女性が男性の仕事を奪うこともあれば、男性がソフトな力を発揮して女性の分野に進出することもあり、かつては明確に分かれていた性別による役割の壁が次々と乗り越えられている。この流れはどこまで進むのだろうか。
2月24日、多くの人が旧正月の9連休でのんびりと過ごしている頃、台北県警察局の2階、鑑識係の電話が鳴った。当直だった鑑識巡官の方雅貞さんが電話を取る。「一酸化炭素中毒による死亡事件が発生しました。鑑識係は現場に急行してください」と板橋分局からの連絡である。
20分もたたないうちに、方雅貞さんと係長と同僚は現場に到着した。現場に入る手続をしてドアを開けると、ベッドに大人1人と子供1人が倒れており、浴室には女性が1人倒れている。死亡から4日経過しているため、湯沸し器のガスの臭いより遺体の腐臭の方が鼻を突く。
専門の訓練を受けた方雅貞さんは吐き気を抑えこみ、ブラシとテープとカメラを取り出す。遺体を詳しく観察した後、現場の指紋や微細な遺留品を採取していく。証拠となりうるいかなるものも見逃してはならない。4時間にわたる採集作業を終えると、身体に染み付いた腐臭など気する間もなく、すぐに実験室へ直行して証拠品を形にする。
「現場によって難しさや課題が違うので、思考も変える必要があります。女性は繊細なので細部を見落としませんし、指紋採取などの作業も器用にでき、100%の証拠収集ができます」と話すのは方さんの直属上司、鑑識係の龔;怡嘉係長だ。
場面は、ガス中毒の現場から、アロマテラピーのヒーリングルームへと変わる。張錫宗さんは全神経を両手のてのひらに集中させてお客の身体と対話をしている。男性の大きな手と熟練した技術が凝った身体をほぐしてストレスを解消し、心をいやしていく。
「一般にアロマテラピストと言うと女性をイメージしますが、触覚には段階があり、優しさも力強さも求められるので性別の差はありません。これは常に自分を見つめる非常に中性的な仕事です」と、アロマテラピーでは我国トップと評価される「肯園」で唯一の男性テラピストとして働く張さんは言う。
警察の鑑識とアロマテラピーは、ジェンダーの壁が移動しつつある現象のごく一部に過ぎない。軍の戦闘部隊初の女性上佐・丁良箴、初の男性保育士・呉奕樟、調査局初の女性高級管理職・呉莉;貞、体型補正下着の男性販売員・林志全、台湾電力初の女性リードエンジニア・杜悦元、救急室の男性看護師・高瑞良など、ここ数年、次々とジェンダーを越える人が出現している。

男性らしい野心と女性のような繊細さを兼ね備えた林志全さんは、女性ばかりの説明会で自らモデルになり、ブラジャーの正しい着用方法を説明する。「女性用下着を売る男性」の物語は無料広告の効果を上げ、業界での地位を確たるものにした。写真は林志全夫妻。
トレンドその1――
仕事のポートフォリオ
「今後は『仕事のポートフォリオ』がトレンドになります。最大の課題はどのように組み合わせるかです。有給の仕事と無給の仕事、仕事と家庭、学生と社会人、男性と女性などの境界が、これによってしだいに曖昧になってきます」と話すのは、台湾師範大学台湾文化および語言文学研究所の林芳玫;教授だ。
「仕事のポートフォリオ」というのはイギリスの経営学者チャールズ・ハンディが、著書『巨象とノミ(The Elephant and the Flea)』の中で提示したもので、将来すべての人は家庭と無給の仕事、学習と有給の仕事を並立させなければならず、その組み合わせの比率は人生の段階によって違ってくるというものだ。
肯園のアロマテラピスト張錫宗さんは、この例に当てはまる。1970年代生まれの彼は、中央大学物理学科を出た後、調理師、舞台俳優、録音技師などの仕事を経て今の仕事に就いた。彼の仕事の3分の1は現場での顧客サービス、3分の1は従業員教育、3分の1は技術の研究開発と学習である。仕事の内容は豊富で、楽しみながら働いている。

