日本人が「うまい!」と驚く
日本では311の大津波と原発事故で稲作地帯が大きな被害を受けて米不足となり、輸入先として最初に浮かんだのは台湾だったという。そこで日本第二の米穀商社、木徳神糧の平山惇社長は、台湾の穀倉地帯を訪ね歩いた。
11月末、平山社長は聯米企業を訪れた。聯米の荘麗珠董事長と劉徳隆総経理夫妻は、5つの炊飯器に白米を用意し、品種名を告げずに試食してもらった。
数分後、平山が一つの茶碗を選ぶと、荘麗珠は、それは台湾の水田の半分以上で栽培されている台南11号だと告げた。平山に随行していた日本人技師が食味値(各成分の含有量からおいしさを評価した数値)を調べると、80点と日本米とほぼ同様の数値だった(台湾で一般に販売されている米は60~70点)。
平山は、この米の生産と精米の状況を詳しく訊ねた後、埤頭郷の農家が栽培する台南11号を指定してその場で108トンを注文した。翌日、台湾メディアはこれを大々的に報じた。
この108トンの後、さらに追加で252トンの注文が入り、合計360トンに達した。2004年に日本への米輸出が再開して以来、最大の単一注文量である。
昨年、日本における台湾からの米の輸入割当は400トンで、聯米の受注でほぼ占められた。
荘麗珠は、台湾米が日本人に評価されたのは意外ではないと言う。「10年前、世界の米はおいしい順に、日本米、カリフォルニア米、台湾米、韓国米とされました。現在も日本米がトップなのは変りませんが、台湾の一部の品種は日本米にも勝っています」と言う。
台湾の農家の稲作技術の向上はWTO加盟のおかげだと荘麗珠は言う。
WTO加盟に対応するため、当時聯米企業は台湾米の質を向上させなければならないと考えた。そこで1キロ250台湾ドルの日本米を、取引のある農家に試食してもらった。その時、農家の人々は初めて台湾米よりおいしい米があることを知り、言葉が出なかったという。
そこで、総経理の劉徳隆はその20余名の農家と生産販売班を結成し「日本米に負けない米を作る」という目標を立てた。
この20余名の「シード農家」は聯米の第一歩に過ぎなかった。後に農糧署の指導を受け、稲作専業区を設けた。
農糧署は2005年から、全国に稲作専業区を設け、政府が管理し、米卸会社による農家と育苗・加工業者との整合を指導して、一つながりの産業チェーンを生み出してきた。それまでばらばらだった小規模の稲田を、やや規模を備えた生産集落へと変え、マーケット志向の概念を取り入れ、品種や肥料、農薬検査などを規格化した。言い換えれば、米卸会社が買いたいと思う米を農家が作るというシステムである。
聯米企業は2年にわたって農政部門の指導を受けた後、自主管理で独自の発展を目指し始めた。昨年末に聯米が日本から360トンの注文を受けたことは、政府も誇らしく受け止めており、馬英九総統も自ら聯米を訪ねて祝辞を述べた。
農糧署によると2005~2011年の間に、同署の稲作専業区に参加する農家は2000人から5000人に、面積は5000ヘクタールから1万4000ヘクタールに拡大した。専業区の1ヘクタール当りの収益は、それ以外のエリアより2.6万元多い。
「中興米」で知られる聯米企業は昨年日本に360トンを輸出し、過去最大の受注量を記録した。写真は同社の梱包ライン。