給食の意義――栄養補給からバランスへ
毎日出される学校給食は、台湾社会の60年にわたる大きな変化を反映してきた。
1950年代初期、経済的にまだ貧しかった台湾では児童の栄養は一般的に不足していた。そうした中、ユニセフ(国連児童基金)は1951年、脱脂粉乳を全台湾の151の小学校に寄贈し、これによって台湾の学校に「栄養」の概念がもたらされた。
1947年、台湾省教育庁は、米国のキリスト教救援団体から贈られた物資を屏東県と桃園県の僻地の小学校へ支給して学校給食の提供を開始し、以来、しだいに学校給食を実施する学校が増えていった。
当初の学校給食の多くは無料で供され、その費用と物資は米国や国連食糧農業機関の援助計画によってまかなわれた。子供たちが昼食でより多くの栄養を補充できるという意味で、学校給食は「栄養午餐」と呼ばれるようになった。
1970年代、国際社会において台湾は難しい立場に置かれ、多くの援助が得られなくなり、政府は自ら給食を維持しなければならなくなった。幸い、経済が発展し始め、家庭も子供の給食費を負担できるようになったため、給食は有料化された。
1980年代、台湾は工業社会となって共働きの家庭が増え、子供の弁当を作る余裕のない親にとって、給食は有りがたい存在となった。
この十年余り、台湾の食文化は西洋化が進んで子供の肥満が増えきた。そこで次世代の健康のために、教育部は1997年に「学校給食食物内容および栄養基準」を定め、穀類、根菜、卵、肉魚、野菜、油などの比率を定めた。カロリーも厳しく管理するようになり、小学校では650~750、中学校では850キロカロリーを超えないよう定められている。
2002年、立法院は「学校衛生法」を採択し、40学級以上の規模の学校は栄養士を置いて給食の質を管理することとした。以来、給食は栄養補給という位置付けから抜け出し、バランスのとれた内容であることがより重視されるようになった。
栄養のバランスがよく、量も豊富な学校給食は、台湾の子供たちの心身の健全な成長を支えている。写真は広大な敷地を擁する台東県の成功小学校。
新竹県の和興小学校では、給食の調理過程で出た野菜の皮や芯を集めて堆肥にしている。
給食の注文を受ける仕出し業者は、供給量が多いため、早朝から作業を開始する。
台湾の小中学校の給食は食材が豊富で、安くておいしい。
台湾の小中学校の給食は食材が豊富で、安くておいしい。
台湾の小中学校の給食は食材が豊富で、安くておいしい。
台湾の小中学校の給食は食材が豊富で、安くておいしい。
給食は生活教育の一部でもある。ご飯とおかずを盛りつける作業を通して生徒たちは衛生管理とサービスの精神を学び、食後には自分の使った食器を洗う。写真は台東県の成功小学校。
高雄市の福安小学校では土地を借りて野菜や稲を栽培している。「食農教育」を通して生徒は食に対する意識を高め、感謝の心を培うことができる。