
李民中は、台湾現代芸術における「電子世代のリーダー」と呼ばれている。1961年生まれの彼は台湾でゲーム機に没頭した第一世代だ。音や光が乱れ飛び、めまぐるしく視点が移って興奮状態が続く。そんなゲームの世界にはぐくまれた李の芸術は、現実とは別世界の視覚的ユートピアだ。
李民中は抽象画で知られる。多重に交錯した空間、コントラストの強い鮮やかな色彩、その中に猫やアニメのキャラクターといった記号が散りばめられる。大量の刺激で、見る者を一種の恍惚にいざなう。まさにゲームの世界である。
こうした抽象画家が、現在は具象的な「百人肖像」というプロジェクトを進めている。フェイスブックによる呼びかけで、現実とヴァーチャルな世界が交わる集団的行動美術となっている。
李民中はフェイスブックの「肖像プロジェクト2011」で、今年1月13日付けの自分の肖像画に、こんなキャプションをつけた。すなわち「いつもの月曜から金曜までの自分」。その笑顔には暮らしへの満足と喜びが表れる。「芸術の普及」を目指し、2011年は週末ごとに台湾各地を回り、「自分の肖像画がほしいけれど高くて頼めない」という人のために肖像画を描いてきた。ネットでその話が広がり、5月末までに200作を突破した。しかも互いに会ったこともないユーザーを肖像画としてネット上に一堂に集めた。
1日に5〜6人を描くのは苦行と言っていい。だが李民中の持ち前の快活さで、それは1年に及ぶ芸術パーティーと化した。李にとっても、自分の創作に没頭しない週末を作れたことで、平日はかえって気楽に創作に取り組めた。

1989年の巨大作品「散歩する。歩いて、歩いて、歩いて、そしてバン、バン、バン、バン、バン、バン…ああ、すっとした」で李民中は微小物論のスタイルを確立した。
台北の中心から車で約1時間、北部海岸にある李民中の家に着いた。明るく静かな住宅街に車を止めると、タタという名のオールド・イングリッシュ・シープドッグが待ちきれないといった様子で出迎えてくれた。
3階建ての自宅のあちこちに大小の絵が掛かっている。色彩あふれる絵を見ていると、ゲームの世界に引き込まれるようだ。とりわけ「岔題」という絵から、目が離せなくなる。
3階は広々としたアトリエだ。この日はネット仲間が5人集まり、昼前から順に席についた。クラシック音楽の流れる中、汁粉やパイを食べながら談笑するが、李の筆が止まることはない。肖像プロジェクトを撮影している写真家の陳明聡のシャッター音が響く。そうするうちに太陽は西に傾き、灯りをともす頃には5枚の肖像画が完成していた。どれも個性的で、それについて語るうち1日は過ぎていった。
こうした創作パーティーは毎週末に台湾あちこちの喫茶店やギャラリーで行われている。描かれる側にとっては非常に「お得な」機会だと言える。李の絵は1号(はがきサイズ)で約5000元するが、今は6号の肖像画を5000元で描く。価格的には6分の1だ。有名な画家ということで、誰もが「きれいに描いてもらえるだろうか。現代アート風? 『モナリザの微笑』のように古典的?」などと考える。モデルは画家と向き合って座るので、完成して初めて絵を見て衝撃を受ける。「いつも隠そうと努めている自分が描かれている。若そうでしかも老けて見えるのはなぜ? 口元の皺は描かないでと言ったのに」様々な思いが頭をかけめぐり、家でも絵を何度も見つめ返す。写真家の陳明聡による肖像画の写真は、翌日フェイスブックにアップされ、褒め言葉や慰めなどのコメントが延々と続く。
つまり絵の解釈が多様に追加されていく集団的行動美術となっており、それらは作品の最終的な形式に影響するかもしれない。来年すべての絵が集まる展覧会では、いったいどんな作品になるのかと参加者の多くは今から楽しみにしている。
「年配の女性は絵に嘘があることを望む場合が多く、しかも彼女らは嘘を完全に信じます。最初はご機嫌取りをするようで抵抗がありました。でもゲームという本質を見つめ直した時、気づいたのです。これこそインタラクティブアートではないかと」李は会心の笑みを浮かべる。