陰気な殺人現場には、男性でなければ耐えられないのだろうか。台北県警察局鑑識課巡官の方雅貞さんは事件現場で証拠を採集し、科学的方法でそれらを再現する。
トレンドその2――
知識経済に女性の力
「職業中性化」のもう一つの動力は経済面にある。
アメリカの経営学者ピーター・ドラッカーは、知識性の仕事はすでにジェンダーを越えたと述べ、イギリスのエコノミスト誌がこれを裏付けた。それによると、アメリカの大学生の男女比は10対14、スウェーデンでは10対15となっている。行政院主計処によると、台湾でも2001年、高等教育機関に在学する学生のうち女子は61.2万人で全体の50.5%を占め、男子より多くなった。
高等教育を受けることで女性の機会は増え、就業率上昇という量的変化から、質的変化へと移行してきた。エコノミスト誌によると、東アジアの新興国では労働人口の男女比が83対100で、OECD(経済協力開発機構)のメンバーである先進諸国より女性労働者が多い。一方の先進国では、経済力の5割を女性が担っており、女性は家庭における主要な稼ぎ手となっている。
ここ10年、台湾における女性の労働参加率は約30%から上昇し続け、昨年は48.68%と過去最高を記録した。男性の所得増加が1.4倍なのに対し、女性の所得は1.7倍に増えている。
こうして、女性はまず第一歩として家庭から職場へと歩み出し、次の一歩として中間管理職に昇進していく。ここから先の高級管理職への昇進には、ガラスの天井を突破する必要があり、どの業界でも非常に難しい。ましてや、メモリ・モジュール・メーカーPQIの創設者である呂美月氏のように、ゼロから事業を興して成功する女性はきわめて少なく、上場企業1219社のうち女性が創業した企業は1%に満たない(24ページの記事を参照)。
しかし、伝統的に男性が独占してきた職業において、実力でジェンダーの壁を乗り越えてきた女性の物語は少なくない。
男性中心の職場である調査局、高雄市調査処の呉莉;貞処長は調査局全体で初めての女性長官だ。女性調査員が数えるほどしかいなかった60年代、調査局調査班10期の訓練を受けた呉莉;貞さんは女性が一人もいない桃園調査ステーションに配属された。配属初日の調査で、容疑者から「他に誰もいないのか? 男に代わってくれ」と言われたという。
だが、呉さんは女性だからと特別な待遇は求めず、自分を「中性」とみなしてきた。龍の刺青を入れた親分でも、麻薬の禁断症状で失禁してしまう人でも、拒むことなく取り調べてきた。
男性ばかりの軍隊で活躍する女性もいる。陸軍601空騎旅政戦主任の丁良箴・上佐は体力の差を乗り越えて一般部隊での経験を積み、男性と同様に夜の見回りや夜勤なども務めてきた。自ら進んで落下傘の訓練も受け、女性だからと特別な待遇を求めることは一切しなかった。軍での28年を経て今年1月、彼女は国軍第一線の戦闘部隊における初の女性高級管理職になったのである。

トレンドその3――
男性が歩む「感性の道」
このように、かつては男性が独占していた職場に女性が乗り込むと同時に、逆の現象も起きている。イギリスの保育士斡旋機関Tiniesの調査では、イギリスにおける男性保育士は全体の4%に過ぎないが、その数は4年前の8500人から現在は1万2000人まで増えている。
台湾師範大学の林芳玫;教授は、男性は何百年もの間、刀剣や銃をもって戦ってきたが、今ではそれが時代のニーズに合わなくなってきたと言う。現在の職場で求められる競争力は力ではなく、智恵や細やかさである。この変化によって、思いがけないことに、男性たちが何百年ものあいだ抑え込んできた感性や優しさが「解放」されたのである。
5月9日の午前、グランド・フォルモサ・リージェントホテルの3階で、昨夜から一睡もしていないフラワーデザイナーの斉云さんが結婚式会場の飾り付けを急いでいた。著名な服飾ブランド「夏姿」のディレクター王陳彩霞さん令息の結婚式である。彰化県の農家に生まれ、農業高校を出た斉云さんは、幼い頃から草花が好きで、高校2年の時に台湾省農林庁が開催する全国花芸コンクールで2位に入選し、以来、フラワーデザインの道を歩んできた。
「私にとって花は、呼吸と同じぐらい大事なものです」と言う。周囲の人に笑われたこともあるが、花が好きな気持ちは変わらず、そんなことは気にせずに花を扱う仕事に取り組んできた。今では国内で最も有名なフラワーデザイナーとなり、著名人からの指名の仕事も多く、男性の感性の強さを発揮している。

