テクノロジーで 大地の恵みに応える——

稲作の達人 魏瑞廷と曾国旗
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2020 / 9月

文・曾蘭淑 写真・林旻萱 翻訳・松本 幸子


「勉学のできないものは、田畑で働け」と昔の農家の人はよく言ったものだ。若い世代を励まし戒める言葉である。そして若者たちは、田畑で働くようにはならないぞと奮い立ち、懸命に勉強して故郷を離れていった。

台東池上に暮らす魏瑞廷と、花蓮玉里の曽国旗もそうだった。しかし、自分の父親の世代が田植えやコメの販売などで数々の困難に見舞われているのを見て、彼らは故郷に戻り、家業を継いで重責を担う選択をした。

親の世代にはなかった精神力や、より専門的な知識を生かした努力によって、台湾を代表し得るコメを生み出そうとしている。


農家の苦労

6月、台東池上では黄金の稲穂が実っていた。魏瑞廷は休日朝5時に起床する。夜露が渇けばコンバインを運転してイネを収穫するのだ。9ヘクタールの田は3日間で収穫が終わり、続いて乾燥、精米加工を行う。

季節は人を待ってくれない。夏至になれば再び種まき、立秋前に田植えとなる。林務局勤務の魏瑞廷は農繁期には毎日4~5時間の睡眠しかとれない。「精神力で続けているようなものです」額から流れる汗をぬぐおうともせず、38歳の魏瑞廷は喘ぎなら言った。「これだから農業は嫌だったのです」

親は農作で忙しく、学校で「家族で出かけた時のこと」を作文に書きなさいと言われても書くことがなかった。「同級生と一緒の時も、あそこでボロボロの服を着て働いているのが自分の父だとは言えませんでした」屏東科技大学森林科卒業後、宜蘭大学森林及自然資源研究所で修士号を取得したが、兵役が終っても故郷に戻りたくないので公務員になろうと大学の図書館に3ヵ月こもって勉強し、合格して林務局勤務となった。

2009年、国軍退除役官兵輔導委員会が有機稲作委託経営の入札を池上で初めて行った。ほかの農家が入札のことをよく知らず、最低制限価格の100万元より低く書いてしまったのに対し、魏瑞廷の父、魏其南は101万元と書いたおかげで16年間の経営権を落札した。こうして10ヘクタールに及ぶ雑草のはびこった土地を、貯蓄と借金で500万元かけて整地し、稲作開始となった。

苦労して1期目の稲を収穫したものの買い手がつかない。あちこち当たったが売れず、コメで名高い池上の有機米を、結局は半値近くで関山に売るしかなかった。しかも続く2期目の収穫には刈入れの人手が見つからない有様だった。

この経験で、父親は300万元でコンバインを購入した。どこにそんなお金があったのか。「農協からですよ!」と魏瑞廷は言う。農協のローンという意味だ。人手不足を補うため、父親はさらに田植機、トラクター、肥料散布機、そして運搬トラック、コンバインを載せる台車と買いそろえ、知らぬ間に借金は3000万元になっていた。

「稼いだ金がすべて農機具に化けてしまうのです。両親はいつもお金のことで言い争っていました」しかも「父は農業はできても販売はできません」と魏瑞廷は苦笑する。そんな父を放っておけず、彼は林務局に異動を願い出て、宜蘭羅東から実家に近い台東関山勤務となり、休日を利用して台北のファーマーズマーケットに米を運んで売った。5年にわたる市場通いの始まりだった。

1回目は60袋のうち6袋しか売れず、面目なさと心配もかけたくないので、すべて売れたと嘘をつき、自分で金を足して両親に渡した。また中興大学博士課程に在籍中だったのも断念し、休日ごとに20箱計400キロのコメを車に載せて台北に通った。一人っ子で実家を放っておけず、田植えには2時に起きて手伝いに行き、7時に大急ぎで着替えて出勤、休みにも施肥を手伝った。台北までの車の往復に疲れ果て、崖から大きな岩でも落ちてくれば一切を終わりにできるのにと思ったり、コメが売れなくて運転中に泣いたこともある。それでも帰宅すれば笑顔の息子を演じた。だが少なくとも借金は少しずつ返していけた。

ブロックチェーンで国際市場に

一生市場通いで終わると思われたが、2018年、彼は田に小さな気象観測装置を設置し、気象やイネの生長状況をブロックチェーンの技術を用いて記録し始めた。そのことで彼はフィナンシャル‧タイムズの取材も受け、「ブロックチェーンを駆使する世界初の農夫」として紹介された。こうして国際市場への販売ルートが開けていく。

