台湾を聞き、自分を聞く
澎湖、美濃、埔里と、李百文は台湾の200余りの町村で様々な音を記録してきた。苦労続きの旅ではあったが、それでも続けたのは、視覚障がい者のための盲導犬のような役割を果したいと思ったからである。
2009年のこと、録音技師として多忙を極めていた李百文は、眼精疲労のため突然に目が霞むようになった。医師や漢方医を尋ねまわったが、原因は分からなかった。ようやく軌道に乗り出した仕事も中断され、この期間の李百文は落ち込んでいた。しかも失明の不安に苛まれ、視覚障がい者の境遇を体験することになった。その時、台湾の音を録音して回り、視覚障がい者のための聴覚旅行記録を作ろうという計画を思い立った。
一時的な休養を経て回復し、仕事に戻ることができたのだが、忙しい生活に嫌気がさしてきて、一度は忘れていた計画を思い出した。李百文はそこで決然とすべてを捨て、旅費を調達し、ヘッドフォンと集音マイクに、簡単な旅装を整えて、バイクに乗り出発した。
一年余りの音の旅は、体調を崩して中断した時期もあったが、土地の音を仔細に聞き取り集めていく中で、李百文は自分自身の声も聞き取っていくこととなる。
2012年に各地で採取した音をラジオ番組に編集した。この処女作が放送されると、金鐘賞音響効果賞入賞という高い評価を受け、李百文は受賞トロフィーをデスクの目立つ位置に置き、得難い評価を常に思い起こすようにしている。
39歳の李百文は、小さい頃から反逆精神一杯で敷かれたレールを歩くことはなかった。大学進学でも、最初は家の経済状況を考えて、デザイン学科を諦め、建国科技大学電機学科に進学したが、数か月で興味を持てないことに気付き、景文科技大学視覚メディア学科に転学した。自分の好きなデザイン系のジャンルに近づいたものの、正規の訓練を欠いていたため、学業には苦労した。
外見にはこだわらないが情義を重んじる李百文は、幼いころから生活のあれこれを記録する習慣があった。本棚や抽斗には大小のノートが散らばり、黄ばんで年代を思わせるものもあれば、使い始めたばかりの新しいものもある。
嶺東科技大学デジタル・メディア学科の卒業制作は、李百文が初めて評価を受けた音の作品だった。数年の社会経験を経て大学に入り直した彼女だが、同級生とは年が離れていて、なかなか溶け込めなかった。それが卒業制作の時期になり、制作のために似たような経歴の同級生と協力し、彼女は音響効果を担当した。オリジナルを重んじる李百文は、既存の音楽に飽き足らず、音響効果を独自に作成して編集したのだが、その独自のスタイルが審査員に好評で、これが音の世界に入り込むきっかけとなった。
北は新竹県から南は高雄の美濃、さらには離島の澎湖と、李百文は数多くの音を記録してきたのだが、一番身近な故郷台中の音はまだ見出していない。「あまりに近く慣れすぎていて、故郷の本当の音が耳に入らないのでしょう」と語る。
音が見いだせていないまま、彼女はわずかに残った貯蓄を元に、10年余り住んできた古い家を一年かけて音の実験室に改造し、去年の年末に台中福平街に正式にオープンした。
新たに「福平売声-ٍ」と名付けられた古い家の屋根は、相変わらずの古い瓦葺きで、かつて李百文が生まれた時の寝台は、改装した寝室の一部に使われ、隅には祖母の時代からの五段抽斗箪笥が置かれている。
新旧が交り合う50坪足らずの空間は、李百文が音に浸りこむ別世界である。これからは多くの友人を音採集の旅に招いて、何気ない生活の音を尋ねて行こうと思っている。
外に停めたおんぼろのデリカを指さしながら、これを録音用の車に改装して、山や海を回って台湾の音を聴く旅に出るのだと彼女は言う。
『土地の音』の作者・李百文はヘッドフォンをつけ、大地の音に耳を傾ける。(林格立撮影)
梨山にはどのような音の物語があり、七股の塩田にはどのような音があるのだろう。李百文は、言葉ではなく音で台湾の物語を綴っている。(林格立撮影)
台湾の200余りの町村に音を尋ね、李百文は台湾で最も美しい風景を見出した。(林格立撮影)
台湾の200余りの町村に音を尋ね、李百文は台湾で最も美しい風景を見出した。(林格立撮影)
じっと音に耳を傾ければ、澎湖望安の、海藻の匂いがする潮風と晴れ渡った空、青く澄んだ海が目の前に広がってくるかのようだ。