市場開拓と技術レベル向上
では、この変化にどう対応していくのか。
90年代末の幾度かの金融危機で、呉盈儒の家族が経営する比安達精機(Beeantah)は大打撃を受けた。受注が激減し、一度は収支バランスも取れなくなった。そこで2005年から呉盈儒は弟とともに工場経営に加わり、将来を模索し始めた。
まず顧客開拓戦略を見直し、欧米市場の開拓に乗り出した。それと同時に技術レベルの向上と生産管理に力を注ぎ、製造工程の制度化を進め、顧客の信頼を高めていった。今後の部品産業は、多くの部品の機能を一つにまとめる方向に進むと考えられ、複雑な内部構造を実現するために、さらに精密な加工技術が求められると彼は見ている。そうした中で、Beeantahの技術力は大きな力になる。彼は商品ラインアップを広げて、より多様な注文も受けられるよう加工寸法を広げた。以前は2~20ミリだったのを今は300ミリまで拡大したのである。
こうしたさまざまな変革により、会社の業績は伸び始めた。呉盈儒は、自分は従来の製品をこつこつ作るより、新しいものに挑戦するのが好きなのだと笑う。いま彼の工場では毎日のように新しいサンプルを作っており、それは常に新たなチャンスがあることを意味すると語る。
作業服のまま駆けつけてくれた黄信澔夫妻は、工場を二回りもすれば全身真っ黒になってしまうので、きれいな格好はできないと笑う。会社を成長させるには技術レベルを向上させる必要があると語る黄信澔は、最近は日本のメーカーと電子オルガンや電子ドラムの筐体を共同開発している。パネルには操作キーもつけなければならないので、この機会に印刷部門も設けた。「従来のものも続けながら新たな試みにも取り組みます」と黄信澔は語る。
Leaderartは東南アジア最大のカラーペンOEMメーカーである。シンガポールからの輸出ルートと子供の教育を考え、創業者の劉惟祥はジョホールバルに進出し、以来27年、会社は順調に業績を伸ばしてきた。
劉惟祥はかつて鞄ひとつをかかえて世界各国の見本市を渡り歩き、市場を開拓してきた。アメリカ、ドイツ、フランス、イタリア、ロシアなど60数ヶ国から注文を受け、安定した基礎を築いた。現在の年間売上は3000万米ドルに達し、工場では一日に150万本を生産している。
2010年、劉惟祥は少しずつ経営を子の代である劉冠鑫と劉光珮の兄妹に引き継ぎ始めた。兄は工場を管理し、妹は仕入れやマーケティング、財務、品質などの部門を担当する。
劉冠鑫は中学卒業後に米国留学し、その後は台湾の大手メーカーであるクアンタ・コンピュータと鴻海(ホンハイ)で2年間働いて経験を積み、マレーシアに戻ってからは少しずつ会社経営に加わった。最初の任務は工場の自動化だった。「人手不足と品質管理という二つの課題に対して最も有効なのは、人の手を経ない工程を増やすことです」と言う。そこで彼はまず製造工程や金型を標準化するなどして、無駄を省いていった。
劉光珮は米国で会計士の資格を取り、2年間仕事の経験を積んだ。結婚後は台湾に戻ったが、今もLeaderartの仕事を続け、毎朝iPadで各部門とテレビ会議を開いている。私たちが劉惟祥を取材した時も、iPadを通して劉光/\から話を聞くことができた。
小さなカラーペンの構造は一見シンプルだが、求められる品質基準は非常に高い。例えば、重金属の成分が添加されていないか、キャップの気密度やキャップを外す時の力加減はどうか、などの要求があり、工場では品質管理部門の40人が各種工程をチェックしている。「欧米の顧客の品質に対する要求は非常に高いので、それが自分たちの進歩につながります」と劉惟祥は言う。
精密金属加工の分野では技術と効率が重視される。呉盈儒の工場には従来型の半自動化設備が何台かあり、生産の必要に応じて臨機応変に活用している。