旧市街の散策方法
台中の旧市街を訪れた人の大部分は「宮原眼科」に足を運ぶ。ここではアイスクリームを食べ、台湾土産を買うことができる。これは1927年に日本の眼科医で医学博士の宮原武熊が建てた建物で、後に倒壊の危険があるとして取り壊しが決まったが、それを日出グループが買い取って修復したものである。建物の歴史的な雰囲気を残し、内部には木製の書架を設置し、吹き抜けのガラスの天井から日が差し込むようにしている。そのレトロで優雅な雰囲気により、この建物は旧市街地のランドマークとなっている。
旧市街で注目されるのは宮原眼科だけではない。東海大学建築学科の助教‧蘇睿弼は、旧市街の表情は変化に富んでいて、さまざまなテーマを設定して歩けば、その都度、新たな楽しみ方ができると考えている。
2012年、蘇睿弼は研究のために旧市街に暮らし、長年放置されてきた銀行の2階の空間を「中区再生基地」にしてこの一帯の都市再生に取り組んだ。ワークショップの形で『大墩報』という刊行物を発行し、大勢の学生を率いて旧市街の物語を採集していった。このエリアは宝物にあふれていて、毎号、異なるテーマごとにさまざまな物語を発掘することができたという。若者の起業、職人、建築、路地裏の美食、書店‧カフェなどのテーマである。蘇睿弼によると、この街の魅力は、徒歩圏内に老舗や新しいショップが並び、生活感があることだと言う。
蘇睿弼は以前、日本で建築を研究していた時、特に空き家の問題に注目し、台中の旧市街地の空き家にはそれぞれのストーリーがあることに気付いたと言う。
例えば、現在は好伴社計が借りている建物は、1930年代には白福順弁護士事務所だった。地域の名士だった白福順は、後の二二八事件に巻き込まれて、台中を離れた。今日も、その建物の薄い褐色の十三溝レンガ(13本の溝が入った飾りレンガ)と当時の看板から、時代の痕跡を読み取ることができる。
民族路と継光街の交差点にある「ChangeX Beer南園酒家」にも味わい深い物語がある。ここは、最初は日本統治時代の1915年に創業した西洋料理店「精養軒」で、台中の名士がよく訪れるレストランだった。林献堂はその日記の中で、夫人の誕生日をここで祝ったなど、しばしば精養軒に言及している。1936年、精養軒の建物は半官半民の台湾拓殖株式会社台中出張所となった。戦後には公共食堂となり、1962年に「南園酒家」となった。南園酒家は60~70年代には台中の四大酒家の一つとして繁盛した店である。そして今日、クラフトビールメーカーがここを借り受け、3年をかけて建物を改装した。トタン屋根をはがし、昔のように回廊と天窓を設け、食事をしながら展覧会やパフォーマンスを楽しめる現代的な空間へと変え、百年の歴史を持つ建物の魅力を再現したのである。
台中州庁の2階の廊下。日本統治時代にはここから玉山を望むことができたという。