魏瑞廷はスマホの画面を見せて説明してくれた。ブロックチェーンによる記録は改ざんできないので記録は忠実だという信頼性があり、これは食品生産履歴の保証にもなる。

「最初は香港の買い手がつき、次はカナダなどからでした。台湾の有機栽培認証は信用できないけれど、ブロックチェーンなら信用できると」魏瑞廷はブランド名「池上禾穀坊——米之谷」で、米アマゾンにも出品した。2キロ1袋が29.95米ドル(864元)という価格でも、池上のコメが買えるとアメリカやカナダの華僑は喜んだ。

2019年1月には「阿亀微気候」社との協力で田に太陽光発電のセンサーを設置し、雨量や温湿度の測定を始めた。それまでの施肥は父親の経験や感覚に頼っていたが、今では土壌の電気伝導度や温湿度を見て適切な水やりや施肥ができる。

ローマ教皇に贈ろう

彼のコメはハラール認証も受け、ドバイにも売る。「南カリフォルニアの買い手は田の生態状況も気にします。それで今年(2020年)の第1期から田にいる生物の記録も始めました。常客はヌマガエルやシュウダ、カタツムリ、時には野ウサギ、キョン、キジの足跡も見ます」

学識豊かな魏瑞廷は海外の文献も読む。「大自然を働かせよう」という有機農法を知って試してみた。タカやフクロウなどの猛禽類そっくりの凧や人形を置いて小鳥がイネを食べに来ないようにしたり、偽物のカモを水田に置いて本物のカモをおびき寄せ、水田にはびこるスクミリンゴガイを食べてもらったりしている。

2019年8月、日本の『ローマ法王に米を食べさせた男』という本に刺激され、バチカンにコメを贈ろうと考えた。駐バチカン大使の協力もあり、クラジェウスキー枢機卿との接見がかなってコメを渡すと「では、今日の教皇の昼食に召し上がっていただこう」と言ってもらえた。教皇からは魏瑞廷に「使徒的祝福」と十字架が贈られた。「1回の輸送費が5万元です。宣伝になるからではなく、『台湾は教皇のことを思っています』と伝えたいのです」と魏瑞廷は熱っぽく語る。

どちらの方ですか?

同じく家を10年以上離れていた曽国旗は、故郷の花蓮玉里鎮東豊里に戻った際、やはり1000万を超える負産を背負う身となった。だが建築学を学んだ彼は「規模の経済」の概念で逆境から抜け出し、全国最大の有機雑穀‧水稲の栽培地を作り上げた。

22年前、中壢にある建築事務所で働いていた曽国旗に電話が入った。父親が灌漑用水路工事の事故で生き埋めになったという。なんとか命はとりとめたものの半年は入院が必要とされた。

曽国旗の父、曽文珍は2007年の「神農奨」受賞者だ。1995年から1ヘクタールの土地で有機米栽培を開始、1998年には当時の農林庁による農村牧畜汚染防止政策を受け、循環型農業の理念に基づいて堆肥プラント建設に着手、また花東有機肥料協同組合を立ち上げるなど、様々なことに取り組み始めた矢先の事故だった。おりしも建築士資格試験に向けて準備中だった曽国旗だが、27歳で家業を継ぐことを決断した。

中学卒業後には花蓮玉里を離れていたので、近所の人はみな曽文珍にこんな息子がいることを知らなかった。しかも「私は有機米栽培をよく知らなかっただけでなく、有機米を食べている人も周りにおらず、父のやる堆肥プラントを『ウンチと奮闘する』ぐらいに考えていました」

故郷では次々と困難に見舞われた。最初は有機堆肥プラントだった。協同組合の出資者たちが有機堆肥作りは利益にならないと気づき、次々と資金を返せと言ってきたのである。人間関係を重んじる曽文珍は「農家が汗水流した金だから」と返却に応じたため、36人いた出資者のうち残ったのは6人だけだった。財務面での巨大なプレッシャーが曽国旗の肩にのしかかった。

次の問題は有機米の栽培と販売だった。農村では高齢化が進み、人手が不足していた。最初は父親のやり方を踏襲していたが、やり方を変えないと苦境から抜けられないと気づき、親の代がやらなかった新たな試みに着手した。機械化で人手不足を解消すること、そして規模の経済によって収入を増やすことだった。

