待ち続けて20年
2011年、国立劇場から一人芝居の依頼があった。そこで蔡は、長く仕事をともにしてきた3人の俳優を選んだ。うち1人はもちろん李康生で、李に与えたテーマは「自分、蔡の父親、玄奘を演じる」こと。こうして『只有你』が生まれた。李康生は舞台上で17分間歩き続けた。その姿と迫力に、蔡明亮の目は思わずうるんだ。「私は20年、この時を待っていたのです」
李康生は自信に満ち、ゆっくり泰然と歩いた。『青春神話』の頃とは打って変わり、まさに玄奘がそこにいた。これこそ、スピードの時代への反逆だった。
『只有你』は、その後3年間にわたる「ゆっくり長征」シリーズを生む。李康生は袈裟を着て玄奘と化し、ブリュッセルやウィーンの芸術フェスティバルへと「西遊」して歩き続けた。2014年には台北芸術祭に戻り、来年は韓国光州(クアンジュ)へ行く予定だ。
後に蔡が「歩きながら何を考えているのか」と尋ねると、李は「般若心経を唱えている」と答えたという。
『般若心経』は蔡もずいぶん前に読んでいた。今よく読んだり写経するのは『金剛経』。病苦や死に直面すると経典を求めたり、飛行機に乗る時に経を読む人もいる。蔡も最初はそうだったが、やがて安らかさを求めて読むのではなくなった。「だいたい一切は幻だというのですから、求めてはいけないのです。自分は何も言っていないと仏陀自身が言っているぐらいですから」
これはまるで蔡明亮の映画だ。語るようで語らず、問いも答えもない。鏡花水月、自分の心を映すだけ。そんなことを考える時、蔡の心は幸福で満たされる。マレーシアが幼い彼を育み、台湾で創作の自由を得た。映画はヒットしたとは言い難いが、20年以上撮り続けることができ、波長を同じくする人たちと通じ合ってきた。この世の真実を見つめ、彼独特の世界を繰り広げる。廃墟のような都会の片隅に暮らしながら。
彼は人々にこう言いたい。もし今後本当に映画を撮ることがなくても、「戦いの場を失くして、かわいそうだ」とは思わないでほしい。なぜなら、過ごしたかった暮らしを楽しく自由にやっているのだから。或いは、今後もしヒット路線の映画を撮ることがあっても、「堕落した」と思わないでほしい。ただ異なることをやってみたいだけだから。
「およそあらゆる相は皆これ虚妄なり。もし諸相は相に非ずと見るときは、すなわち如来を見る」――『金剛経』を読む彼は、まさにこのような境地へと歩みつつあるのかもしれない。
蔡明亮はルーブル美術館から依頼を受けて『ヴィザージュ』を制作したことを契機に、今後は美術館収蔵のために作品を作ることを決めた。