芳村の台湾人
その後、多くの台湾茶業者が中国に店を構えて卸売をするようになり、その場所は広州の芳村へと集中していった。
現在、芳村には台湾人が経営する茶問屋が30〜40軒あり、その多くは台湾産の茶を売っているが、大陸産の台式烏龍茶やプーアール茶を扱う店もある。
芳村に初めてできた台湾茶専門店は「茶博士」だ。「開拓の祖」と呼ばれる経営者の許龍宝さんによると、十数年前は商売は非常に楽で、朝8時に店を開き、夜11時に閉店するまで、客はひっきりなしに来ていたという。
かつて珠江デルタの汕頭で台湾茶を売っていた陳志任さんは、5年前に芳村に移り「台湾唐明皇茶葉公司」を開き、今でも台湾茶を売っている。
「台湾では茶摘みをする人がいなくなってしまいました」と話すのは芳村の林姲;妡;さんだ。彼女の夫が台北県三峡に持つ茶畑は維持できなくなり、生活のために中国で茶の栽培と販売をするようになった。夫の曾進来さんは、福建省三明市沙県で鉄観音茶を50ヘクタール、金萱茶(台茶12号、台湾烏龍茶の改良品種)を20ヘクタール栽培しており、年間生産量は3万5000キロ、その規模は台湾で栽培していた頃の数十倍になる。このように大陸で栽培される台湾の品種を業界では「台式茶」と呼んでいる。
かつて曾進来さんは、福建省で採れた中国茶と台式茶を台湾に輸送して販売していたが、通関手続が煩雑で時間がかかり、1〜2ヶ月もかかるため新茶も古くなってしまった。そこで5年前、林姲;妡;さんが20万人民元を投じて芳村に9坪の店舗を借りて「尚品茗茶」を開き、夫が生産した台式茶の販売を開始したのである。
一方、本物の台湾茶を専門に扱う問屋「水中月」は嘉義出身の張義雄さんが10年の心血を注いできた店だ。「長く居座れば、そこが自分の場所になります」と話す張さんは、誠意と信用を重んじて商売をしていれば、巨大な中国市場の一角を占めることができると考えている。
接待もマージャンもしない張さんは、寝ても覚めてもお茶のことばかり考えている。商売を拡大するために、済南や安渓、桂林などへも販売に行く。昨年はRV車を購入し、一年で9万キロも走った。平均すると1日200キロ以上の距離である。
高雄出身の呉鑫;田さんは、最初は芳村で台湾茶を売っていたが、競争が激しく、もともと台湾茶の専門ではないため、売上は伸びなかった。そこで3年前から、寝かせておくほど価値が高くなるプーアール茶を扱い始めたところ、プーアール茶の大ブームが起き、思いがけず芳村で最も収入の多い台湾人になった。
プーアール茶の相場は驚くほど上っている。19世紀に作られた福元晶円茶は1餅(円形の1塊)で10万人民元、50年代の大字緑印プーアール茶7餅(俗に「七仔餅」)は21万人民元もする。そのため「真っ黒なプーアールは値段もブラック」と言われる。