「規模の経済」で有機栽培

父親の反対の下での変革だったので、曽国旗は成果を出して証明した。例えば、ほかの作物との二毛作を父親は拒否したが、雑草が悩みの有機栽培ではイネとほかの作物の二毛作にメリットがあり、台湾大学や中興大学の教授も奨励していると曽国旗は言う。すなわちイネとマメの二毛作だ。

水田に生息する雑草や昆虫は水がなくなると生きられず、畑の生物は水田を嫌う。やってみると本当に病虫害を防げただけでなく、雑草の問題も解決でき、彼の東豊拾穂農場は台湾初の広面積二毛作水田としてモデルエリアとなった。

目の前に広がる47ヘクタールの農地を指さし、彼はこう説明した。この土地は76戸の農家の土地を合わせたもので、それぞれの農家には大型農機具を購入する資金がない。それで彼と父親は協同組合を利用して契約栽培の面積を増やし、さらに花蓮農業改良場と協力して機械化によって生産高を増やす研究を進めた。また、農家が有機栽培への転換を図れるよう協同組合でサポートすることで有機農業面積を拡大していった。これによって「花蓮有機農産加工生産」協同組合は、元の7ヘクタールから130ヘクタールへと広がった。コメ以外に雑穀栽培も進めたので、政府の食糧自給政策に応じたものとなり、曽国旗は神農奨を2017年に受賞した。

台湾版コシヒカリを

2004年、曽国旗は組合の作る有機米や有機肥料、文旦などの農産物に、故郷の名を用いて「東豊」とブランド名をつけて売り出した。話し方のソフトな曽国旗だが、さらに優しげな口調で「慈心基金会を創設した日常老和尚さんのサポートに感謝しています。うちの有機米を買おうと言ってくださり、里仁有機商店での販売もかない、東豊米は軌道に乗りました」

建築学を学んだ曽国旗は、建設現場の工事計画のやり方を取り入れて生産や品質管理を行ったが、これが組合員の不満を招いた。特に台南13号の栽培を広めようとした際の反発は大きかった。それまでは各農家が好きなように農作業をしていたのが、慣れ親しんだ品種の栽培を続けることができず、組合の計画に従って田植えや施肥をしなければならない。決まり事に耐えられず、或いはこっそり化学肥料を使う農家も出たりして、次々と退出していき、30ヘクタールあった栽培面積は一度は7ヘクタールに落ち込んだ。

だが収穫すれば良し悪しは明白だった。価格も保証され、適切な時期の田植えや施肥でいもち病のリスクも減る。こうして契約農家は36戸に増え、花蓮豊浜や台東関山にまで広がった。

曽国旗は別の10ヘクタールの田で台南16号を栽培している。これは彼にとって最も台湾を代表し得る品種で、この品種を「繊細な美女」と彼は呼ぶ。生産高が少ないという欠点があったが、台南農業改良場の陳栄坤博士による改良と指導があって田植え時期を調整し、また有機肥料に詳しい曽国旗が栽培したことで、透明な良質のコメが実った。炊けば光沢のあるご飯粒はモチモチとして、日本のコシヒカリをしのぐほどだ。

曽国旗は2018年に農糧署による「コメの達人」選抜で全国有機米部門の3位に輝いた。良質米部門でも有機米部門でも3位以上はみな特殊な香りで勝負していたのに対し、彼のコメだけが香りでなく味わいで秀でていたのである。

「夢は世界で最も美味しい有機米を作ることです」曽国旗は故郷に戻り、農家としてのアイデンティティーとプライドを見つけたと言えよう。

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The Benevolence of the Land

Master Rice Farmers Wei Jui-ting and Tseng Kuo-chi

Esther Tseng /photos courtesy of Lin Min-hsuan /tr. by Phil Newell

“If you aren’t good at school, then go into farming!” This is what older rice farmers used to tell their offspring. But younger people, determined not to be farmers, studied hard and escaped from their rural hometowns.

Wei Jui-ting from Chishang in Taitung County and Tseng Kuo-chi from Yuli in Hualien County both followed this path. Yet when their fathers encountered various difficulties with production and marketing, they decided to return home and take up the heavy burden of farming. They have used initiative and expertise that the previous generation lacked to break through the obstacles in their way and grow rice worthy of representing Taiwan.


Getting by on willpower

With the arrival of summer, the ripening rice in Taitung’s Chishang Township forms a sea of yellow. Wei Jui-ting gets up at 5 a.m. on a day off from his day job and fires up his harvester to reap the golden grain. It takes him three days to harvest the rice from his nine hectares of land, and send it for drying and milling.

