寂寞から快活明朗まで
周公の一生は、貧困に甘んじ餓死はしないという小さな願いから、わけのわからぬ知識欲が生まれ、詩を極めようと志を立てるまで、心の赴くまま、最もまっすぐで最も難しい道を選んできた。
自由のために、詩を書くために、人生の出会いの中で家族を、愛情を、友情を失い、寂寥に甘んじることを余儀なくされた。詩壇の友・余光中がいう。「『孤独国』でも『還魂草』でも、どのページを見ても、あるのは永遠に寂寞」。小さな願い、草のように微々たる思い──「一つかみの土をくれ、それで根を生やせるから」、それが今では、時間の精錬を経て、詩の巨人となった。
曾進豊は「枯、痩、冷、寂」が周公の詩風という。冷寂は無情無味ではなく、逆に、詩の奥底に秘めた氷と火の交わり、情熱と超越の綱引きであり、千万人の叫びよりけたたましく、肉の舞よりも魅惑的である。詩「孤独国」のように。
ここ白昼の静寂は夜の如く妖しく深い
夜は白昼より麗しく、豊かで、輝かしい
この寒さは酒の如く、詩と美を秘めて、
虚空さえ手話を使い、
言葉を忘れた満天の星を誘う・・・
『還魂草』期の周公の詩作は、「情あり禅あり、より一層の孤絶」であり、曾進豊は「赤とんぼ」の句「苦くて涙涸れ果て血で後を続ける石頭記」で、詩人の無情に似て実は情に苦しむ悲壮を形容する。
しかし後期になると、禅の空明と快活さが徐々に醗酵し、詩集『約会』では、周夢蝶は各所で、生活に即した平凡な言葉で、世事を洞察した悟りを伝えている。「詩作の哲理はもはや偈語(げご・仏の徳を讃える散文)式の警告のみならず、清浄明朗の境地そのものの印象である」。読者は詩人と共に歩み、ここへ至って悟るのである。
詩「鳥道」にこう言っている。
・・・・・・
今 歳月は杖に寄り添い
──夢はもはや広大ではない──
杖と同じ高さをつかみ
ひらりと移りどこにも安んじる影
一歩進んでは考える
足下へ
いちばん目近の天の果て
白鴎が悠々と
限りなくすばらしい夕日
その帰るところ
帰っていく
微かな波のところ、きっと
滄海のところ!
・・・・・・
「今日はもうたくさん!」
生活に帰り、平凡に戻る。周公ほど苦しく寂寥にあって、なぜ年老いても活力を失わないのか。
今年91歳になる周公は、特に養生しているわけでなく、強いて言えば「分を守り、足るを知る」に過ぎない。しかし長い間の生活習慣は「周氏養生法」となり、詳しく聞けば実用的で環境にもやさしい。
ある日、記者は周公と朝食を共にする約束をした。その日はやや冷えた。薄着の周公は「少なめに着て、少し寒い感じを残す」のが好きだと話した。贅沢が苦手で「福が薄い」と自分で思う。話すうちに粥と菜が来る。蝶老人は粥を碗いっぱいによそい、すごい勢いで飲んでしまった。「気をつけて、やけどします」というのも聞かず、菜には目もくれずに粥をおかわりして、半分まで飲んでようやく止まると、バツ悪そうにつぶやいた。「前世は和尚だったかなぁ、なんでこんなに粥が好きなのか」そして手で顔を覆って笑って、子供の頃の母の教えを慌てて守る。「歯がみっともないから、あんまり笑うんじゃないよ!」
「家で粥を炊くと、粥は全部飲んでしまったのに、落花生は一粒も食べてない」と認める。「もう一杯いかが?」「二杯でたくさん。今日は食べ過ぎた」そしていきなり「三病息災、腹七分目」と言い、「長生きしたけりゃ贅沢するな」と悠々と付け足した。詩人はちっとも楽しようと思わないらしい。養生も深い思慮で実践する。
病は気から
周公は長い間、粗食を続けているが、身体の虚弱を感じると、バスに乗って淡水へ行き、軟らかく煮込んだ牛肉麺を食べる。いつもすぐに元気が湧くのを感じながら、体重40キロ前後を数十年保っている。
