辛い青春時代
台南生まれの陳星合は10歳の時に両親が離婚し、うつ病歴のある母親は息子の面倒を見れないことを心配し、学費は無料だが厳しいしつけで知られる国光芸校へ彼を入れた。
授業は早朝5時から夜8時半まで続く。伝統戯曲の基礎となる筋トレと発声の訓練が続き、体罰も日常茶飯事だ。先輩に棒で打たれることもあった。
この学校で8年学び、肉体的な基礎は固まったが、スポーツ障害もひどかった。自分も先輩のように卒業後はこの学校の教員になるのだろうと思った。
しかし17歳の時、「パフォーマンス概論」という授業で、シルク・ドゥ・ソレイユやSTOMP(バケツやゴミ箱などを使ったパーカッション・パフォーマンス)、ブロードウェイのCATSなど海外の一流演技の映像を見て、伝統戯曲以外のアートがあることを知った。
小さな胸に火がつき、彼はシルク・ドゥ・ソレイユの舞台の映像を集め始めた。
そして伝統戯曲以外の芸術も学ぼうと、一年間準備して台北芸術大学舞踊学科に入り、バレエ、現代舞踊、体操などを一から学んだ。また、母校でジャグリングを専門にする同級生に技術を学ぼうと思ったが、「専門外の者には教えない」という伝統の規則があり、交流を断られてしまった。
誰も教えてくれないなら、自分で学ぶしかない。ジャグリングをネットで検索すると2万件も資料が出てくる。それを一つ一つ練習し、分からない単語は辞書で引いた。
外国のパフォーマンスグループの公演があると必ず見に行った。ひどい英語しかできないが、勇敢にも楽屋を訪ね、世界の一流パフォーマーに教えを請うた。また、フランスからLa Compagnie Jerome Thomasが来訪した時は自薦でガイドを買って出た。少しでも彼らと一緒にいたいと思ったからで、その間に彼にジャグリングのコツを教えてくれる人もいた。
講演では「一歩踏み出す気持ちさえあれば、夢が実現する可能性が生まれる」と強調する。