During this busy period on the farm, Wei, who still works at the Forestry Bureau, sleeps only four to five hours a night. “I get by on willpower.” With sweat pouring off his brow, the 38-year-old Wei says, short of breath: “This is why I didn’t want to work the land.”

Growing up in a farming family, Wei had no real childhood. When it came time to write a school essay on “where I would like to go for fun,” Wei couldn’t think of anything to write. He says: “When I was with my classmates, I didn’t dare admit that that guy wearing ragged old clothes was my father.” After finishing his compulsory military service, Wei was determined not to go back home and farm. He graduated from the Department of Forestry at National Pingtung University of Science and Technology and got a master’s from the Department of Forestry and Natural Resources at National Ilan University. Then he put his nose to the grindstone for three straight months in the NPUST library to prepare for the recruitment exam for the Forestry Bureau, which he passed, thereby becoming a civil servant.

In 2009, when the Veterans Affairs Council for the first time called for bids for farmers to manage organic rice farms in Chishang, Wei’s father, Wei Qinan, won operating rights for 16 years with a bid of NT$1.01 million. Topping up his savings with a loan, he spent an additional NT$5 million to prepare ten hectares of weed-choked abandoned land for cultivation before he could begin planting rice.

After going to all the trouble of harvesting his first rice crop, Wei Qinan found he couldn’t sell it, running up against brick walls in all directions. Organic rice produced in Chishang finally was sold to neighboring Guanshan—at about half price! Then, when it came time to harvest his second crop, at first Wei Qinan couldn’t find anyone to do the harvesting, and the rice would have rotted in the fields had he not at last managed to hire a harvesting team from Taitung’s Chenggong Township, on the other side of the Coastal Mountain Range.

After that close call, the elder Wei spent NT$3 million to buy a harvester. Where did he get the money? “From the farmers’ associ­ation!” says Wei Jui-ting, meaning that he borrowed it from the association’s credit department. To cope with the shortage of farm labor, Wei’s father went on to buy a rice seedling transplanter, a tractor, and a fertilizer sprayer, as well as a grain transport truck and a flatbed truck for transporting his harvester. Without even realizing it, he had gotten himself NT$30 million into debt.

“Everything he earned went to buy farm machinery! Whenever I went home, I had to listen to my parents arguing about money.” Wei Jui-ting says wryly: “My father knows how to grow rice, but not how to sell it.” Unable to look on any longer, Wei requested a transfer from the Forestry Bureau in Luo­dong, Yilan County, to Taitung’s Guanshan, and on his days off took rice to sell at organic markets in Taipei, thus beginning five long years of “market life.”

Blockchain technology

Wei got the feeling that this “market life” was all he would ever know. But in 2018 he began to use blockchain technology to record the condition and growth of his rice through a micro weather station. This drew the attention of the UK’s Financial Times newspaper, which interviewed him and called him the first farmer in the world to use blockchain. He began to see light at the end of the tunnel when he was able to start selling some of his rice overseas.

Turning on the screen of his smartphone, Wei explains that blockchain is characterized by tamper-proof, faithful presentation of data. This means that blockchain records can accurately present the conditions in his fields, guaran­tee­ing food traceability.

“At first it was a buyer from Hong Kong, and then buyers from Canada and other countries, who didn’t trust Taiwan’s organic certification system but did trust blockchain.” Wei has even gotten onto Amazon’s US website with his “Rice Valley” brand. Overseas compatriots living in the US and Canada are thrilled to be able to buy rice produced in Chishang, even at a price of US$29.95 per two-kilo package.

In January of 2019 Wei again worked with the AgriWeather microclimate analysis company to install solar-­powered sensors in his fields. He says: “In the past my dad spread fertilizer based on his experience and his gut feeling. Now I look at the electrical conductivity, temperature, and moisture levels of the soil.”

Organic rice for the Pope

The academically minded Wei saw articles from overseas about an organic farming method that “lets nature do the work,” and studied it until he could apply it. He uses imitation predatory birds, setting up eagle-shaped kites and putting out lifelike models of owls, to scare away small birds that would eat his grain. At harvest time he puts out teal decoys to attract real teals to eat apple snails, giving his fields a fun and interesting appearance.

