樹木の魂を見る
「私は母のお腹の中にいた頃からベジタリアンなんです」一日一食しか食べない詹鳳春の食生活は生命を維持するだけとも言えるシンプルなもので、すべてを樹木に注いでいる。「木は一つの生命で、喜怒哀楽もあります」と言う。数えきれないほどの樹木を診てきた彼女は、治療した木はすべて覚えていて、一目見ただけで樹木の生理状態が分かると言う。「今まさにSOSを発しているのに、私たちは気づかないだけです」と言う。夢に出てくるのも木ばかりだという彼女には木の魂が見えている。
父親が大学の庭師だったことから、詹鳳春は父が庭木の剪定をするのを見て育ち、樹木と深い感情で結ばれてきた。「日本にいた時は、私は街路樹を見て方位を判断していました」と言う。天性のものもあってか、一度目にした木を忘れることはない。「家族の中で、私が樹木医になることを支持してくれたのは父だけでした」と言う。樹木医の資格試験に触れると、彼女は深い悲しみに声を詰まらせる。
日本での樹木医資格の取得は容易なことではなく、通常1000人のうち十数人しか合格しない。受験には、7年以上の臨床経験という厳しい条件があり、科目の範囲も広く深い。「筆記試験だけで19科目もあります」という全面的な試験である。「樹木医の資格を人生の目標にしている人も多く、受験生の多くは60歳近いのです」その試験に詹鳳春は32歳で合格した。だが、残念だったのは、合格の朗報を父に伝えられなかったことだ。筆記試験の後、彼女は父の訃報の連絡を受け、他の人が実務試験の準備に忙しい一ヶ月の間、霊前で悲しみに暮れていた。
筆記の小論文と診断書に合格すると、現場での実務試験がある。2週間にわたり、毎日前日に受けた授業2科目の試験がある。3科目が60点以下だと、途中でも不合格となる。「そのプレッシャーは想像を超えるものです」
試験も終盤の頃、食堂で夕食を食べていると、60歳代の受験生が彼女の前の席に座った。「ご飯一膳と納豆と豆腐だけですか。今日、ここに座ったのはお聞きしたかったからです。それだけで足りるんですか」と聞かれ、「これで十分満足しています」と答えた。すると「お若いのに筆記試験に合格するなんて、すごいですね」と言われ、父のことを思いながら淡々と答えた。「先生と約束したんです。父にも喜んでもらいたかったんですが、遅すぎました」と答えた。するとその人は感動したようにこう言った。「遅いことなんてあるものですか。私は5回も受験しているんですよ。これが私の子供だったら、どんなに嬉しいことか。遅すぎることなんてありません」
最後の面接で、なぜ樹木医を目指したのかを聞かれ、「故郷の樹木を助けることを、教授と約束したからです」と答えた。東京大学農学部で森林植物学を修めた農学修士であり、樹木医学と生理学を専攻し、奨学金を得て十年にわたって日本で学んできた彼女は、師と仰ぐ鈴木和夫教授に合格を報告した時、感謝の涙が止まらなかった。この恩にどう応えればいいのかわからなかった。
日本では冬を迎えるころ、雪の重さで枝が折れないように縄で固定する。この雪吊りという積雪対策は、庭園の景観のひとつとなっている。(柿子文化事業公司提供)