外交部は2009年から国際青年大使交流計画を開始した。国内の大学・短大の学生を友好国に送り出し、交流や公演を通して台湾の若者の思いを届け、友好と信頼を深めている。
今年は160人の青年大使が選ばれ、10のグループに分かれて35カ国の41都市を訪問し、150以上の公演を行なった。その足跡は五大陸にまたがり、各地で大きな反響を得た。
台湾を代表し、大志を抱いて新天地を行く
言語や文化の壁を乗り越えようと、青年大使たちは台湾の風景や信仰、文化など、さまざまな魅力を90分のステージで表現し、世界各地の人々に披露した。
この「壮遊新天地」と題する舞台で、学生たちはバレエや京劇、雑技、現代舞踊、それにギターや琴、二胡、打楽器などの演奏を合わせ、台湾の原住民族、閩南、宗教文化や夜市、食、台湾製の商品など台湾の特色を表現した。若者らしい創意が凝らされ、内容豊富なミュージカルだった。
舞台上には電音三太子や宋江陣、原住民舞踊などが登場し、若者たちのダンスや客家民謡、雑技なども加わって、台湾の多様な文化を織り交ぜた舞台となった。
「この舞台を完成できたのは、まさに奇跡です」と国立台湾戯曲学院出身の林願敏は言う。彼女が8年をかけて身につけた技を、他のメンバーは21日の練習でものにしたのである。他のメンバーにとっても、この3週間はストレッチから回転技まで、まさに特訓続きの日々だった。90分の舞台を完成させるには、一人一人が心身ともに強くなければならないのである。
「この舞台は世界に台湾を知ってもらうだけでなく、台湾の若者たちも自分自身を発見することになりました」と話すのは舞台総監督を務めた于善敏だ。若者たちの真剣さに彼女は感動し、長年ブロードウェイで培ってきた力のすべてを注いで若者たちを指導した。
青年の交流が世界を変える
若者の交流は、小さなところから始まって深遠な影響を及ぼすことがある。第二次世界大戦の後、ドイツとフランスは史上最大規模の学生交流計画をスタートさせ、相互理解の促進に努めた。1990年代にEUが成立した当初、両国はそれぞれが誇りとする自国通貨を手放し、ともにユーロを採用することを決め、新たな世紀へと歩み始めたのである。このことは、若者の交流を通して世界を変えられること、コミュニケーションや協力、シェアを通して誤解や衝突を解くことができることを証明している。
興味深いことに、青年交流は意外な収穫をもたらすこともある。かつて台湾の青年大使がセントクリストファー・ネイビスで公演した時、観客が台湾のタピオカミルクティに大きな興味を持ったことがきっかけで、青年大使の一人が現地にタピオカミルクティを導入し、大ヒットしたことがある。一回一回の交流が無限の可能性を秘めていることがわかる。
勇敢に外へ出て世界を見る
3週間にわたる特訓と3週間の海外訪問は、参加した青年大使たちにとって貴重な夏の体験となった。「外へ出てみて初めて世界の大きさを知り、台湾の良さを改めて実感しました」と話す大学2年生の郭彦寧は、資源の乏しい地域で、学生たちが一つ一つの機会と資源を大切にしているのを見て、「自分がどんなに恵まれているのか気付いていなかった」と反省した。
台湾芸術大学2年生の柯品汶はインドを訪問した際、地元の学生たちが台湾に勉強や旅行に行ってみたいと話すのを聞き「たいへん誇りに思い、台湾をもっと良くしたいと思いました」と言う。
青年大使の夏は終わった。彼らは青春のひとときを真剣に活き、汗と笑顔で世界と台湾をつないだ。今回の旅は終わったが、そこで生まれた友好は永遠に続くことだろう。
馬英九総統(中央)と外交部の史亜平次官(左)が青年大使のメンバーに証書を授与した。
国際青年大使は世界に台湾を宣伝するだけでなく、各地で人々と交流して学び、行く先々の文化や芸術、経済、農業、牧畜などを学んだ。(外交部提供)
国際青年大使は世界に台湾を宣伝するだけでなく、各地で人々と交流して学び、行く先々の文化や芸術、経済、農業、牧畜などを学んだ。(外交部提供)
国際青年大使は世界に台湾を宣伝するだけでなく、各地で人々と交流して学び、行く先々の文化や芸術、経済、農業、牧畜などを学んだ。(外交部提供)