1980年代初期、「目」が李民中の重要なテーマだった。これは代表作の一つ「凝視」。
李民中のアートの道は、パーティーさながらの時代のムードの中で始まった。青少年時代はちょうど台湾の高度経済成長期、当時最も流行したゲームは5元で30分遊べるパックマンとギャラガで、李は一日中でも遊べた。店主に「もう止めとけ」と言われるほどだった。高校時代は、当時非常に高価だったApple IIを、ゲームをするために友達に借り、返したのは3年後だった。だがそれで彼は早くから作図プログラムに親しみ、電子的配色の経験を積んだ。
1981年、文化大学美術科に入学。台湾は戒厳令解除寸前で、百家争鳴といった様相を帯びていた。李の日々はパソコン、ペットの猫、ディスコで、それ以外は「台北画派」の集まりに出ていた。
「若い芸術家が台湾に帰国するたびにパーティーが開かれ、海外の芸術界の動向や彼らの見聞が披露されました。これは大学の講義よりずっと勉強になりました」李は「時代は変わる。戦後の台湾芸術界が蓄えてきたエネルギーが爆発するぞ」と感じていた。
同世代の画家が政治的な創作に力を注いでいたのに対し、李はまったく別の道を選んでいた。夢中で絵を描いた幼い頃の情熱を思い出し、ゲームやアニメ、ロックなど青春時代に魅了された物を作品に取り入れた。記号にあふれ、目のくらむような芸術の登場だった。
李の子供の頃の部屋にはでこぼこした壁があって、毎晩寝る前に眺めると凹凸がつながって何かの形に見えた。口に見える時もあれば顔に見える時もあり、絵を描き込んで図柄を固定しようと考えた。それは、異なる角度や状況では、同じ物が異なる様相を見せるということである。それで李は反対に、絵の中の具象物を壁の凹凸のように流動的で固定されないものにしようと考えた。
「何を描いても目と関係がありました。この世界には目があふれ、星にも木の葉の裏にも目が隠れていてこちらを見ており、逃げられない」と感じる李の絵は、目と視覚が根本となった。
彼の絵はタイトルにも固定されなかった。多くの芸術家がまず表現したい主題を持ち、それを表そうとするので、標題は主題を説明するものとなる。しかし李の標題は作品と平行の位置にあり、作品に属したり作品を説明したりせず、時には散文詩のように言葉が絵のような魅力を放つ。

肖像プロジェクトに参加した人々は、自分の肖像画を手に楽しそうに李民中と記念写真を撮る。
1989年の作品「散歩する。歩いて、歩いて、歩いて、そして…バン、バン、バン、バン、バン、バン…ああ、すっとした…」には、李の初期の絵画哲学が最もよく反映されている。
高さ201センチ、幅540センチの作品には、中央に青い髪の裸体の女性がいて、赤く長い舌を左上方に伸ばしている。画面を横切るように体から血が吹き出て下へ滴り落ちる。線で区切られた空間は様々なシンボルや色彩で埋められ、それらが錯綜して多重の奥行きを持つ。至るところに猫の目、鳥の頭、緑のトカゲ、魚類、宇宙人の腕などが登場する。おびただしい視覚的刺激に魅了され、じっくり見たつもりでも、画面の隅に隠れたもう一つの目を発見し、驚くことになる。
芸術評論家の簡丹は李民中の作品をこう形容する。コンピュータの回路基盤さながらに入り組んで展開するので、「画面のどの部分から鑑賞してもよく、動線に従って漂えば、まるでハイテクを駆使した遊園地で遊んでいるようだ。そうして散歩して、歩いて歩いて、それからバン、バン、バン、ああ、すっとした、なのである」
時代の波に乗り、大学卒業前後の作品は引く手あまただった。だが李はそれに溺れず、謙虚にアカデミズムを求めた。1987年からパリに3年半留学、2002年には41歳で台北芸術大学創作研究所の修士課程に入る。教授が彼と同世代の画家でも気にかけなかった。

李民中の肖像画は一枚一枚スタイルが異なるが、並べてみると大型のインスタレーションのようにも見える。
勉学にも遊びと同じ態度で取り組み、彼の微小物哲学は再び大きな進展を見せる。学校で教師と学生が絵画技巧を切磋琢磨し合ううち、李の迷宮のような絵に曖昧模糊としたタッチが加わった。
何冊かの李の画集にある作品解説を読むと、最も初期には、色は一度塗っただけで塗り重ねはしていないとある。だが台北芸大に入って徐々に今までのこだわりを捨て、色を塗り重ねたり、透明と半透明を交錯させるなどの実験を試みた。以前は個展にタイトルをつけなかったのが、2006年の卒業制作展では初めて明確に自分の芸術的主張を表し、「時間と事件の痕跡――混沌状態における自然な秩序再構築」と名づけた。
李民中はこう説明する。絵画とは、記憶を描くもの、或いは記憶から絵の材料を探すものである。したがって様々な時間や事件は記憶によってカオスと化し、自然に秩序再構築がなされる。
「人の生活には仕事や勉強、結婚といった主軸がいくつかあって、それらが生活のすべてだと思いがちですが、本当は大部分の時間は大量の『微小物』で占められています。それらによるバタフライ効果で、過去の記憶や未来の現実が塗り替えられる可能性もあります」と李は語る。
2006年の「小惑星からの小隕石の破片が軽く当たる」は、高さ227センチ、幅182センチのやはり大型作品だ。各種の記号や視角が存在し、珊瑚の森のような構図の絵は、漂う水さながらに流動的でおぼろげだ。従来の明確な色彩と比べると、この作品は透明と半透明の色彩が混じり、事実と記憶の錯綜を表すように見える。

