21世紀の最もセンセーショナルなニュースは、アメリカの世界貿易センターのツインビルがイスラム教過激派のテロリストによって破壊された同時多発テロ事件だろう。
なんとも理解しがたいのは、人類を愛と平和へと導くはずの宗教が、紛争の根源になり暴力の執行者となったことだ。
こうした時期、台湾に世界宗教博物館が落成した。これはまるで海上の霧を照らす灯台のように、迷える人々を導き、すべての教えの根源として衝突を平和のきっかけに変えていこうとするものだ。
宗教をテーマとした博物館は、世界で初めての試みである。どのようにこうした精神的、抽象的な概念を実体のあるものに表現し、そこに入った人々が魂の洗礼を受けられるようにするか。この多くの人からの小額の寄付から成った風変わりな博物館は、いかにしてゼロから形而上の台湾ナンバーワンを作り出すのだろうか。
「私は誰か?どこから来たのか?そしてどこへ行くのか?」誰の心の中にも、一度はこうした疑問が起こることだろう。人類の知恵の行きつく先こそ、神の国の始まりだ。いわゆる宗教の起源は、生死の問題を解決することにある。つまりいかに楽しく生き、安心して死ぬかが人生の大きな問題なのである。
永和市にある太平洋そごうデパートの横の入口から直通のエレベーターで7階に上がると、オープンしたばかりの宗教博物館に着く。まず目に入るのは、深く奥に続く道だ。両側に効果音のある画像に、世界各地の聖地へ向う人々の姿が見える。画面では彼らが息をひそめ、真剣な表情でゆっくりと歩いて行くのが見える。その中にいると、人生は何のためにあるのかといった疑問が自然と浮かんでくる。宗教博物館のオープニングの式典でも、入場者の普段の忙しい生活の中では語るひまのない心の問題が語られた。
これらの疑問を胸に足取りを緩めず一歩ずつ歩いていくと、広々とした宇宙の天体のような金色のロビーにたどりつく。五大惑星、黄道十二宮など人類のさまざまな伝説、宗教、風習などに関する記号によって、敬意と畏怖の念を呼び起こし、各文化の起源の近さが感じられ、もともと人類はひとつだったのだと思えてくるのだ。
人生の旅で学ぶこと
宇宙はひとつ、世界は家族といった新しい感動に包まれながら、映画フィルムを見るための部屋「宇宙創生ホール」に入る。宇宙が再びカオスから始まり、万物の秩序の誕生、五大文明の歴史を経て、人類の衝突によって滅ぶというフィルムは、観客を驚かせ、気付かせる。世の中は無常であり人生は短く、この人生の旅で何も得ずに帰っていくわけにはいかないのだということに。
こうした思考にふけりつつ入場者は「命の旅ホール」に入っていく。ハイテクのモニターが示す異なる国家や文化の中、同じように子供の誕生の喜び、青少年の成長への好奇心、愛情や結婚などへの憧れ、懸命に働かなければならない中年、そして老年期の円熟ともの寂しさと見ることができる。人類は命への未練があり、このため死後の世界に好奇と恐れを抱くのだ。これは肌の色に関係なく、誰一人として逃れられない運命であり、まさに生命の本質であり、また人類の宗教の根源なのである。
異なる気候や風土が異なる文化と宗教を育む。だがその基本で追究されるのは、同じ問題だ。宗教には優劣や対立はない。あるのは信仰者側の対応の問題だ。幸運なことに、ハイテク文明のおかげで現代では生まれた地域や国に制限されず、自分の魂が求める宗教を選ぶことができるようになった。世界宗教博物館は、豊かな風景を見せる窓のようなもので、多様な宗教文化を見せ選択肢を増やすことで、偏見を減らしていこうというしくみである。
「信仰はちょっと恋愛に似ていて、自分の魂のパートナーをさがすようなものです」世界宗教博物館の創始者である霊鷲山の心道法師はこう言って笑う。「仏教は私にとっては永遠に飽きず追い求めるべき対象です。他の人も同じようによいパートナーに出会えることを望んでいます。すべての信仰を尊重し、すべての民族を包容し、すべての命を愛するのが、世界宗教博物館の主旨です」と言う。
このため、「命の旅」ホールの生死や病気の場面から、観客に命を考えさせること、これが次の「命の覚醒」ホールのテーマだ。覚醒ホールは、フィルムで各宗教の崇拝のスタイル、形式、音楽などを説明し、入場者をさらにその前の「霊修学習ホール」に導き、快適な空間で静座や瞑想をさせ、実際に修行の感覚を経験させる。
ここで、短い時間と小さな空間の中ではあるが、心をリラックスさせた入場者は、フィルムから各宗教の指導者の考えを知ることができる。また自分の考えもフィルムに撮り、この得がたい命の目覚めの旅にその時の気持ちを残していくこともできる。
