10月初旬の週末の夕方、士林夜市に明りが灯り、観光客でにぎわい始める。
人出でごった返す夜市の東側、大東路の古い家屋を改装したタイ料理レストランの中庭に、20人余りの若者が集まり、クリエイターズマーケットの準備が進んでいる。彼らは手作りの創作にこだわり、訪れた人々に作品一つひとつの暖かい物語を語るのである。
古い家屋の裏庭にあるマーケットを訪れるには、三つの門を通らなければならない。彼らはなぜこの人目につかない場所にマーケットを開いたのだろう。
百年の歴史を持つこの邸宅は3階建てで、日本植民地時代には彰化銀行板橋支局長の郭坤木の住居だった。その息子は士林では有名な外科医で社会運動家の郭琇琮である。
郭家の古い邸宅は、日本家屋を基礎にドイツと閩南の建築工法を取り入れたもので、日本時代からの黄色いレンガの外壁が残っている他、各所に台湾では珍しい建材や工法が見られる。外壁の窓枠は日本風の木枠を主としつつ、屋内にはゴシック様式の窓や門も多く、家主が建築やインテリアにこだわったことがうかがえる。
第二次世界大戦後、台湾社会は不安定になり、以来60年にわたってこの家は空き屋として放置されてきた。それを最近、飲食業者が改装し、古い建築物の精髄を残しつつ、エスニック・レストランらしい雰囲気を生み出すとともにクリエイティブ空間も造り、台北市都市更新処が開催した「2015古い建物リノベーション大賞」にもノミネートされた。
さまざまな要素を取り入れながら、それぞれが魅力をもって映える古い空間に魅了されたのは、古い町並みを愛し、スローシティの理念に賛同する黄飛霖だ。三層の門を持つこの家屋に初めて入った時、「最初の門をくぐるとレストラン、二つ目の門で中庭に入り、さらに門をくぐると奥の庭があります。2006年に韓良露先生と一緒に中国の泉州でドキュメンタリーフィルムを撮影した時に、これに似た空間を訪れたことを思い出しました」と言う。
黄飛霖はかつてマスメディアで働いていたが、都市の古い文化を発掘するのが好きで、日本の古都の裏通りを訪ね歩いてきたが、台北の大稲埕や艋舺(万華)などの古い町並みにも日本に負けない魅力があることに気付いた。彼は、この郭家の古い邸宅を見つけると、すぐに資料にあたった。「郭琇琮と母親が3階のバルコニーに立っている古い写真が見つかりました。写真の中の二人は家の前に広がる田畑を見下ろしていて、そのバルコニーの姿は今も変わっていません。ただ、かつて田畑のあった場所は、夜市に変わり、感慨深いものがあります」と言う。黄飛霖はその日のうちに、この空間を多くの人に知ってもらうために行動を起こすことにした。
黄飛霖がこの古い家屋の存在を知ったのは、同じく古い町並みや古い文化を愛する陳文偉からの情報だった。陳文偉は国立台北教育大学の4年生で、歴史ある建築物の研究は当初は授業の課題だったが、この古い家屋の存在を知ってから、黄飛霖と一緒にこの空間で何かしたいと考えた。そして二人は資金ゼロで起業し、カルチャーブランド「舒喜巷」を打ち立てて歴史ある空間のルネッサンスに取り組み始めたのである。
30~40年前、繊維産業が盛んだったころ、士林には服飾関係の職人が大勢集まっていたが、今は衰退してしまった。「私たちは、士林の古い町並みと、この古い家屋の物語が、士林夜市名物の大餅包小餅(砕いた揚げ餅をクレープ状のお焼きで包んだ軽食)に似ていると感じました。外側は一枚の皮なのに、中身は粉々に砕けた歴史のモチーフなのです」
士林の歴史を研究した後、二人は昨年末、物語を手作りするのが好きな若者たちをここに集めれば、古い街に活力を取り戻せるかも知れないと考え始めた。
実は、陳文偉は大学1年の時からクリエイターズマーケットに露店を出し、自分のブランド「琮哞人愛moo than love」を立ち上げていたため、マーケットで多くのクリエイターと知り合っていた。こうして彼が同好の人々に声をかけ、またインターネットでも告知し、すべてはネット上で広がっていった。
