再び開かれた扉
瑞舞丹大戯院の華やかな日々も、映画産業の衰退とともに1970年代末から下り坂となり、1989年の春節で廃業を迎えた。12歳だった陳威僑は春節休暇で里帰りしていた。瑞舞丹の最後の1日もいつもと変わらぬ営業だった。「いつもと違ったのは、『下りてきて劇場の扉をいっしょに閉めろ』と、じいちゃんに呼ばれたことぐらいです」あの頃は大人の感傷など理解できなかったが、当時のことを語りながら階段の方を指差した陳威僑の目は赤く潤んでいた。
2011年、富里鎮役所から「劇場の非常階段が道路にはみ出している」と、撤去の勧告があり、陳家はすぐ撤去した。だがこの件でかえって陳威僑は、建造物保存について考えることになった。幼い頃の自分にとっての家は、現代の台湾ではすでに数少ない「昔の劇場」で、地域の貴重な文化遺産なのだと。彼はネットで劇場や古い建造物、空間再利用などに関する情報を探った。そこで改めて悟ったのは、今何かしなければ、子供の頃のこの遊び場は、永久に失われてしまうかもしれない、ということだった。
「それまで私は、安定した収入のある平凡なサラリーマンで、祖父の劇場とはまったく別の世界を生きていました」と陳威僑は言う。
2014年2月、彼は行動を開始する。幸い劇場は閉館後も叔父の経営する雑貨店の倉庫として使われ、建物の保存状態もよかった。
2014年10月25日、瑞舞丹大戯院は再開し、60年代に作られた台湾語映画『大侠梅花鹿(The Fantasy of Deer Warrior)』を上映、毎日60名ほどが見に来てくれた。その後も彼は月に1回、高雄から富里に戻って映画を上映し続けた。2015年9月、映画『太陽的孩子(太陽の子供)』が封切り前に瑞舞丹で上映されると、予想以上の客が集まり、2階席まで埋まった。祖父の思いに応えられたと陳威僑は喜んだものの、次の瞬間には、古い建物がこの人数の負荷に耐えられるかと心配になった。
今でも一人で劇場を運営しているので、あまり多くの客を迎えることはできない。ある時などは、大勢で訪れたサイクリング客の「中に入って写真を撮りたい」という申し出を断ったこともある。
毎回、映画上映開始前に、彼は客に感謝の言葉を述べてからこう言う。「もし映画をそんなに見たくなければ、ロビーでおしゃべりしましょう。瑞舞丹の昔話でもいたします」と。この劇場の雰囲気をじっくりと味わってほしいからだ。
すっかり姿を消してしまった地方の劇場だが、それを今に残そうと、がむしゃらに頑張る人々がいて、そのおかげで我々は、懐かしい空間に再びふれ、長く語られることのなかった物語を再び耳にする。優雅なカーペットや高価な音響設備などはなくても、そこには温かみのある木製の長椅子や、人々の楽しげな笑い声がある。
江明赫は映画館に関連する古いものを集めている。8ミリのフィルムや78回転のレコード盤など、年配の世代には懐かしく、若者には新鮮なものだ。
江明赫は映画館に関連 する古いものを集めて いる。8ミリのフィルム や78回転のレコード盤 など、年配の世代には 懐かしく、若者には新 鮮なものだ。
花蓮県富里郷の永安街 にひっそりとたたずむ 瑞舞丹大戯院。外観は シンプルで注意しなけ れば気付かない。
万国戯院の一角にある売店には駄菓子や ラムネなどが並び、懐かしい雰囲気をか もし出している。
陳威僑は瑞舞丹戯院の華やぎを取り戻し、祖父の思いを引き継ぎたいと考えている。
瑞舞丹戯院には昔風の舞台やヒノキの長椅子が残されている。椅子の背に書かれた座席番号からも長い歳月が感じられる。
瑞舞丹戯院には昔風の舞台やヒノキの長椅子が残されている。椅子の背に書かれた座席番号からも長い歳月が感じられる。
映画が終わると、観客は満足して「出口はこちら」の指示に従って家路に就く。
観客が入場する前には階段を清掃する。陳家の人々は祖父が残した映画館を大切に守り、お客の来場を待つ。