次が宗教博物館のクライマックスで、まだ未完成の「華厳世界」だ。これは、全体が仏教徒による寄付でできた博物館の中で、唯一強く仏教色を感じるコーナーだ。『華厳経』の説明によると、私たちのこの宇宙は、珠のような個体から成っており、それぞれが繋がって珠のように輝いている。実体と映像は見分けがつきにくく、過去と現在、未来が同時に存在しており、それぞれが単独で存在することはできない。このため人々は現在をしっかりと把握し、善き念を抱き、善行をなし、宇宙を調和に向わせなければならないとしている。
華厳世界、珠玉の網
このような形而上的な仏教の宇宙観は、世界宗教博物館の中で具体的に現されている。これは主に現在の最新のネットワークメディアによるものだ。ネットの世界は、まさに華厳世界が描く珠玉の連なりからなる果てのない幻想的な世界で、私たちはほんの小さな考えや行為がどれほどの広がりと深さを持つのか永遠に知ることはないが、私たちは広い宇宙のすべての要素がそれぞれに関係を持ち、共にあることが想像できる。
興味深いのはこうした深遠な理念が最も面白い部分であり、あるいは若いインターネットのユーザーたちこそが、最もすばやく華厳世界の操作方法に慣れられるのかもしれない。ここでは、いくつかのコマンドで世界各地の宗教、哲学、風俗、祝日などにアクセスできる。見ている人はもともと宗教とは、一つの生活方式であり、何を信じようと、あるいは何も信じなくても、誰の生活にでも宗教文化の影響が非常に多いことがわかる。例えばキリスト教についてよく知っているかどうかに関係なく、サンタクロースは贈り物をくれるかもしれないし、七面鳥を食べたことがある台湾人は多い。もちろん、期待させられるのは、魂を常に予想もしない喜びで満たしてくれるかもしれない、これまでアクセスしたこのない対象である。
最後に入場者は、世界宗教展示の大ホールと台湾宗教コーナーに到る。そこにはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教、ヒンズー教、シーク教、神道、仏教、道教、原始宗教、古代エジプトの崇拝、台湾の民間信仰などが展示されている。それぞれの宗教の貴重な文物の展示から、入場者は世界の主な宗教を鑑賞し、知り、自然に人類の多様な文明に尊敬と賞賛の気持ちをいだくようになる。
博物館の理想は、こうした短い世界宗教博物館の旅で、入場者に現在の地点から命の意味を考えさせ、そして華厳世界の現実生活に戻らせようとするものだ。まるで命の洗濯のようでもあり、また世界の古都への巡礼の旅のようでもある。忙しく疲れている現代人にとって、気軽だが豊かな生命の教育だと言える。
だが残念なことに、華厳世界のインターネットの部分がまだ制作中なため、博物館の知名度はそれほどではない。現在、入場者は主に文化人か学校の教師が連れてくる少数の団体などに留まっている。創始者である心道法師の「心を救う」仕事はまだ始まったばかりだが、この小さなスタート地点は、すでに十数人の法師や、数千万人の霊鷲山の信者、そして友人たちが心道法師とともに十数年努力してきた成果なのだ。
一歩ずつの叩頭
世界宗教博物館の創設の過程はというと、十数年にもわたり募金活動、訪問活動、スポンサーさがしなどの総責任者を担当してきた執行委員長の了意法師はこう語る。「当初、師匠が世界宗教博物館を作りたいと言った時、私にはまったくそれがどんなものなのかわかりませんでした。ただ法師の信念に感じるものがあり、この仕事を引きうけたのです。一歩ずつじっくりと進め、わからないことがあったら専門家に聞いて、なんとか問題を乗り越えてきました。いつのまにか十数年が経ち、ふと気付いて見ると、博物館が落成していたのです」と言う。
さらっとそう話すが、そこには並々ならぬ苦労があった。台湾文化界の多くの人々は、背が小さくて福福しい了意法師と霊鷲山の何人かの若いお坊さんが問題を抱えて訪ねて来た時の誠実さと熱心さを覚えている。最初、彼らは悟りを求めて出家したのであり、博物館のことは全く知らず、さらに心道法師が考える人類の宗教文化の粋を集めた展示とは一体どんな形のものなのか、全くわかっていなかった。
実際、彼らが作ろうとしていたのは史上初の世界宗教博物館であったため、初めはまったく参考にできるものがなく、心道法師自身もその理想郷がどんなものなのかをうまく表現することができなかった。法師はただ人々の宗教による対立、分裂、憎しみをなくしたいと強く願っていた。法師は対立と憎しみは主に無知と誤解によるものだと考え、一生を注いでさまざまな宗教を知る場所を作ろうとしたのだ。そこで、各宗教に触れて心のすきまや飢えを埋め、これによって人類が信仰の違いから生じた衝突をなくし、世界平和の夢を実現できるための場を設けたいと考えたのである。