In August of 2019, Wei was inspired by the book The Man Who Sent Rice to the Pope, by the Japanese rural civil servant Josen Takano. Believing that the Kaohsiung 139 rice he cultivates is every bit as good as the Japanese Koshihikari cultivar, he got the crazy idea of delivering some to the Vatican. On his behalf, the ROC Embassy to the Holy See gained an audience with Cardinal Konrad Krajewski, who accepted the rice and said that it was just in time for use in the Pope’s after-mass lunch. Pope Francis even sent Wei an apostolic blessing parchment and a crucifix in return, and expressed appreciation for his goodwill.

Wei Jui-ting, his voice filled with patriotic fervor, says: “The shipping costs are NT$50,000 each time, but from the beginning I have never intended to make money from this, but rather to let the Pope know, ‘Taiwan really cares about you!’”

Dongfon rice: Tseng Kuo-chi

Tseng Kuo-chi, who likewise left his rural home in the Dongfeng ward of Hualien’s Yuli Township for over a decade, found himself to be a second-generation debtor when he returned to take over the family farm. Heir to a debt of NT$10 million, Tseng, who has a background in architecture, got out of difficulties with economies of scale. His operation has become the largest specialist zone for the cultivation of beans and paddy rice in all Taiwan.

Leaving home at a young age

Twenty-two years ago, when Tseng was working in an architectural firm in Zhongli, Taoyuan County, he received a phone call saying that his father, Tseng Wenzhen, had been buried alive in an accident involving irrigation works. He was saved from the brink of death, but his doctors estimated that he would have to stay in the hospital for at least half a year.

Tseng, who at that time was preparing to take his ­architect’s license exam, could not help but blame himself for his father’s severe injury, and at age 27 resolutely decided to return home to take over the family business.

Tseng had left Yuli upon finishing junior high school, so he was a stranger to the neighbors, who didn’t even know that Tseng Wenzhen had this son. “At that time, not only did I have no understanding of organic rice cultivation, nobody was eating organic rice. Also, I didn’t like at all what I saw of my father’s animal waste composting plant, which I thought of as just ‘fooling around with excrement.’”

Economies of scale

Tseng met with a series of difficulties after returning home. The first problem was with the organic fertilizer plant, which was run as a cooperative. Although today Tseng understands that organic fertilizer is the foundation of organic agriculture, at that time stockholders who had invested in the plant discovered that there was no profit in organic fertilizer, and many of them demanded to withdraw their investments. His father, hoping to keep people happy and believing that all the money was hard earned by the blood and sweat of farmers, agreed to allow them to get their investments back in full. As a result, out of 36 investors only six remained, leaving Tseng Kuo-chi under enormous financial pressure.

The second problem was with actually growing and selling organic rice. In rural areas the population is aging and there is a shortage of labor. At first Tseng used the same traditional methods as his father had, but he soon realized that he could only escape from his difficulties if he made changes. He boldly adopted methods that his father’s generation had not dared to try, using mechanized cultivation to overcome the shortage of manpower, and from there he realized that he could only increase his income by achieving economies of scale.

Tseng’s father opposed these changes at every turn, but the results proved Tseng to be right. For example, his father, who had farmed paddy rice all his life, could not accept rotation between wet paddy cultivation and dry field cultivation. But Tseng Kuo-chi said that weeds are the worst thing for organic farming, and professors at National Taiwan University and National Chung Hsing University all suggested “wet‡dry rotation,” alternating between growing one crop of paddy rice and one crop of beans.

Dongfon Organic Farm became Taiwan’s first large-scale demonstration area for wet‡dry crop rotation.

Tseng also worked with the Hualien District Agricultural Research and Extension Station to study how to use mechan­iza­tion to replace human labor and increase production, and to assist small local farmers with conversion to organic farming. Building on the existing fertilizer cooperative, the area of land being farmed organically was expanded, enabling the “Huadong Organic Agricultural Products Processing and Production Cooperative,” as it became, to grow from its original cultivated area of seven hectares to the 130 hectares it has today. Tseng received a Shennong Award, recognizing him as one of Taiwan’s top farmers, in 2017.

Creating the Dongfon brand

In 2004, Tseng brought together agricultural products produced by the cooperative including rice, organic fertilizer, and wendan pomelos, and drew on the community’s name of Dongfeng to create the “Dongfon” brand name, with the cooperative producing and selling their goods themselves. His gentle voice becoming even softer, Tseng says: “I have to thank the Venerable Master Jih-chang, founder of the Tse-Xin Organic Agriculture Foundation, for his continual support. He promised to buy our organic rice and sell it through the Leezen organic food stores, so we have had no worries over how to sell Dongfon rice.”