笑い話をしてくれた。友人と食堂を出ると、横にコイン式体重計があった。面白半分で乗ってみると、コンピュータの声が言った。「坊ちゃん、身長163.4センチ、体重39キロです。それでは今日もいい日を!」周公はうれしそうに笑う。体重が軽くて「坊ちゃん」に若返りしたのだ。
真面目に健康の秘訣を聞くと、周公は飲食や生活習慣は外観にだけ反映し、比率は少ないが、一方、心持の比率は7割だと言う。「病は気から」ということである。
周公は自分を例に、心の健康は性情の教養だと話す。幼い頃から四書五経を暗記し、感受性を培った。儒教の「貧に安んじ道に楽しむ」は、自分を顔回に照らしてみる癖をつけた。大人になり、熱心に禅を学び、また老荘思想の影響を受けて陶淵明に近づいたという。天真爛漫な考えを胸に注ぎ、行いは儒家精神に基づき規則正しかった。
心の平穏も、周公の心の養生法だ。「特に50歳以降、仏法に触れて、たいへん役にたっていると思う」仏法は結果を問わず、表裏一体を追求する。殊に仏法の、人はなぜ富貴貧賎、健康・不健康、快楽・苦痛があるのか、一切は「因の如く、縁の如く、果の如く」原因を知れば、天を恨まず、人を嫉まず、心安く、大空が開ける。
「過去の願いを叶えたい・・・」
もともと丈夫なのか、周夢蝶は痩せているが、たいへん元気だ。三本目の虫歯を抜いたのは60歳くらい、今でも入れ歯は一本もなく、何でも食べられる。視力は特によく、蟻のような字も見え、眼鏡いらずで重宝している。周公は小楷痩金体で原稿を書く。一時間に数十字を磨きあげるが、文字の力強い美しさは友の知るところだ。
特筆すべきは周公の活動力である。これも元気の一因だ。周公は自分に厳しく、約束があれば早々に出かける。「待ち時間に静かにいただく朝食はいちばん美味い」という。周公は何軒か決まったコーヒー店で、静かに腰掛ける。雰囲気ではなくて、「頭の使いすぎで出かける」のだ。日常の大半は読書と思考で埋まっているが、コーヒー店へ向かう小一時間の道のりは、頭を空っぽにするには十分だ。バスに乗ると時空が一変し、「頭が働き出す」。そういうわけで重慶南路一帯では周公の姿がよく見られる。夜になっても周公は道を歩き、最終バスで新店へ帰る。
詩人のロマンはあっても、時間の流れを嘆く。かつていつも願っていた。「時間をください、過去の願いを叶えたい、それで満足しますから」90を過ぎて、身体の衰えを感じている。以前は先延ばしてばかりいたと悔いる。林海音が亡くなった時、小説家・潘人木が書いた故人を懐かしむ文章の言葉に、周公は動かされた。「もっとあると思っていたけど、なかった。」
長衣をはおって颯爽と
卓越した周公だが、「せねばならないこと、すべきこと、したいことが多すぎるのに、時間も精力も体力も足りない」と感慨を免れない。「大きな願いを立てては、行動しない」と高い基準で自分を不満に思い、自分を急き立て、自分を動かす力にしている。以前新聞を取っていたときも、新聞代を払ってから読み始めた。配達員さえも「そんな人はいませんよ」と言った。
そう。周公は自分を「欠陥人間」「奇形」というが、友人の心中では「包容力ある人」だ。淡白で余り積極的でない周公でも、時に人を驚かす挙に出る。誰かの名前がよかったり、講演が素晴しかったりすると自分から話しかけるのだ。例外中の例外だが、人に対する熱さが現れている。
今でも印象に残るのは、インタビューを終えると、周公は容赦ない言葉を投げた。「今年はあと5ヶ月しかない。もう無駄にはできない」自分への厳しさは割り引かれることなく、命残り少ない今日も、変わらず筆を動かし言葉少なく、尽きない詩の道を続ける。長衣をまとった人が、颯爽と歩き続ける様が見えたようである。