心道法師があまりに何度も繰り返し話すため、最初から法師についてきた了意、広果、顕月、法用などの弟子の法師たちがあちこちを訪れ、専門家の指導と協力を求めるようになった。また資金調達担当の妙荘法師と霊鷲山教団の信者たちも募金活動を始めた。1人1ヵ月100元で、多くの人の力を合わせ、法師が言う平和の城作りに動き出したのだ。
了意法師は、当初故宮博物院に話を聞きに行った時、良かれと手厳しく対応されたのを覚えている。「あなたがたは仏教だけを信仰している方がいいですよ。文物は高価だし、宗教は学問が深く、難し過ぎます」と。
教団募金担当の何人かの護法たちも、最初は至るところで壁にぶつかったと言う。多くの人が、仏の教えを広めたり、法会を行なって人々の苦しみを救うことは喜んでするが、世界宗教博物館とは一体どんなものなのか、また仏教徒とどんな関係があるのか、という疑問があった。
だが、日頃から温和でやさしい心道法師も、この時はかたくなだった。弟子や信者たちに、彼らが献ずる仕事は人類の存続に関わっており、まさに仏教と同じ思想の大我の実践なのだと繰り返し説明したのである。彼らはその熱心さに動かされ、後ろを振り返らず法師についてきた。こうしたこだわりは、また見ず知らずの企業家である邱沢東さんを感動させ、そごうデパートの上の2フロアを博物館建設のために提供することとなった。こうして1995年本格的に建設が始まったのだ。
世紀末という期限
心道法師とともに長年を過ごし、1993年に本格的に弟子入りした霊鷲山護法会の鄭金裕会長は、当時法師が21世紀が来る前にこの工事を終わらせ、各宗教界の理解と融合を進めたいと言っていたと語る。というのは、その後宗教戦争が起こるかもしれず、間に合わないかもしれないからだ。「先ごろは同時多発テロ事件やアフガニスタンでの衝突が起こりました。法師には予感があったのではないでしょうか」鄭金裕さんは、この博物館がミレニアムの年にオープンできなかったことを今も残念に思っている。
人々から最も注目されるのは博物館建設の十数億の募金だろう。ここに人手が一番たくさん使われたのも事実だ。しかし同じように難しくうまくいかなかったのが、心道法師の考え方を着実に博物館の設備やソフト面に反映させることだった。このために、心道法師と共に博物館の内容を担当した中核の弟子たちは、30余りもの国を訪れてさまざまな博物館を見、数千人の国内外の宗教のトップ、学者、博物館の専門家、建築技師、デザイナー、文化人、さらには広告会社なども訪ねた。設計図だけで、2度も国際的なコンペを行ない、結局落札した会社のデザインが心道法師の理念に合わないとして落札を取り消すなど、苦労を重ねてデザイナーのラルフ・アップルバウムさんを探し当てた。アップルバウムさんはニューヨークの著名なデザイナーで、代表作は600万人のユダヤ人が虐殺されたホロコースト記念館と報道の理念をテーマにしたジャーナリズム博物館である。心道法師は、ホロコースト記念館を見た後、弟子たちを引き連れてアップルバウムさんを訪ねた。2人はすぐ意気投合したという。現在、世界宗教博物館に入ると、すぐ偉大なデザイナーの手によるものだと感じるのも当然のことなのだ。
世界宗教博物館は、概念的な博物館であり、抽象的な理念を表そうとしているため、文物の展示が中心の多くの博物館に比べ、デザインは非常に難しい。特に表現したいのが人類の文化の結晶――宗教であり、間違いは決して許されない。今日この博物館が成功した理由の一つには、一流のデザイナーのほかに、しっかりした内容の企画にある。この部分は、ハーバード大学の世界宗教研究センターのローレンス・サリバン教授が引きうけてくれた。これはセンター在学中の宗教を研究するドクターコースの学生をまとめ上げて作られたものだ。
専門家対専門家
博物館準備委員会と協力し、全米6ヶ所と台北でそれぞれ7回、宗教、博物館学者、芸術家などによる会議が行われた。また心道法師の考え方を深く理解した後、サリバン教授は再帰、観望、通過、歩行、弁証、神秘など6つのテーマを打ち出した。アップルバウムさんは、ここから博物館の区分けの草案を作り、心道法師との話し合いを進めつつ設計図を描いていった。こうして博物館が具現化されていったのである。