低い台湾の女性労働参加率/資料:行政院主計処・「エコノミスト」誌
限界その1――
男勝りvs女々しい男
伝統的な観念では、男性は戦いや闘争によってのし上がり、征服者として賞賛され、仕えられるのを望むとされてきた。一方の女性は、自らを弱いものと考え、他者から好かれ愛されるために優しくし、他者のために奉献するべきだとされてきた。このような固定観念は犯しがたい壁となる。ジェンダーを越えることが趨勢になっている現在、この壁はすでに存在しないかのように見えるが、ジェンダーを越えようとする者の前に突然姿を現わし、立ちはだかるのである。
慈済観護専科学校で最初の男子学生となった黄啓璋;さんは、女性ばかりの環境の中で、問題を女子生徒と一緒に話し合うこともできず、女子から除け者あつかいされたこともある。「男なのに、なぜ医者にならずにシーツやおむつを換える仕事を選んだの。何か問題あるんじゃないの」などと言われ、女々しい男の代表のように扱われた。
「平気だったと言えば嘘になります。1年の時には休学も考えました。今も、患者さんには時間をかけて自分の立場を説明しなければならないし、それでもいぶかしがられたり、好奇の目で見られたりします」と話す黄さんは、男性にはこの仕事は非常に難しく、プレッシャーを受け止めて、気持ちを調整しなければ長続きしないと正直に言う。
ベテラン男性看護師、台北市万芳病院で働く高瑞良さんは、女性のように細やかに患者を気遣うことができずに悩んだことがある。一度は看護師をやめて、家が経営する印刷会社を手伝ったこともあるが、やはり看護の仕事をあきらめられず、病院の中で性別があまり関係ない救急室に自分の居場所を見つけた。
このように、女性中心の世界に入った男性が悩んでいるのと同様、男性主導の政界や産業界に入った女性も、多くの場合、女性らしさを犠牲にして「普通の」男性のように強硬で野心的にならなければならない。
「一般に、高級管理職まで昇進できる女性の大半は、男性のように強硬で果断な面を持ち、情け容赦ない人もいます。強硬でないと部下の男性を信服させられないからで、しばしば『男勝り』という印象を与えます」と話すのは、科学技術関係の取材経験が豊富なベテラン記者だ。
女性高級管理職は、外では「男勝り」と言われても、家に帰れば「本来の姿」に戻らなければならず、家族からは外での活躍が理解されないという問題もある。
日曜日、高校の教頭を務める雅軍(仮名)さんは、いつものように夫と子供と一緒に新竹の夫の実家へ昼食を食べに行く。食卓では舅と夫と夫の兄弟たちが、会社とはそもそも、といった話をしている。雅軍さんも自分の考えを持っているのだが、彼らは彼女が豊富なキャリアを持つ管理職であることには気付かないかのようである。また姑や夫の姉妹にとって、彼女は一人の嫁、母、妻に過ぎず、彼女も傍らで料理をとりわけ、子供の世話をするだけだ。女性がジェンダーを越えて働く場合、家庭との両立の問題の他に、地位や位置づけの矛盾と迷いにも直面する。

限界その2――
いまも残る男女差別
政治大学法律学科の教授で「女性学会」理事長でもある陳惠トノ教授によると、国家の発展と経済成長を目標とする男性主導の教育政策の下、女性の進学・就職機会は増えたものの、バランスを失した教育拡張政策や学校内の男尊女卑の人事構造、ステレオタイプで男女差別に満ちたカリキュラムなどが、幼い頃から子供たちに多大な影響をおよぼしているという。その結果、職場でも、外で戦う営業マネージャーと、よく気がつく女性秘書という組み合わせが好まれるのである。
こうした社会的な要素の他に、台湾師範大学の林芳玫;教授は「女性には出世や成功を恐れる傾向がある」と言う。出世したくないのではないが、自分の成功によって身近な男性が引け目を感じ、自分が「可愛くなくなる」のが心配なのである。また、出世して大きな責任を負う自信がないという場合もある。だが、一方で多くの女性は心の中では成功したいと思っている。このような矛盾した感情が、女性の職場での発展を阻んでいるという。