In addition, Tseng cultivates Tainan 16 rice on ten hectares of land. In his eyes this is a variety of rice that is well worthy of representing Taiwan.

He calls Tainan 16 “Slender Beauty.” At first it suffered the drawback of low yields. But this issue was overcome thanks to improvements made by Dr. Chen Rong-kuen of the Tainan District Agricultural Research and Extension Station, who also personally came to Dongfon Organic Farm to give advice on adjusting the schedule for planting out seedlings. Thanks in part to Tseng’s expertise in the use of organic fertilizer, the rice grains produced have a crystal-like clarity, and after cooking the rice is soft and sticky with a glossy sheen. It can even be said to surpass Japan’s Koshihikari rice.

In 2018, this rice won Tseng third place in the organic rice division of the “Best Taiwan Rice” competition, organized by the Agriculture and Food Agency of the Council of Agriculture.

“My dream is to grow the best-tasting organic rice in the world.” From leaving home to returning to build the largest organic rice and bean farming zone in eastern Taiwan, Tseng Kuo-chi has discovered in his hometown the sense of identity and pride that comes with being a ­farmer.           

土地的恩惠

種米達人:魏瑞廷、曾國旗

文‧曾蘭淑 圖‧林旻萱

「袂曉讀冊(不會讀書)就去種田!」老一輩農民總是如此告誡著下一代。年輕一輩抱著絕不種田的決心,努力讀書,逃離家鄉。

台東池上的魏瑞廷、花蓮玉里的曾國旗就是如此,但是當父執輩遭遇生產、銷售等種種困境時,他們卻又選擇返鄉,挑起重擔,用上一代沒有的魄力與專業奮力突圍,種出代表台灣的稻米。


 

禾怕寒露風,人怕世炎涼

時序走過「小滿櫃,芒種穗」,台東池上成熟的稻米一片澄黃海。魏瑞廷假日清晨五點起來準備,等到露水乾了,開著收割機割稻收割,九公頃的稻田,三天完工,陸續送烘乾、碾製加工。

四季節氣不等人,得趕著夏至播種,立秋前插秧,在此農忙時期,還在林務局上班的魏瑞廷,一天只睡四、五個小時,「我是靠意志力撐下去。」任其額頭上的汗水直流,38歲的魏瑞廷氣喘噓噓地說:「這就是我不想種田的原因。」

因為家裡務農,從小沒有童年,寫作文「去那裡玩」,寫不出來,他說:「甚至與同學在一起時,不敢承認那個穿破破衣服的人,是我的爸爸。」退伍後,為了不想回家種田,屏科大森林系、宜蘭大學森林暨自然資源研究所畢業的魏瑞廷,在屏科大圖書館苦讀三個月,考上林務局,當上了公務員。

2009年退輔會第一次在池上辦理有機稻田委託經營的招標,其他農民不會寫標單,都寫比100萬元底標還低,只有魏瑞廷父親魏其南以高於底標一萬元,標到16年經營權,10公頃荒煙蔓草的土地,積蓄加上借錢花了500萬元整地,開始種稻。

好不容易一期稻收割了,卻賣不出去,想找買家四處碰壁,產自池上的有機米,最後卻以近腰斬的價格賤賣至關山,接著又遇到二期稻作要收成時,找不到人來收割的窘境。

因為這次有驚無險的經歷,魏父斥資300萬元買割稻機。怎麼有錢?「從農會搬啊!」魏瑞廷的意思是向農會貸款。為了解決缺工的問題,接著他的爸爸又買了插秧機、翻土的曳引機、一年只用六次的灑肥機,還有載穀車、載收割機的板車,不知不覺已欠下3,000萬元的債務。

市集人生苦,毋敢回頭望

「賺的錢都拿去買農機了!每次回家,就聽到父母親為了錢吵架。」還有米的銷售也是一個問題。魏瑞廷苦笑著說:「我的爸爸會種不會賣。」他看不下去,向林務局請調,從宜蘭羅東調回台東關山,利用假日載米去台北有機市集賣,就這樣開始了他長達五年的「市集人生」。

第一次擺攤,60包米只賣了6包,回到池上怕丟臉、又擔心爸媽擔心,謊報全賣完,用他上班薪水補足交給爸媽。原本在中興大學念博士的魏瑞廷,博士也不念了,一到假日,魏瑞廷就載著20箱、400公斤的米到台北市的農夫市集。又因為離家近,身為獨子的他,捨不得老父一人獨自在田裡幹活,插秧時期清晨二點起來幫忙,七點趕換衣服去上班;而假日就是他的有機肥施肥日。

