一歩ずつ、心を定める
道着を着ていない羅嘉翎はごく普通の19歳の大学生だ。海外の大会に参加していて卒業旅行に参加できなかった彼女のために、クラスメートは羅嘉翎の等身大の看板を作って一緒に写真を撮ってくれたそうだ。だが、中学の時から身長が180センチもあったので、等身大看板は上半身だけだった。「写真を見るたびに嬉しくなりますが、上半身だけなんて、ちょっと怖いですよね」と言って大笑いする。
「試合で海外に行けるのがうらやましいという人もいますが、その国へ行くと遊んでいる暇などなく、ただ練習と試合しかないのです」と言う。羅嘉翎はジュニアの時からメダルを次々と獲得し、台湾代表選手に選ばれたが、その背後では普通の女子生徒としての時間や喜びを犠牲にしてきた。「それは残念なことです。人生には一度しかないことがたくさんありますから。でも、私は自分でこの道を選んだのです」
羅文祥は道場では厳しい先生だが、家では娘を愛する父親で、このことから羅嘉翎は成長の過程で「公私のけじめ」を学び、またテコンドーの練習の中で不屈の精神を身につけた。「家に帰れば私は両親に愛される娘ですが、練習や試合の時にこれほど『自立』できるのも、家族という頼れる存在があるからです」という。
台湾のテコンドーの歴史において、羅嘉翎は初めて世界ジュニアテコンドー選手権で2回連続優勝した女子選手である。素晴らしい成績をもって18歳で国立体育大学技撃学科の新入生となった羅嘉翎は、実は17歳の時点ですでにアジア競技大会の強化選手に選ばれ、ジュニアから一般部門に移り、高雄左営にある国家訓練センターに入った。そこでは彼女以外はみな20代の選手で、今までとは違う国家代表チームの厳しい訓練に直面することとなる。実践経験が豊富で技術的にも熟練している大学生の先輩たちを相手に、彼女の成績は目も当てられないものだった。ジュニア部門では無敵だった高校生の羅嘉翎にとっては、その屈辱は受け入れがたいもので、つらく苦しく、しばしば涙を流し、一度はもうやめてしまおうかと思うほどだった。
「あれは今までで最大の壁でした。自分は果たしてこの道にふさわしいのか、続けるべきか、やめるべきかと真剣に悩みました。両親は、それなら帰ってくればいい、と言ってくれました」家族が無条件で受け入れてくれたことが、練習を継続する力になった。コーチの劉聡達は羅文祥に頼まれて高雄の訓練センターへ赴き、羅嘉翎が壁を乗り越えるのをサポートする任務に就いた。後にオリンピックに向けた訓練に入った時、劉聡達は妻子を連れて高雄に転居した。
体育運動発展促進基金会(SDPF)は、羅嘉翎が2020年に東京五輪のために行なったトレーニングのデータを次のように記録している。「ランニング700キロ、減量による飢餓状態1000時間、蹴り技10万回。正規の試合参加50回以上、対戦回数250回、競技時間1820時間」とある。これほどの厳しい練習には、羅嘉翎本人からの高い要求も含まれている。「負けては立ち上がり、再び戦うというプロセスの中で、少しずつ勝負と向き合うことを学びました。負けた時は、調整すれば次はもっと良くなると考えられるようになりました」という。彼女のこうした楽観的で素直な性格が大きな力を発揮し、多くのアスリートがなかなか乗り越えられない自分へのプレッシャーを克服することができたのである。
歳月と才能と運は、いずれもアスリートの天敵であり、鍛錬と勤勉さと自己調整こそ、それらを乗り越えるための答えである。
東京五輪はスタートでもゴールでもない
オリンピックはすべてのアスリートが目指す最高のステージだ。「オリンピック代表選手に選ばれることが、私にとっては現段階の夢でした」と羅嘉翎は恥ずかしそうに笑う。「コーチも家族も、自分も含めて、誰も私が一日のうちにベスト8からベスト4に勝ち進み、銅メダルを取れるなんて思ってもいなかったでしょう」
羅嘉翎は、東京五輪での試合のひとつひとつを、世界レベルの選手と戦える対戦練習の機会ととらえ、メダルを取ろうというプレッシャーを自分に与えることはなかった。だからこそ、得点のチャンスを冷静にとらえ、相手のリズムを崩すための判断ができたのである。「勝利を知った時、自分を取り戻したような、爽やかな気持ちでした」と言う。ダークホースだった彼女は、オリンピックの試合に集中し、楽しむことができた。決勝進出を逃した試合と、銅メダルを勝ち取った試合を経て、羅嘉翎はさらに数倍も成長することができたのである。
東京五輪は終わったが、続いて国内外の数々の大会が控えており、3年後にはパリ五輪もある。羅嘉翎は銅メダルを仕舞い込み、初心に立ち返って再びサンドバッグを蹴り、兄を相手に攻防テクニックを磨く。「プロのテコンドー選手の段階で後悔しないように全力を出し尽くしたいと思っています」プロのアスリート生命には限りがある。「この職業をやめなければならない時が来たら、私はテコンドーとはまったく関係のない仕事を選ぼうと思っています」と羅嘉翎は茶目っ気たっぷりに笑う。
「人生はどの道を選んでも苦しいものだと思います。疲れ果ててやめたくなった時に、自分をもう一押ししてみます。振り返ると、越えられないと思っていた壁があった時こそ、自分を乗り越えて最も大きく成長できた時期だったことに気付くのです」と言う。羅嘉翎にとって、テコンドーは試合の結果と数々の賞状やメダルをもたらしてくれただけではない。もっと大切なのは、礼と義を深く根付かせ、勝敗にこだわらない精神的な強さをあたえてくれたことなのである。