今年3月14日のホワイトデー、大東路の古い家屋の裏庭で、初めてのクリエイターズマーケットが開かれ、築百年の建物に大勢の若者が集まった。「クリエイターズマーケットは単に物を売る場ではありません。作り手は普段はあまり話をせず、客を選びます。自分が創りたいものに一心に取り組む、純粋な創作なのです」と話す陳文偉は、彼らがマーケットを開くのは、自分たちの信念を証明するためだという。
マーケットに店を出しているのは強者ばかりだと陳文偉は言う。16歳、高校一年の阿徳はボールペン画の絵葉書を売っている。繊細なタッチの絵はすべて台湾の昔の風景だ。「幸福時光」の女性は、木製の古いカメラでお客の写真を撮る。デジタルでなく、昔ながらのフィルムに記憶を語らせたいと考えている。古着を愛するM.S.Roseはロリータ風のアクセサリーを作っており、ロリータファッションで決めたグループがマーケットを訪れる。国立台北教育大学の臥竜二九クラブの学生が自分たちの理念を伝えるために発行する雑誌『磚刊』も扱っている。
舒喜巷マーケットでは、明確な理念を持つクリエイターだけを選んでおり、どの作品にも暖かい物語が込められている。選ばれたクリエイターだけが店を出しており、さらに三つの門を通らなければ入れないというので、まるで隠れた秘密のマーケットのようでもある。
「マーケットは最初の構想で、その後は芸術文化の公演活動も行っています」と黄飛霖は言う。国楽(中国音楽)団を招いて吹き抜けに面した2階で演奏をしてもらったのは、この古い家屋に裕福な家族の宴の雰囲気をもたらしたかったからだ。また、ロボット・パフォーマンスや、北投への思いを歌う詩人のコンサートなども行なっている。学生団体による公演はいつも人気がある。
舒喜巷マーケットでも、不定期に手作り教室を開いており、ジャンルを越えた形で、異なる芸術団体同士の交流を深めている。
黄飛霖は、都市の広域観光は「歩く」ことから始まると考え、10月末から「台北城市散歩」と協力し、士林の古い町並みの歴史ガイドを開始した。古い家屋の物語を士林の旧市街地全体へ広げていきたいと考えている。「士林の新市街地と旧市街地から芝山岩、天母、陽明山山麓から社子までが将来的にクリエイティブ・コリドーとなります。この一帯の古い街の物語を掘り起こしていかなければ、消えてしまうでしょう」
黄飛霖と陳文偉は、自分たちは間抜けな似非文学青年だと言って笑う。彼らはただ、同じ理念を持つ友人を集め、一緒に古い街の物語を多くの人に伝え、「昔ながらの精神」を持つマーケットを推進していきたいだけなのである。二人は、人と人との交流は古くからある裏通りで生まれるもので、ここで久しく触れていなかった素晴らしい物事に出会えると信じているのである。
百年の歴史を持つ建物のレンガの壁、古いミシン台に中国式の窓枠彫刻などを組み合わせれば、モダンな空間が生まれる。
百年の歴史を持つ建物のレンガの壁、古いミシン台に中国式の窓枠彫刻などを組み合わせれば、モダンな空間が生まれる。
クリエイティブとは何か。黄飛霖(左)と陳文偉(右)は、自分たちの好きなことから始め、ジャンルを越えた創作と融合して暮らしを美しくするものだと考えている。
舒喜巷ではクリエイターズマーケットを士林の旧市街地全体へ広げる計画を立てている。写真は、ロリータ風のアクセサリーを創作するM.S.Roseが国立台湾科学教育館で作品を販売する様子。
阿徳がボールペンで描く昔の台湾の風景は繊細で美しい。彼はまだ16歳である。
奥行きの深い町家風の建物。3階建ての空間では不定期に文化芸術公演や講座、展覧会が開かれており、古い街のルネッサンスを感じさせる。.
舒喜巷は「家」の味わいを再現し、昔ながらの職人精神を広めていこうとしている。