為了節省時間,他假日疾行在蘇花公路上,往返台東、台北,總是感覺疲累沒有止境。曾經,他暗自希望蘇花公路的一塊大石頭掉下來,正好一了百了;米賣得不好,沮喪到邊開車邊哭,只是回到家又是一條好漢,至少每週固定在市集賣米的收入,可以用來償還貸款。

運用區塊鏈,行銷國際

原本以為「市集人生」就是人生的全部了,魏瑞廷在2018年開始結合區塊鏈的技術,透過微氣象站記錄稻米生長情況,不僅吸引《倫敦時報》專訪,稱他是全球第一個使用區塊鏈的農夫,也讓他守得雲開見月來,稻米開始行銷國際。

魏瑞廷打開手機的畫面解釋,區塊鏈具有不可竄改、忠實呈現等特性,因此透過區塊鏈的紀錄,可以忠實呈現田間的情況,成為食品溯源履歷的保證。

「起初是香港的買家,接著是加拿大等國外的買家,不相信台灣的有機認證,卻相信區塊鏈。」魏瑞廷以「池上禾穀坊──米之谷」的品牌,再打入美國的亞馬遜網站,住於美、加的華僑買到池上出產的米,縱使一包二公斤的米要價29.95美元(約台幣864元),也興奮激動。

2019年1月他再與阿龜微氣候合作,在田間裝設太陽能發電的感應器,可以偵測雨量、溫度、溼度。他說:「過去我爸施肥靠經驗、憑感覺,現在我看電導度EC值、土壤溫溼度。」可以給予各田畦的稻子最適合的水與肥料。

有機耕種米,癡心贈教宗

魏瑞廷也申請清真認證,將米遠賣至杜拜。「南加州的買家,在意農田生態的情況,因此我今(2020)年第一期作又開始記錄稻田裡的動物,澤蛙、臭青母、蝸牛是基本盤,還看過野兔、山羌,以及紅頭雉的足跡。」

會念書的魏瑞廷看到國外的文獻,有一種「叫大自然做工」的有機農法,他也學以致用,運用擬態猛禽,放置鷹偶風箏、唯妙唯肖的貓頭鷹,來嚇唬吃稻穀的小鳥;收成時放「假的水鴨」,吸引真水鴨來吃福壽螺,形成田間有趣風景。

魏瑞廷用高雄139、145號輪種,除了增加稻米生長量,號稱醜美人的高雄139,雖有外觀心腹白的缺點,但口感香甜Q軟,完全不輸日本壽司米。

2019年8月他受到《獻米給教宗的男人》這本書啟發,認為台灣米一點也不輸給日本,突發奇想送米到梵蒂岡,並在駐教廷大使館的襄助下,由樞機主教約斯基(Konrad Krajewski)接見,接下米,而且說剛好可以做為教宗作完彌撒後的午餐。教宗還回贈降福狀與十字架,肯定他的心意。

同年底他又以為教宗慶生為名義,再一次送米到梵蒂岡,這次卻寄不見了,駐教廷大使李世明很認真幫忙找米,隔年2月找到了又再送給教宗。魏瑞廷滿腔愛國心地說:「每次運費高達五萬元,初衷不在賺錢,而是想讓教宗知道:『台灣很在乎你』!」 


一樣逃離家鄉十多年的花蓮玉里鎮東豐里的農村子弟曾國旗,返鄉接班時還是「負二代」──負債千萬的第二代,學建築出身的他,用規模經濟走出困境,成就全國最大的有機雜糧暨水稻種植專區。 


少小離家,笑問客從何處來

22年前,人在中壢一家建築師事務所上班的曾國旗接到電話,他的爸爸因為水圳加蓋的公安意外遭到活埋,救援人員不敢出動怪手,只能徒手挖掘,30分鐘救出來已沒有生命跡象,後來從鬼門關搶救回來,因下肢粉碎性骨折,醫師預估至少要住院半年。

曾國旗的父親曾文珍是2007神農獎得主,1995年開始以一公頃面積試種有機米,1998年他又為了配合當時省農林廳防治農村畜牧汙染的政策,基於循環農業的理念,正著手興建堆肥廠,又籌組了花東有機肥合作社,千頭萬緒,百廢待舉,卻受了重傷。