限界その3――
家庭と仕事の間で
「仕事の上で、女性は仲間を組織して自分たちに属するプラットホームを作ろうとしていません。周囲から自信家で野心が大きすぎると見られるのが恐いからです」と林芳玫;教授は言う。男性は、手に入れたいものがあれば勇敢にそれを口にするが、女性は「女子は無才であることが徳」という古い観念にとらわれてしまい、自分の実力や権力欲を表に出そうとしないのである。
しかし、長年マスコミで働き、今は勁永国際PRの副社長を務める陳邦鈺;さんは、女性はストレスやプレッシャーに耐える力が強いと指摘する。昔から自分の実家と夫の実家という二つの家庭の間で適応し、忍耐してきたからだ。したがって、時代が変わり、ジェンダーの垣根が低くなれば、女性は大きな力を発揮できるという。
1949年にボーボワールが著書『第二の性』を発表して以来、フェミニズムは半世紀にわたって女性が抑圧されてきた事実を一つひとつ明確にしてきた。しかし、父権主義が抑え付けてきたのは女性ばかりではなく、男性も同様に抑圧されてきたのである。男は泣いてはならない、愚痴を言ってはならない、降参してはならない、そして立身出世して故郷に錦を飾らなければならない、と。こうした大きな期待は、どれだけの男性の脆い心を押しつぶしてきたことだろう。
ステレオタイプの「男らしさ」は社会に深く根を下ろしている。これまで女性のものとされていた職業に男性が就くと、家族のことを考えていないなどと非難される。自分の息子がダンスや生け花を仕事にしていることを認めようとしない親もいる。また女性のように優しげな男性は、しばしば女々しいとか同性愛者だなどと言われるのである。
かつて「肯園」にアロマテラピスト候補として一緒に入社した4人の男性のうち、今も残っているのは張錫宗さんだけだ。彼らは皆、アロマテラピーに興味があって応募し、そこに自分の将来を見出そうと考えていた。しかし一定の年齢に達すると、彼らも現実に引き戻され、転職して行った。さもなければ、張錫宗さんのように周囲の人から「大人になっていない」「情けない」などと言われるのに慣れなければならない。

「フラワーボーイ」と揶揄されても気にしない。斉云さんの技術は高く評価され、国内の著名人やタイ王室からも仕事の注文を受けている。
結論――
求められるニュートラルな人材
生物的に男女に相違があるのは言うまでもないが、心理学者の研究によると、知力や性格、攻撃性、母性などは後天的な学習を経て確立されるもので、女性も国土を守る戦士になれるし、男性も立派な保育士になれるのである。
知識経済とサービス産業の時代、グローバルな産業競争と核家族解体という厳しい試練の中で、大きな変化にフレキシブルに対応できる人々こそ生き残れ、力強く発展していける。「ジェンダーを越える」ことは、女性に強さや闘争心を要求することでも、男性に優しさや穏やかさを求めることでもない。男女ともにジェンダーの拘束を抜け出し、自分に忠実に自分らしく生きることなのである。今こそ人々は父権的価値観にとらわれることなく、自分の興味や潜在能力や特質を存分に発揮するべき時なのである。
イギリスの作家でフェミニストのヴァージニア・ウルフは、著書『自分だけの部屋』で、思想と創作の最高の境地は「雌雄一体」だと強調している。身体の感覚も思考能力の発展も、雌雄の特質が融合した状態で最大限に発揮されるという。
このように見てくると「柔でも剛でもあり、剛と柔がそろった」ニュートラルな人こそ、現代の職場でジェンダーを越えることができるようだ。そして今後、ジェンダーを越えて活躍する人々の物語は、ますます輝きを増していくことであろう。

1993年に女性として初めて空軍軍官学校の飛行士班を卒業した銀素慧少佐(右)、現在は要人専用機チームの教官を務める。左は第9期卒業の王慧書上尉。

高雄市調査処の処長を務める呉莉貞さんは、女性調査員は中性的になり、男性調査員と平等の待遇を受け入れるべきだと考える。そうすれば仕事も順調に進み、チームワークも発揮できる。

台湾の男女別労働参加率の変化/注:労働参加率(%)=労働力/15歳以上の人口×100 労働力とは15歳以上の労働可能な人口(就労者と失業者を含む)/資料:行政院主計処

アロマテラピストの張錫宗さんは、触覚はさまざまなレベルに調整できるので、この仕事に性別の差はないと言う。