今と昔では大違い
現代人にとって、ホテルは単に宿泊するだけの場ではなく、レジャーや娯楽、会議、充電など多数の機能を兼ね備える存在だ。
台湾のホテル・旅館業発展の歴史は四段階に分けられ、それは台湾の経済発展や生活形態の変化、国際観光産業の成長などと大きく関わっている。
第一段階は、国民政府が台湾に移ってきた頃である。国民政府の移転とともに米軍や外国の援助団体、海外のマスメディアなどが大量にやってきて、これら外国人に快適な宿泊先を提供するため、1952年に政府は中山北路に円山飯店を建設した。その赤い柱と金の瓦の壮麗でクラシカルな建物は、当時の台北のランドマークとなった。
1973年には、台湾初の国際ホテル、台北ヒルトン(今のシーザーパーク)がオープンし、台湾のホテル経営は国際化の時代を迎えた。
1980年代初期、日本から大勢の観光客が訪れるようになると第三の発展期に入る。当時、政府は税優遇や低金利融資などを提供して民間によるホテル経営を奨励し、この時期に亜都麗緻(ランディス)、老爺(ロイヤル)、来来(今のシェラトン)、福華(ハワードプラザ)などがオープンした。
1990年代初期に台湾経済が急成長すると、喜来登(シェラトン)、晶華(リージェント)、香格里拉遠東(シャングリラ・ファーイースタンプラザ)、威斯汀六福皇宮(ザ・ウェスティン)などの国際ブランドが進出し、台湾のホテルの質が全体的に向上した。
その後は海外からの観光客が増えず、ホテル業界は一時停滞したが、一方で小衆をターゲットとし、スタイルとデザインを追求した小規模ホテルが出現し始めた。ここ十年のこの傾向は、新しい世代の旅や生活への要求の変化を象徴している。
シティイン・ホテルは、館内のスペースを台湾人アーティストの作品発表の場として提供している。写真は西門MRT店。