産業の将来性
金洲の陳加仁・董事長によれば、台湾の漁網産業の世界進出は1950年代のベトナム戦争に端を発する。アメリカが南ベトナムの産業支援として台湾から漁網を大量に購入したのが、台湾にとって国際市場開拓の契機になったという。漁網の素材も初期は綿や麻などの天然繊維だったが、後には日本から導入されたナイロンになった。
1978年、陳家仁さんの父親は友人とともに「金洲製網」を設立、2002年には社名を「金洲海洋技術」に変更してブランド「King Net」を打ち出した。当初は刺し網や小型のナイロン網を主に製造していたが、1986年に国連が公海での刺し網使用を禁止すると、陳家仁さんは事業の転換を考え、1990年にアメリカのCasamar社と技術提携し、大型のアメリカ式巻き網の製造を始めた。陳さんは「当初この市場の将来を予測できていたわけではありません。でもこれは一種のツールであり、しかも他に代わるもののないツールであることはわかっていました」と言う。ツールとして網の応用範囲は広い。漁業だけでなく、建設、スポーツ、軍事、農業など、金洲の製品はさまざまな分野に進出している。
一方、旭東の董基旭・董事長は販売業から製造業に転じた経歴を持つ。39歳で引退もできたがまだ事業への野心が残っていたと笑う。友人から高密度ポリエチレン(HDPE)を紹介され、この素材に将来性を感じた。「一つは環境に優しいと国際的に認められていること。ヨーロッパの水道・ガス管のほとんどはHDPE製です。もう一つは、台湾で使われる塩ビ(PVC)パイプは漏水率が高く、HDPEが台湾でもっと使われるようになればと考えました」と言う。
董基旭さんは1995年に「旭東環保科技股份有限公司」を設立、オーストリアを視察した際に「世界にパイプメーカーは多いが、配管部品を作る会社は少ない」と気づいた。配管部品製造には金型の開発も必要で、技術的にハードルが高い。董さんは自ら開発に取り組んだ。実験結果を待って72時間不眠不休のこともあったという。
最初は注文がまったく来ず、海外でのチャンスを探った。「当時、国際的に網生簀養殖が登場し始めたのを知り、1999年に取り組んで2000年に成功、こうして網生簀産業に進出しました」と言う。
金洲は、ノルウェーNOOMASの認証を受けて生簀網を製造する台湾唯一の企業だ。写真は金洲の引張試験の様子。(金洲海洋提供)