正在準備建築師執照考試的曾國旗,因父親的重傷,不由自主地責備自己,當時27歲的他毅然決然地回鄉接手家業。

國中畢業就離開花蓮玉里的曾國旗,鄰里都不知道曾文珍有這個孩子,「當時我不只完全不懂什麼是有機米種植,也沒有人吃有機米,對父親搞堆肥廠,『與大便玩在一起』更是不以為然。」

打造規模經濟,有機專區成形

回鄉卻是一連串的困難在等著他。第一個難關是有機肥廠,雖然現今曾國旗能夠體會有機肥廠是有機生產的基礎,但當時出資十萬至百萬不等的合作社股東,發現生產有機肥不會賺錢,紛紛要求退股。曾文珍以「人和」為由,認為這些都是農民的血汗錢,答應如數退股,結果36個股東退成只剩6個。龐大的財務壓力就落到曾國旗肩頭上。

第二個難關是有機米的種植與銷售。農村人口老化,人力短缺是現狀,一開始跟著父親用傳統方法做,但曾國旗發現只有「改變」才能突破困境,他大膽採取父執輩不敢嘗試的方法,用機械化耕種解決人力荒;發展規模經濟才能增加收入。

但改變都是在父親的反對下進行,而曾國旗用成果來證明自己。例如一輩子種水稻的父親,無法接受水旱輪作。但曾國旗說,有機種植最怕雜草,台大、中興大學的老師都建議「水旱輪作」,也就是一期種稻、一期種豆。

他解釋,水旱輪作時,原本習慣水田的雜草、水生昆蟲因旱田而生存不下去,反之亦然,果真達到病蟲害防治的目標,也解決雜草叢生的問題,東豐拾穗農場還成為台灣第一座大面積水旱輪作的示範區。

他指著一望無際47公頃的農地說,這塊地其實包含76塊小農的土地,小農沒有資金投入機具、設備,就必須貸款,因此他與父親藉由原有合作社的組織,增加契作種植的面積;再與花蓮農改場合作,研究如何用機械取代人工,藉由機械化增加產量,進一步協助在地小農轉作有機,由合作社來提供支持與後盾,擴張有機農業的版圖,這也讓「花東有機農產加工生產合作社」從原先最少的7公頃,增加至目前的130公頃。稻米加雜糧響應了政府糧食自給的政策,曾國旗在2017年獲頒神農獎。

創東豐米品牌,種出台版越光米

2004年曾國旗整合合作社的有機米、有機肥與文旦等農產,以家鄉之名,創立「東豐」品牌,合作社要自產自銷,溫和的曾國旗語調變得更柔軟地說:「感謝慈心基金會的創辦人日常老和尚一路陪伴與支持,答應收購我們的有機米,在里仁有機商店的通路販售,讓東豐米的銷售沒有後顧之憂。」

學建築出身的曾國旗,將營建工地的施工計劃用在農地上,生產、品管都有標準流程,卻引發社員不滿,尤其是曾國旗推廣栽種口感清香的台南13號,遭到最大的反彈。因為農民不再能隨性的日出而做、日落而息,不能種原來習慣的品種,而是要配合合作社規劃的進程插秧、施肥,有些社員受不了這些規定,或是偷偷用化學肥料,紛紛退出,栽種面積一度從30公頃減少至7公頃。

但稻穀的收成說明一切,透過保證價格的收購,甚至因為調整插秧、施肥的期程,閃避稻熱病的危害,讓契作的農友現今增至36位,種植面積從花蓮豐濱延伸至台東關山。

曾國旗另外以十公頃面積種了台南16號,這是在他心目中最能代表台灣的品種。

他稱台南16號為「纖細美女」,原本具有產量不高的缺點,經過台南農改場陳榮坤博士的改良,又親自到現場指導,調整插秧等時程,加上曾國旗又是有機肥的行家,種出的米粒晶瑩剔透,煮出來的白飯軟黏、泛著油亮光澤,甚至超過日本越光米。

曾國旗在2018年農糧署舉辦的稻米達人選拔時,獲得全國有機米組的第三名,也是當年台灣好米組與有機米組的前三名中,唯一不是清香米的品系,也就是說他的米不靠特殊的香味,還能在嚴格的評審條件中脫穎而出,可見其優異的口感。

「我的夢想就是種出全世界最好吃的有機米。」從逃離家鄉到建立花東最大有機雜糧暨稻米專區,曾國旗在家鄉找到了身為農家子弟的認同與驕傲。    

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