その後、台湾の会社が内装を請け負うことになった。しかしアップルバウムさんは台湾での工事が気になり、状況をチェックするために台湾を3回訪れた。そのチェックの厳しさで工事は遅れたが、デザインの本来の精神は維持できた。
「専門家はやはり専門家です」デザイナーと施工側との間の折衝に入り、また募金担当の霊鷲山教団取締役会に説明を続けて足が磨り減るくらい苦労した了意法師は、この頃の思い出を振り返り、大変だったが専門家のこだわりはすばらしいと語る。
もう1つの最大の難関は、ふさわしい館長を探すことだった。去年11月9日、宗教博物館が盛大に幕を開けた時、博物館の館長はいまだに決まっていなかった。周囲もやきもきしたが、博物館側も焦っていた。志願者は多いが、志が高く清らかで、博物館運営の経験を持ち、ヒューマニズムに富み、時間もある専門家を探し出すのは、了意法師には実に難題だったのだ。
「実を言うと、私たちはこのためにアメリカ最大の博物館専門誌にも広告を出したのです。応募者も少なくなかったのですが、法師が納得する人はいませんでした。そして結局、台湾で見付かったのです」3月末、博物館は記者会見を開き、国立自然科学博物館の元館長で建築師、文化学者でもある漢宝徳さんが館長になると発表した。了意法師はこの館長探しの苦労話を披露した後、ついに重責を果たし専門家に運営を引き継げるとうれしそうに語った。
「やらなければならないことは、まだまだたくさんあります。宗教博物館はまだオープンしたに過ぎません。最も重要な華厳世界はまだ手直し中ですし、周辺にも区画の必要なスペースがたくさん残っています。大切なのは広く人々の中に入ることで、魅力ある特別展を行うことが設立当初からの目的です」中国の伝統的なインテリの雰囲気を持つ漢宝徳さんはこう言う。
漢宝徳さんはまた、台湾では博物館の力は弱く、自給自足は難しいとはっきり言う。宗教博物館の効果は社会教育にあるが、経費は教団の熱心な人々の支援に頼らなければならない。
貧乏和尚の夢の実現
長年、禅を修行してきた文化学者の林谷芳さんは、宗教博物館の設計、理念は国際的に見ても一流のレベルであり、一見の価値があると言う。しかし宗教が人の心を直接打ち、生死の問題を考えさせるまでの感動を呼ぶにはまだ充分ではない。
「生死の問題はショッキングで恐ろしいものです」宗教博物館がもし芸術的な面や美感を強調し過ぎているとすれば、命の力を弱めることになるだろう。林谷芳さんの考えでは、実際、博物館側が宗教と博物館のどちらを重視するかの問題である。いかにバランスを取り、入場者を増やし、入館した人をいかに感動させ思考させるかが今後の重要課題なのだ。
しかし、創始者である心道法師、それを実行した了意法師や心道法師の弟子たち、支持者である霊鷲山教団護法、これに加わった漢宝徳館長、さらには提言者である林谷芳さんも、博物館の将来を不安に思っていない。
「気持ちがあれば、やれないことはない」というのが心道法師が人々を励ます時の「法語」だ。かつて戦火を浴び飢餓に喘ぎ、何もない所から苦行者となり道を悟った心道法師は、信念と誠意のみで世界初の宗教博物館を打ちたてた。世の中の人々が、法師の求める尊重、包容、博愛の理念に賛同しさえすれば、極楽浄土も遠くはないのではないだろうか。
日本神道の高野四社明神像。
世界宗教博物館に入ると、まずカオスから始まる宇宙、天体の運行、宗教の始まりを象徴する金色のホールがある。
宗教展示区にある仏教文物。
世界宗教博物館の創設者である心道法師。ミャンマー北部に取り残された国民党兵士の後裔である法師は、自ら戦乱を経験してきたからこそ、宗教の博愛の精神によって人類のさまざまな隔たりを取り除き、恒久の平和を生み出したいと考えている。
台湾の民間信仰の対象、魁星斗。写真:世界宗教博物館提供
イスラム教の文物、キスワ。
ユダヤ教の勲章。
キリスト教の文物。
仏陀誕生を描いたレリーフ。
かつて国立自然科学博物館の館長を務めた建築家の漢宝徳氏、学者らしい風格を漂わせる氏こそ宗教博物館の館長にふさわしい。
博物館の入り口壁面には入場者が手形を残せるようになっている。手形の色はエネルギーを示している。
昨年11月9日、世界宗教博物館は十年の準備期間を経てついにオープンした。世界各地から招かれた30名余りの宗教界の指導者が一堂に会し、陳水扁総統も祝辞を述べた。
ヒンズー教の文物。
シーク教の黄金寺院。
博物館の入り口壁面には入場者が手形を残せるようになっている。手形の色はエネルギーを示している。
エジプト古代文明の文物。