「呷巧〔チァカア:珍しい物を食べた]?」へ
かつて物資が不足していた時代、年配の人たちにとって辦桌の賑わいと豪華さは、共通の美食の記憶であった。
曾品滄によると、どの国でも宴会は行われるが、12~16種類もの料理を出して、昼から夜まで食べ続ける例は類を見ないという。台湾の宴会の特徴は、この「豊盛〔ホンシェン:豪華さ〕」にある。たとえば、日本統治時代の宴会料理「五柳居または五柳枝[ゴリュウキ]」は、魚を揚げて醤油煮込みするだけではない。魚を丸ごと1匹揚げて、あらかじめ炒めておいたキノコ、タケノコ、ニンジン、唐辛子などの千切りで飾りつけ、姿煮のままでとろみをつけて味付けし、これに更にごま油をかけて料理に彩りを加え宴会気分を盛り上げた。
阿隆シェフも、昔の辦桌では、封肉を直接鍋に入れて煮込んだので、脂身が多く、民衆にとっても貴重な脂質の供給源であり、大歓迎される料理だったという。現在、健康意識の高まりを受けて、グランドシェフは、調理法を変え、一度揚げた後油抜きしている。外はカリッと、中は柔らかく、パサパサにならないよう仕上げるには、シェフの手腕が物を言う。
辦桌は一種の晴舞台だ。
「台湾人の辦桌は、さまざまな場面でさまざまな晴舞台としてのしきたりとコンテクストがあります」と曽は言う。例えば、年長者の長寿を祝う宴会や神様の誕生日宴会の最初の料理は、豚足麺線が出され、長寿を象徴する。
また、引っ越し祝いと葬儀のならわしとして設けられる「起家宴[キィケエイェヌ:家運隆盛宴会]」では、最初の料理に鶏が丸ごと出る。台湾語で「鶏[ケエ]」と「家[ケエ]」の発音が同じであることから、丸鶏は一家族を意味する。
披露宴の辦桌はさらに儀式的な機能が見られる。例えば、ある家庭では、婚約宴会の際に「魚料理」が出されると、男性側の親戚が各自別れの言葉を言わずに席を立つという習慣がある。これは民間の言い伝えで北京語の「魚(ユゥ)」の音が「余(ユゥ)」と同じことから、相手方親族に余地を残すことに通じる。阿隆シェフは、魚が「游來游去(ヨウライヨウチィ:自由自在に泳ぐ)」という発音が、親族が「有來有去(自由自在に交流する)」という発音と同じことから象徴的に重なると考えている。辦桌シェフがホストの家のこの習慣を把握している場合は、「魚」を宴会の最後の一品料理とし、席を立ってもその後の料理が無駄にならないように配慮する。
3~5層に積み上げられた蒸し器が一列に並ぶ壮観な布陣。