自分を動物に喩えるなら猫だと言うが、友人たちはエネルギッシュな犬に似ていると言う。
明確なようでありながら曖昧模糊とした夢の中にいるようで、遠近も混在している。ところが、彩度の低い色の中に突然、ドラえもんの可愛い顔が潜んでいて、現実に引き戻される。
2008年、50歳を目前に李の創作は大躍進を遂げた。「岔題(話題がそれること)」という概念で彼の「混沌微小物論」を補足したのである。
「普段のおしゃべりと同じで、思考は同一線上を進んでいくわけにいかず、幾度も主題がそれます。それらは主題の附註的なもので、一つの独立した物語として拡大させることも可能です」その時ちょうど筆者はコーヒーを飲んでおいしいと言い、そこから、毎日のカフェイン摂取量について話が盛り上がったのである。李はすぐさま「話がそれましたね」と大笑いした。
こうした概念の下、2008年「李民中個展XI」の作品はさらに抽象化した。まるで生活の中の些細なエピソードを拡大鏡で見せたような世界だ。中間色で彩られた微小物は、従来の絵のように探す必要はない。なぜならそれらは、焦点がおかしくなるほど拡大されているからである。
特別なのは、そのうちの一作「Kikiと蝿(猫と、まったく気づかない存在)」だ。具象的で、焦点は緑色の大きな蝿にある。テーブル上のカビの生えたミカンめがけて蝿は飛んでおり、そばには皿やナイフ、マグカップ、ティッシュペーパーなどが乱雑に置かれ、食後といった様子だ。上方のトースターは火を噴き、カップ内のコーヒーは斜めに傾くなどシュールな印象だが、画面左下には李の愛猫であるKikiの顔が半分のぞき、ある種の落ち着きと現実感をかもし出している。
この絵は、混沌とした微小物秩序再構築理論が抽象画だけに存在するものではないという李の宣言になっている。「話題のずれ」は予測できないので、「Kikiと蝿」で描かれる光景も、実際に起こらないとは限らない。錯綜した視角、隠された記号、曖昧な空間、予測不能といった李独特の方法は、この抽象画家が次に展開する具象肖像プロジェクトの伏線ともなった。

「Kikiと蠅」はシュールな画風と微小物理論を融合させたもので、この作品で李民中は新たな段階に踏み込んだ。
話を「肖像プロジェクト2011」に戻そう。すでに描かれた200枚の肖像画を組み合わせると、李の大型作品のように1枚1枚が「微小物」となり、それぞれに驚きがある。個々を見れば、様々な視角や記号、空間が曖昧に一人の顔に潜む。芸術家は鋭い観察力で、人の顔から時空や記憶の痕跡を感じ、それを拡大する。だからこそ描かれた側も作品を見て複雑な思いになるのだ。
多くの評論家は、李民中の作品を「世故に長けた天真爛漫さ」と形容する。大人の男性に少年らしさが存在するようなものだ。彼自身も、自分は子供のように遊び好きと認める。
ネットでのパフォーマンスには距離を置いたり批判的な芸術家もいるのに対し、李は耽溺している。パックマン、オンラインゲーム、フェイスブックと、李はその進化過程のすべてを経験し、オンラインゲーム「World of Warcraft」でもギルドマスターを務めるほどだ。
「ソーシャルネットワークをどう進化させるか我々は考えますが、それができない年配者がいるのは残念です」肖像プロジェクトも、フェイスブックで何が作り出せるかの実験だという。
「ネット・サーフィン」という言葉があるが、李は1994年の画集の中でこう書く。「サーフィンの秘訣は、波が来た時にボードの速度と波の速度をなんとかして一致させることだ」
時代の寵児である李は、常に波と同じ速度で来たからこそ、「電子世代のリーダー」であり続けている。ネット世界が絶え間なく変化するように、彼の作品はすべて実験で、一つの成果となったり、成熟した作品になることはない、と李は言う。なぜなら創作はサーフィンに似て、次から次へと波に乗っていかなければならないからだ。