秘めた実力
微熱山丘の創業者4人は八卦山の農家出身だ。もてなし好きだが照れ屋で、朴訥なのに温か味があり、彼らの鳳梨酥のように秘めた実力を感じさせる。
「私らの作るものは簡単で、言うことなど何も…」「微熱山丘はまだ夢の段階で、成功などと大げさに言えるものでは…」こうした理由で彼らはひっそりと八卦山に暮らす。「なんせ『微熱』(ややホット)ですからね」と顧問の謝禎舜は笑う。
自分たちの事業をアグリビジネスと位置づけ、台湾農産品関連事業で農業価値を高めるのが目標だ。2008年に創業、2009年に最初の鳳梨酥を生産した。そして3年で、消えかけていた台湾原種パイナップルを高級経済作物に変身させた。
董事長の許勝銘はこう言う。市場に出回っている改良種(金鑽鳳梨)は甘さが強く、2週間たっても腐らない。一方、原種は発酵し易くすぐ腐るので、ほとんどが缶詰加工されてきた。微熱山丘の原種鳳梨酥のヒットで原種を作る農家が増え、当初は600グラム5元未満だったのが今や10元に値上がりした。微熱山丘と契約栽培する農家も近隣の南投や彰化、高雄、台東、嘉義にまで及び、面積270ヘクタールに達する。
地域産業の活性化、雇用機会の増加も成し遂げ、八卦山の経済を変えた。現在、微熱山丘は210名の現地職員を抱え、そのうち最高齢は80歳である。
「故郷で創業し、家族や地元の人とともに成長できたことが私の最大の収穫です」と許勝銘は語る。「私にとってこれは子供の遊びのように、おもしろい仕事なのです」と、もう一人の創業者、許銘仁も言う。
4人の創業者のうち65歳の藍沙鐘だけがベーカリーの経験があり、ほかの3人は食品業界に縁もゆかりもなかった。董事長を任された40歳の許勝銘は八卦山で茶栽培をやっていたが、低価の輸入茶葉に対抗できず、定年退職していた叔父の藍沙鐘に何か事業を始めようと持ちかけた。藍は14歳からベーカリーで働いており、甥もそうした商売を始めたいと言ったので断る理由はなかった。
微熱山丘の次の一歩は海外進出だ。写真は海外一号店シンガポールのラッフルズホテル店。